あるいは
「で、それから503を訪問したことは?」
相槌の代わりにそんな言葉を繰り出してみると、彼は少し面食らったのか、手に持つコーヒーカップの水面が不自然に揺れる。この喫茶店「閑古鳥」では、マスターこだわりのブラックコーヒーを名物としているが、お世辞にも美味いと言えるものではない。実際、カフェイン目当ての彼はいつもミルクを混ぜて飲んでいる。
「調べたらいいじゃないですか、不本意ならなおさら」
などと言っても彼は何も言わず、テーブルにじっと視線を傾けていた。ややあって顔は上げたが、私とは微妙に目を合わせないまま、私を見つめる。
「僕は、ミステリ作家を気取っていたい訳ではなくて」
一拍の間。言葉を放ちながら、同時に二の矢を探す話し方。
「……君には、僕の話がどう見えましたか」
「夢みたいですよ。浮足立っていて、非現実的。大体ほんとに事が起きたなら、部外者が簡単に入れる訳がありません。でも、すぐに夢だからって片付けるのは横着です」
「と言うと?」
「からかわれたんですよ、503の住民に。七輪も、窓ガラスを覆うテープも全部演出で、先輩はものの見事に場の雰囲気に呑みこまれてって、そういう話です」
動機が意味不明なので、正直これも推理としては弱い。けれど、安易に夢と決めつけるより誠実で、荒唐無稽な想像よりは地に足がついたものだと信じている。それこそ、管理人に火事騒ぎの仔細を問いただすなどすれば確度も増すはずだ。先輩は時折私の話に相槌を打ちながらコーヒーに口をつけ、少しだけ苦い顔をした。
「良い仮説だと思います。マンションでもう一度あの人と出会うことがあれば、多分それが正しいということになる。でも僕は、色々にある、確度も角度も様々な仮説たちを確定しようとは思えない」
なぜ、そう言いかける直前で、彼は二の矢を放つ。
「詳らかにした所で、じゃないですか。余白は埋まるし不正解も生まれるのに、大したメリットがない。本当に詳らかにできるならまだしも、した気になってあぐらをかけばそっちが余程横着だ」
そういう彼のコーヒーも、確かに灰色なのかもしれない。しかし、私は居ても立っても居られなくなって、咄嗟に口を開いた。
「でも、503で本当に『事件』が起きていたとしたら、それでも同じことは言えますか」
「言い続けます。捜査が終わってからもずっと、『あるいは』って、度々思い出しながら」
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