第8話 レイン 2

 レインは何も言わなかった。

 ゼファルはあたしの前へやってきて、あたしの視線の高さまで屈んだ。


「マリア、私の未熟さゆえ、君の右腕さえも奪ってしまった。すまなかった」


 ――いいのよ、ゼファル。あなたは家族を失って、冷静でいられるほど強くないもの。


「できることなら、もっと永く一緒に居たかった。愛しているよ、マリア」


 ――ええ、嬉しい。あたしも愛している。


 声にはできなかったのに、ゼファルは嬉しそうに微笑んだ。


 ゼファルは立ち上がると、レインに相対あいたいした。



 レインの表情は変わらぬまま。しかし腕の一本がゼファルの足元へと、その手にしていた剣を投げた。それは光り輝く剣で、近くに落ちていた魔王の首を、ただそこに在るだけでジリジリと焼いていた。


「これを手にしろというのか。私に王としての死にざまを選ばせてくれるのか」


 レインは首も、表情も動かさなかった。


「――さぞや名のある剣なのだろう。だが、私にはこの、代々の王へと受け継がれる剣がある。これで十分」


 ゼファルは腰にいた剣を抜くと、高く構え、切っ先をレインへと向けた。


「参るぞ」


 そう言葉にし、一拍おいて渾身の一撃を放ったゼファル。その刃がレインの首へ、届いたと思われたそのとき、ゼファルは力なく崩れ落ちた。倒れたゼファルの首は、既に身体から離れていた。レインは微動だにしていないのに。


 ――ああ、ゼファル。立派な最後だった。


「誰も騒ぎ立てないのね。国が亡ぶのって、思ってたよりつまらない」


 フィリアがそう言って溜息を吐く。


「ねえ、絵は完成したの?」


 そう問いかけてきたルルに頷いた。


「――よかった。じゃあレイン、さっさと始末して。ルルは絵を観に行くから」


 レインはその言葉に応え、長い腕の一本をひと薙ぎした。


 床へと落ちたあたしは反射的に目を瞑った。首が身体から離れたというのに意識があるのが不思議だった。ただ、床へ落ちる衝撃は無かった。目を開いてみて、だんだんと薄れてゆく視界に死を感じた。









 ◇◇◇◇◇



 コツコツと響くいくつかの足音。

 開かれた鉄格子は歪んでいた。

 冷たい手があたしを支えていた。


「見て見て。これがだよ!」

「なによ、くらい知ってるわよ。色の違う泥で塗るんでしょ」

「ふふ、さすが蛮族民バルバロイ……」


 最後の言葉はあたしの頭の上から聞こえた。


「はぁっ? バカにしてんの?」

「バルバロイはバカで乱暴……」

「リリ、やめなさい。バカがうつるから。それよりもほら!」


 パチン!――ルルが指を鳴らして起こした風で、ふわりとキャンバスの覆いが外される。


 そこには黄昏の中、かつて二人で暮らしていた古くて素朴な家で、あたしに向かって振り返り、微笑むレインが居た。その手には金鎚が握られていて、キャンバスの枠を組み立ててくれていた。最初は上手に作れなくて、それでも彼はがんばった。茶色の髪は、日の光を通すと黄金に見えた。金色の髪よりもずっと。


「…………これ…………レイン?」


 リリの首を絞めていたフィリアが固まる。


「素敵! 素敵! 素敵でしょ!」


 ぴょんぴょんとその場で跳ねるルル。


「レイン、こんな顔もするの……」


 頭の上からそう聞こえた。


「こっちの方が断然いいじゃない。勿体ないわね」

「レインはこの顔が素敵!」

「人間にしてはマシ」

「レイン、あなたこんな顔もできてたのね。――レイン!?」


 進み出た黒い影、その影が手にした剣を振り上げたのだ。


 ――やめて! 壊さないで!!


 声は出なかった。首が身体から離れているのに声が出るわけない。

 あたしの悲痛の心の叫びは、突然にして暗闇で覆われ、途切れた。








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