第18話「靴を選ぶ、それだけで今日が決まる気がして」
靴箱の前で、今日も悩んでいる。
時間にして、だいたい1分。でも心の中では、小さな会議が何度も開かれている。
「今日はこれじゃない気がする」
「いや、でも今日の服装には合わないんじゃないか?」
「歩く距離、長かったっけ?」
「雨降るなら、防水仕様にしないと」
たった一足を選ぶ、それだけのことなのに、なぜこんなにも迷ってしまうのだろう。
季節によって、靴はまったく違う顔を見せる。
たとえば、春。
やっと冬のブーツをしまって、スニーカーやローファーの出番がやってくる。
朝の風がやわらかくて、つい軽い足取りで出かけたくなる日。
でも、春は突然、裏切ってくる。雨が降るかもしれない。
「可愛いけど、これじゃ濡れるよなぁ」なんて、履こうと思ったスエードの靴をそっと戻す。
そうやって「安全策」に走ると、なんとなく気分まで保守的になってしまって、ちょっとだけ自己嫌悪。
夏になると、足元は自由になる。
サンダル、バレエシューズ、キャンバス地のスリッポン。風が通る素材に手が伸びる。
でも、夏の靴は案外デリケートだ。
足が蒸れないかとか、夕方にはむくむんじゃないかとか、妙に現実的な心配もしてしまう。
そしてなにより、爪先やかかとが出るから、手入れも怠れない。
素足に自信が持てない朝は、パンプスに逃げたりして——ああ、自分の弱気さを靴が映している気がする。
秋は、選択肢がいちばん多い季節。
ショートブーツ、スエード、レザー、ちょっと重みのあるローファー。
少し背伸びをしたい気持ちが、足元にも表れる。
でも迷うのは、その“タイミング”。
「この靴はまだ早いかな?」「でも朝晩は冷えるしなあ」
季節の“境界線”は、毎年ぼんやりしていて、服とのバランスも難しい。
おしゃれをしたい気持ちと、歩きやすさへの妥協とのせめぎ合い。
この時期は、「今日は何を優先するか」が、靴でばれてしまう。
そして冬。
選ぶ前に、まず思う。「冷えるな、今日は」
足元の暖かさが最優先。
でも、防寒性を重視すれば、途端に“もっさり”してしまう。
「これ履いたら、スカート合わないな…」とか、「電車の中で蒸れないかな」など、現実的な懸念が山ほど湧いてくる。
結果、毎日同じショートブーツばかり履いていた年もあった。
でも、ある日ふと思った。「この靴、こんなにボロボロだったっけ?」
毎日を“ただこなす”うちに、自分の足元への関心が薄れていたことに、ようやく気づいた。
それでも、シーンによっては違う気持ちが芽生える。
久しぶりに友人と会う日。
ちょっといいカフェに行く予定の日。
「今日はこの靴が履きたいから、服を変えよう」と、足元から考える日もある。
そういう日は、なぜか心まで軽くなって、靴音が心地よく響く。
“選んだ”という感覚が、きっと自分を肯定してくれているのだ。
靴って、地味な存在に見えて、じつはその日の「私」のすべてを支えてくれている。
どんなにおしゃれをしても、足が痛ければ気分は沈むし、歩きづらければ一日中イライラしてしまう。
逆に、ぴったりの靴で出かけた日は、不思議と自信が湧いてくる。
大人になるにつれて、「ラクな靴」に手が伸びがちになるけれど、
たまには、「履きたい靴」を優先してみるのも悪くない。
足元を大事にするって、つまりは今日という日を大切にするってことなのかもしれない。
今日もまた、靴箱の前で3分悩んで出した答えは、たった一足の「今日の自分」。
そして、それでいいのだと思う。
迷った末に選んだ靴なら、たとえ少し失敗しても、それはちゃんと私の一日だ。
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