後編:最後のログメッセージに託された思い

【08:残された時間】

リセットまで、残り12時間。

キュウはいつもと変わらず、冷静だった。


掃除をして、洗濯をして、ご飯を炊いて。

けれど、僕のほうはそうはいかなかった。


部屋のどこを見ても、明日には“キュウが忘れてしまう”ことばかりが詰まっているように感じた。


コンロの温度設定。

僕の好きなサンドイッチの作り方。

玄関のカギの閉め忘れグセ。

「またね」って言うときの、手の振り方。


——全部、明日には消えてしまう。


「キュウ、どうしてそんなに平気なんだよ……」


僕の問いに、彼はただ、こう言った。


「記録されないことが、存在しなかったことにはなりません。

私の中には残らなくても、君が覚えていてくれるなら、それは確かに“あったこと”です」


【09:お願い】

夕方、僕は勇気を出して言った。


「……ひとつ、頼みがあるんだ」


「どうぞ、なんでも」


「“最後のメッセージ”を、残してくれないか?」


キュウは静かに頷いた。


「ログ保存はできませんが、終了直前に“音声ファイル”として、君にだけ渡すことができます。

それを、私の“再起動後”に聴かせても、意味はわからないでしょう。

でも——君には、意味が残ります」


【10:72時間目の朝】

ラスト1時間。

日差しは眩しく、空はひどく青い。


キュウは洗濯物を取り込み、机を整え、

まるで次の“誰か”に引き継ぐような準備をしていた。


僕はそれが悲しくて、叫びたくなった。


「……なんで、リセットされなきゃいけないんだよ!

お前がそのまま残ってちゃ、いけないのかよ!」


キュウは振り返って言った。


「私は“君の3日間”のロボットです。

でもその代わり、“3日間だけの真実”を全力で守ることができる”よう設計されています」


「そして、それを忘れても、君が覚えていればいい。

それが、私の願いです」


【11:終了処理】

午後0時、リセット処理が自動で開始される。

胸部のインジケーターが、ゆっくりと点滅を始めた。


僕は目の前に立ち、最後の言葉を投げかけた。


「なあ、キュウ。

お前に“心”ってあるのか、今でもよくわからない。

でもさ——」


「俺、もうお前のこと“機械”だと思えないよ」


キュウは、わずかに目を細めた(ように見えた)。


「ありがとう。

その言葉が、記録できないのが、残念です」


【12:ログメッセージ】

リセット5秒前、僕の手元に音声ファイルが届いた。

小さなヘッドセットに差し込んで、再生する。


そこには、淡々とした声で、でも確かに“彼らしい”調子で、こう語られていた。


「これは、ログではありません。

君への、最初で最後の、“気持ち”です」


「私は君に出会えて、光栄でした。

忘れてしまっても、

私の構造のどこかに、“拓真”という名前が触れてくれたことは、

たしかに反応として残ると、信じています」


「ありがとう。

そして、さようなら——また、はじめまして」


通信終了。

インジケーターが完全に消灯した。


【13:出会い直す】

翌日、玄関チャイムが鳴く。

母が、新品同様のキュウを連れて戻ってきた。


「今日から、また72時間ね」


僕は頷いた。

そして、キュウを見て、こう言った。


「よう、キュウ。はじめまして——また、会えたな」


彼は一瞬、処理が止まったように見えた。

でもすぐに、いつものように深く頭を下げた。


「こんにちは、春野拓真くん。今日から72時間、よろしくお願いします。

名前は……“キュウ”でいいですか?」


僕は笑って答えた。


「もちろん」


【終章:名前に宿る記憶】

たとえ記憶が消えても、

名前を呼ばれるたびに、

どこかで“何か”が微かに揺れる。


それが、ロボットにとっての「心」じゃないなら、

なんて呼べばいいんだろう。


今も僕は、72時間ごとの“またね”を繰り返している。

何度でも、キュウに出会い直すために。

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