8 出会いと別れ

それからというもの、彼女は少しずつ村の空気に馴染み始めた。


 最初か簡素な挨拶を返すだけだった村人たちも、数日が経つ頃には、冗談を交わしたり手を振ったりするようになっていた。ミナなんかは「フィオナさん、背が高くてかっこいいね!」と遠慮なく言って本人を困らせていたけど、フィオナは悪い気はしていなさそうだった。




「ミナ。私は、かっこよくない。ただ……長身なだけだ」


「でも似合ってるよ! じゃあ今度、お花の飾り作ってあげる!」




 そのやりとりを見て、俺も思わず吹き出した。




「ミナ。一応、王都の騎士団長なんだぞ」


「一応とは何だ?」


 


 ある日は、畑の見回りに俺が出かけると、なぜかフィオナがついてきた。


「この土、柔らかくて……手で掘れるんだな。王都の庭園では、こんなに素朴な土に触れたことはない」


「畑で泥まみれになるのも、悪くないと思ってきたでしょ?」


「……少なくとも、剣の鍛錬よりは穏やかだ」


 


 口調こそ変わらないが、彼女の口角が上がっている場面を見かけることが増えてきた。




 そして夜。いつものように、食事を皆でしていたとき。




「フィオナさん、これ、よかったら食べてみてください!」




 ミナが張り切って持ってきた焼き立ての野菜パイを、フィオナは戸惑いながら受け取っていた。


 そして、ひとくち。




「……熱っ」




 ふーふーと冷ましながら頬張るその様子に、皆がくすっと笑う。




「フィオナさん、食べるの早い!」


「美味いからな。……これは、誰が作った?」


「私とお母さんだよ!」


「そうか。……ありがとう、美味しかった」




 ぎこちなさは残るものの、確かに彼女は心を開き始めていた。




 食後、広場に出ると、少しだけ星が見えていた。


 俺は一歩遅れて外に出て、村の塀に腰を下ろした。隣に座るのは、もちろんフィオナだ。




「王都には、帰らなくていいの?」


「今のところ、上からの呼び戻しはない。それに……もう少し、この村を見ていたい」


「村を?」


「……いや。人を、だな」


 


 それは、少しだけ目を逸らしながらの返答だった。


 冷たい風が、俺の肩へ枯れ葉を運んできた。それを見たフィオナが腕を伸ばす。




「……付いているぞ」




 そう言って、枯れ葉を取ってくれた。




「もうしばらく、フィオナにはここにいてほしい」


「何故だ?」


「楽しいからだよ。フィオナがいると」


「私などと一緒にいて何が楽しいのだ。……やはり、貴殿は不思議な男だな」




  ◇◇◇




 数日後の朝。畑作業を終えて水を飲んでいた俺のもとにミアがやってきた。




「今日もお疲れ様」


「あぁ、ありがとう」




 ミアは微笑んだ。




「そういえば、最近、領主様に会ってないね」


「確かに。最初は毎日のように様子を見に来てくれてたのに」


「お体が弱いって話は聞いたけど……まさかね」




 心に小さな引っ掛かりが残る。


 その日の夜、村人の一人から「領主の屋敷を訪ねるように」と言われた。


 俺は不安を抱きながら、決して広くはない領主邸の裏門をくぐった。




 屋敷の中は静かだが、時折誰かの咳き込む声が聞こえた。


 案内された部屋には、青ざめた顔で床に伏せるグレイがいた。憔悴しきった顔に、かつての威厳はない。それでも、目に宿る光だけは、相変わらず鋭かった。




「……よく来てくれたな、カイ」


「どうして、黙ってたんですか」


「今さら騒いでも、治るものではない。昔から患っていた持病だ。王都では『砂痩の熱』と呼ばれている」




 この世界の死因の大部分を占める、不治の病だそうだ。身体の水分と体力が徐々に削られていき、最後は臓器が萎れて死に至る。


 何かできることはないかと、俺は「創造の手」を伸ばしかけたが──グレイは首を振った。




「その手に頼るつもりはない。……これは、もう引き際なのだよ」


「でも……!」


「今日君を呼んだのは、病を治してもらうためではない。話したいことがある。真剣に聞いてくれ、カイ」




 重々しく枕元から手紙の束を取り出し、俺の方へ差し出す。




「これは、私が領主として築いた記録と、村のこれからに必要な連絡事項だ。そして……正式に王都に申請するには時間がかかるが、私はこれを以って『後継の指名』としたい」




 冗談を言っているのかと思った。




「……え?」


「カイ、お前に──この村を任せたい。お前には、人を動かす言葉と行動力がある。そして何より、誰かを見下さない。王都の貴族たちが決して真似できぬ、真っ直ぐさだ」


「俺は……騎士でも貴族でもない、ただの素人です」


「それで、いい。……だからこそ、この未来を、柔らかく守っていけるはずだ。もちろん、君が強大なスキルを持っているからというのもある。村を守るためなら、その能力を出し惜しみしないでもらいたい」




 病に蝕まれた彼の声は弱々しかったが、意志だけは確かに伝わった。


 


「村を良くしてくれて、ありがとう。私が果たせなかった夢を──その続きを、託したいんだ」




 視界が少し滲んだ。


 今まで生きてきて、こんなにも真剣に信頼を向けられたのは、初めてだった。




「あなたの夢は……なんですか」


「私の夢は、この村を……大きな街に発展させることだ。きっと君なら、できるだろう……」


「……考えさせてください」




 そう答えるのが、精一杯だった。しかし、それを聞いたグレイは安心したように微笑む。


 心なしか、顔色も良くなっているように見えた。




「ありがとう」




 俺は頷き、空き家に帰った。


 その日の夜、グレイは──息を引き取った。

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