第28章:アークの向こう側へ

アークが吠えた。

電撃のような光が鋼を割き、

熱線が夜を切り裂いていた。


ジョウのマスクの奥で、瞳が灼けつくように光る。

あの夜の、あの女の、あの火花の残響。

すべてが手の中で、溶接トーチと同化していた。


彼はもう、職人ではなかった。

――表現者だった。

溶ける鉄、焼ける皮膚、跳ねる火花、

それらすべてを言葉のように操る詩人。

鋼の詩を、アークの音で綴る男。


「……シャッター切ったわよ」


kurenaiの声が、

作業着越しの汗に溶けて、鼓膜へ滴る。


「今の火花、すごかった。あんた、今日だけで何回アーク飛ばしてんのよ」

「言ったろ。最高のシーン撮らせてやるって。

 鉄も女も、一度溶けたら、もう元には戻らねぇんだよ」


kurenaiの目が笑って、でも震えていた。

その震えの奥に、ただの“被写体”ではなく、

“共犯者”の目があった。


「じゃあ…このまま続ける? それとも、ひと休み…いる?」

「アークの先に、何があるのか。

 確かめてみてぇんだ。だから――」


ジョウは手袋を脱ぎ、

炙られたままの手で、彼女の頬を撫でた。


その手は、鉄を扱うにはあまりに優しく、

だが、女を抱くには、あまりに硬かった。


「……あんた、ほんとバカね」


kurenaiの声は、

アーク光の合間に割り込む夜風のように、

一瞬で、ジョウの心の防火扉をぶち破った。


ふたりは静かに歩く。

溶接ブースの裏、機械油の匂いが染みついた休憩スペースへ。

そこは誰も来ない――誰も来られない、鉄の聖域。


「……カメラ、回ってるけど?」


「知ってる。今夜のアークは、生配信だろ?」


kurenaiは微笑んだ。

ジョウは彼女を壁に押しつけ、

鉄骨の影に、影を重ねていく。


火花ではない熱。

鋼ではない衝動。

金属の擦れる音と、女の吐息が交錯する中、

ひとつの“物語”が、静かに燃えはじめていた。


「カットかけろよ、kurenai」

「バカ……あんたが、止めてみせなさいよ」


誰も知らない夜のアークが、

配信の先で、世界を燃やしていた。


鉄と肉体、熱と欲望、

表現と労働――それらすべての境界が、

この瞬間、溶け合っていく。


ふたりの身体が絡み合いながら、

ジョウの耳元で、kurenaiがささやいた。


「アークの向こう側にあるのは、

 “ただの作業”じゃない。

 あたしたちの、生き様よ」


ジョウはそれに応えるように、

再び彼女の唇を奪った。


鉄工所という無骨な現場の片隅で、

誰よりも熱く、誰よりも静かに、

ふたりは“生きること”そのものを、

演じきっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る