第19章:再点火(リイグニッション)
雨上がりの路面が、まるで溶接後の冷却鋼板のように光っていた。
その中央に、ジョウは立っていた。
手には古びたヘルメット。
肩には、消えかけた過去と、まだ終わらぬ炎。
「……もう、いないと思ってた」
その声は、背後からだった。
乾いて、それでいて芯のある声。
kurenaiの声。
あの夜の配信の、あの一行の“問い”の続き。
彼女は黒いフレアのコートに、赤銅のピアスを揺らしながら立っていた。
瞳は冷えて、けれど、喉の奥にはまだ火が灯っている女の目。
まるで、溶接の瞬間を見つめ続けた目。
「俺は……声を失くした。あの夜で、全部。」
「違う。あんたの声は、火と同じ。
消えるもんじゃない。――ただ、くすぶってただけ。」
言葉と、沈黙が交互に打ち合うように、
ふたりの間に火花が散る。
それは鋼と鋼が触れ合ったときに出る、導通前のスパークだった。
彼女は歩み寄る。
ブーツの音が濡れた地面に吸われながら、
その一歩一歩がまるで、鉄板の上に刻まれる刻印のようだった。
「もう一度、あの歌を歌って」
「……もう、俺には歌なんて――」
「歌えなくてもいい。声だけで、十分熱い。」
その瞬間、ジョウの中の何かが“点火”された。
まるで、長いあいだ油だけ溜められていた溶接トーチに、
ようやく火が入ったときのように。
彼はkurenaiの腰を抱き寄せた。
濡れた地面に、ふたりの影が一つに溶けた。
「……お前が、冷えてたら」
「焚きつけてみなよ。ブルーフレームじゃ、足りないくらいに。」
唇と唇が交わる。
火と火が接触し、一瞬の閃光が全身を貫く。
街の灯りさえ、かき消されるような熱。
まるで、工場火災寸前の溶接現場の熱量が、
このふたりの肌に、骨に、魂にまで流れ込んでいく。
⸻
彼女の手は、ジョウの手の火傷の痕をなぞった。
その指先は、まるでバフ研磨のように、
痛みを磨き、痕跡を愛撫していく。
「痛み、残ってる?」
「……あぁ。でも、それが火をつけるんだ。」
彼女は頷き、シャツのボタンを外した。
肌が現れるたび、ふたりの過去と火花が交錯した。
「だったら、もっと焼き付けてよ。今度こそ、消えないように。」
⸻
鋼鉄の街は、夜が深まるほどに静かになっていく。
その沈黙を破ったのは、工場じゃない。
配信スタジオでもない。
ただ一つの部屋の、あの溶接士の“呼吸”だった。
ジョウとkurenai。
火花のように出会い、熔着(ようちゃく)のように混ざり合い、
そして今、再び――再加熱されていく。
⸻
彼の指が、彼女の背中をなぞるたび、
まるで鋼材にクラックが入るかのように、彼女の声が震えた。
「……もっと奥まで、溶けていって」
それは情欲の言葉ではなかった。
それは、溶接士にしか出せない溶け込みの深さを求める、
魂の接合だった。
ジョウは無言のまま、彼女の髪をつかみ、
その唇に深く、まるでアーク棒のように、強く押し付けた。
焚きつけたのは、欲望じゃない。
後悔と決意と、そして再起動(リイグニッション)――
⸻
ベッドの上に積もるのは、灰じゃない。
火花の痕跡と、溶け落ちた過去だった。
「……あの夜、ほんとは待ってたんだよ」
「俺は……逃げた。あの声に、火に、全部から」
kurenaiは、ジョウの火傷跡にキスを落とす。
その一つ一つが、まるで“補修溶接”のように、
剥がれかけた鋼の表面をなぞっていく。
「なら、いまは焼き付けなよ。私に、お前の再始動を」
⸻
夜が明けた。
ふたりの影は、すでに別れていなかった。
まるでTIG溶接のように、脆い薄鋼同士が美しく融合した状態で、
ひとつの線になっていた。
そしてジョウは、もう一度、作業服に袖を通す。
火と鋼と声と、女と街と――そして再始動。
その背中に、kurenaiの声が重なる。
「歌って。あたしの中の鉄屑も、焼き尽くして」
「――わかった。じゃあ、もう一度、火をつける。」
彼が歩き出した先には、
まだ修理を待つ鉄骨が山のように積まれていた。
だが彼の目は、迷っていない。
鋼を愛撫する手、火を操る目、そして心にまた火が灯った声。
それがジョウの“再始動”、本当の溶接配信の始まりだった。
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