ポラリスにはなれない

流花

第1話

白く美しい星ほど温度が高いこと。赤い星は温度が低いこと。強い光がずっと苦手だった。僕とは違う世界にいると思うから。強い光に照らされて、ずっと忘れられないのが本当に怖かった。



スマートフォンの光で目が覚める。午前10時43分。これでいい。暗闇の中足を引きずりながら部屋の明かりをつける。それから今日会う予定の人に返信する。文章を考えていたら一気に気分が沈んでいった。この時間が僕は本当に嫌いだった。また消えない傷を作って、それを癒そうとして傷口が開く。それでも僕はこうするしか無かった。一度踏み入れてしまったんだ。一時の快楽を求めることでしかこの心の穴は埋められない身体になってしまった。人魚姫が憧れた世界を、僕たちは踏みつけている。皮肉だと思った。それでも幸せにはなれないんだから。本当は僕にも北極星があった。季節が何度変わってもずっと僕の心の中にいた。見えなくなることは無い。ずっとそばにい続ける。


雪が降り頻る冬の日だったと思う。バス停で二人きりになって話したこと。僕の北極星が笑っていた頃のことを思い出す。僕が14、きみは13歳だったと思う。雪の降り積る、小さなバス停だった。見える景色は白一色で、あとは何もなかった。きみと2人きりで話をしていた。そこできみが言ったことを僕は片時も忘れたことはない。


「私にもきっと北極星みたいなものがあってどんなに世界が回っても、時間が進んでも確かに動かずずっとそこにあるの。私の北極星はあれだよ。」

きみの人差し指の先を僕はぼんやりと見ていた。それは僕とは違っていた。



きみがいなくなったのはいつだっただろう。気づいたら隣を見ても君の姿はどこにもなかった。今きみがどこで、誰の隣を歩いているのか僕は知らない。最初はとても悲しく思った。きみは僕の隣にいないといけない。僕がきみの左肩を守ってあげないと。冷たい手を握ってあげないといけない。しかし、そんな気持ちは自然と薄れていったのだと思う。悪夢だっていつかは覚めるんだから。怖かったという感覚はずっと残っていると言うのに。額を伝う汗だとか、少し震えた手と、上手く動かない足がそれを蜃気楼のように包み込んでしまう。そんな感覚を追い求め続ける僕は、幸せになれない。



渋谷ハチ公前にいたその人は、大きな体をしていた。彼女は僕を見つけると、綺麗な笑顔で軽く手を振った。空いた口数センチから覗くその歯は白く、歯並びも美しかった。その人の隣を歩くのはとてもおもしろかった。あちこち目を輝かせながら歩く姿は小動物のようだった。それが大きい体と非常にミスマッチだったのも思わず笑ってしまいそうになった。


きみの隣を歩く僕はあまり笑うことがなかったと思う。きみを傷つけて、殺してしまうのが怖かったからだ。それほどまでに儚い存在だった。ガラスの靴なんかよりもずっと。それでもお腹がすいて華奢な肩を丸めるきみは可愛かった。きみの真っ白い肌と長い黒髪はどんな季節でも一番美しかった。僕はきみといる時、きみを笑わせることだけ考えていた。その瞳に火を灯したかった。


彼女は僕と同じくらいの歩幅で歩く。だから僕が彼女の足元を見ることはなかった。隣を見れば常に綺麗な笑顔がある。僕は彼女が何を考えているかわからなかったが、それを考える必要はないと思った。それから僕たちは喫茶店で少し話をした。彼女の話は空っぽだった。今考えてみても、ひとつも思い出せない。まるで全てが作り話のようだった。地面に足が着いていないような、ふわふわした感覚が新鮮で不思議な気持ちになった。


きみの話は僕の胸にナイフを刺す。きみの考えが僕の考えになっていった。

「見えないものまで見えちゃうのとか、そういうの嫌だよね。目を塞いでそのまま眠って、一生目覚めなければいいのに。」

きみは言った。僕は何も言わないで頷く。きみを殺さないように慎重に、その瞳の少し下の方を見る。


少し様子を見ていた僕は口を開いた。

「きみの北極星が僕になることはある?」

「ないんじゃないかな」

きみの目からは何も読み取れない。これはいつものことだった。

「でも、歳差運動で北極星は変わる」

きみの口角が少しだけ上がったのを僕は見逃さなかった。

「何千年も待ってくれる?」

「待つよ。首を長くしてね。」

僕もきみと同じ表情をして言った。


ーそれでも僕の北極星は君だ。見失ったことなんてないよ。ー


これを本当は言いたかったんだ。


それからも彼女とのデートは円滑に進んでいた。それでも彼女が僕に指一本触れることはなかったし、もちろん僕もそれをしていない。このことに意味があるとは到底思っていなかった。別れ際に彼女は僕にこう言った。

「私だけじゃなくてもいいよ。今幸せだから。それだけが全てだから」

彼女がこの後僕に連絡してくることはなかった。


僕が弱音を吐いた日。消えたいと願った日。逃げ出したかった日のことを思い出す。僕はなんで生きているんだろうか。自分は特別な人間だと思っていた。しかし、長く生きていくにつれてそれは違うと知った。僕の赤くなった目を真っ直ぐ見つめるきみは、柔らかい唇を静かに開けた。

「誰も誰かの特別にはなれない。1番にはなれない。あなたは特別な人じゃないよ。安心してよ。安心して消えていいからね。何度だって見つけるから。」

消えてしまったのはきみの方だったね。もっと強い光で知らせてくれても良かったのに。もう会えない。どこにいるのかも、本当の名前も知らない。幸せから突き落とされる感覚を追い求めてしまうのは何故だろうか。不幸でいた方が心地が良いのはこちら側に生まれた人間の宿命だから。水面を眺めながら土に憧れているのが僕たちだから。

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