9
「問題は解決した。そなたのおかげだ」
ソリョンははっきりと言った。スニは嬉しくなり、と、同時に恥ずかしくなった。そしてもじもじしながら言った。
「私は特に何も――」
「私は変身した姿を誰にも見られたくなかった。でも今は平気だ。漁師たちに見られてしまったからね。もう隠したってどうにもならない。私はずいぶん自由になった。これからはいろんなところに行ってみようと思う。そう、陸の長のところにも正式に訪問するよ。私の仕事だからね」
ソリョンの口調は明るかった。つられてスニも笑顔になった。スニを見下ろし、ソリョンは言った。
「私は太古の生き物らしいよ。そうそう、名前をつけてもらったのだ。この生き物の名前をね。『首長竜』というんだ。悪くないであろう? 実際、首は長いし」
そう言って、ソリョンは首を左右に動かした。そしてまた、スニのところまで戻ってきて、
「『竜』というところも気に入っている。かっこいいからな」
ソリョンは少し恥ずかしそうに言った。ソリョンが幼く見え、かわいらしいとスニは思ったけれど、失礼かもしれないので、その感想は口にしなかった。
「名前をもらってよかった」晴々とソリョンは言った。「今まで私は自分が何なのかわからなかった。でも名前をつけられたことによって、こう、形が少しはっきりしたような気がする。私は化け物ではない。首長竜だ。首長竜なんだよ」
「はい」
スニは力をこめた同調した。ソリョンはやや遠くに視線を向けた。
「私は――ずっと一人だと思っていたのだ。でも違った。あの太古の世界では。あの世界には私と同じ生き物たちがいた。あの世界には――もう行けないのだろうか」
「どうでしょう……」
スニは考えた。ソリョンはまた太古の世界へ行きたいのだろうか。あそこなら仲間がいるのだし……ソリョンの気持ちを思って、スニは少し胸がいたんだ。
「そなたに触れたことが引きがねになったのかもしれない、と占師たちが言っている」ソリョンは話を続けた。「たしかにそなたに、球体の膜ごしではあったが、触れて、太古の世界に行ったのだし、こちらに帰ってきたときもそなたをくわえていた。けれども以前、その、手をつないだときは何も起こらなかったではないか?」
「あ、はい」
夜の池のそばで、突然ソリョンに手を握られたことを思い出してスニは少し顔が赤くなった。
「私に触れてみてくれないか?」ソリョンがスニに言った。心なしか、やや恥ずかしそうだ。「私の顔にでも……」
そう言ってソリョンは顔をスニに近づけた。スニは衝動的に手を伸ばしていた。ソリョンの顔に触れる。とかげに似た顔。そしてとかげと同じように細かなうろこがある。海から出たばかりなので、少しぬれていた。
何も起こらなかった。辺りは心地好い春で、草むらも海も空も、のんきにくつろいで、奇妙なことは何一つ起こりそうになかった。
「……。占師たちの言った通りだ。太古の世界にはそうそう行けぬと。不思議なことはは何度も起こらぬ、と」
「あの……残念でしたね……」
スニは自分が無力だと思った。ソリョンが太古の世界に行きたいなら、仲間たちともう一度会いたいと思うのなら――自分が力になりたかった。けれども何も起こらなかった。
「どうして?」ソリョンはスニの言葉を疑問に思ったようだ。「何が残念なのだ?」
「もう一度、太古の世界に行かれたいのかと思ったのです」
「いや……まあ行ってみたくないということは思わないが。けれども別にいい。そなたがまた恐ろしい目に合っては困るし」
自分の話になって、ソリョンが自分の心配をしているということがわかって、スニはまた赤面した。ソリョンもまた黙った。ぎこちない沈黙があって、ソリョンの声が聞こえた。
「今度は置き去りになどしない」
強い口調でソリョンは言った。スニは嬉しく思い、ますます赤くなって、顔を地面に向けた。
「……ひょっとしたら、どこかにいるかもしれない」ソリョンはつぶやくように言った。「私の仲間が、太古の世界だけでなくて、現在のこの世界にも――。海は広いのだ。誰も全てを見たわけではない」
「ええ、そうです。陸だって広いです」
スニは顔をあげて、力をこめて言った。スニとソリョンの目が合い、どちらも照れくさそうな表情になった。
「そなたの元気な姿を見れてよかった。今日はあまり時間がないのだ。すぐに帰らねばならない。でもまたここに来たい。また会ってくれるだろうか」
「もちろんですとも」
ソリョンの申し出にスニはたちまち答えた。また会えるんだ! 陛下とこんなふうに……。胸がどきどきして、自分のこれからの生活が、すごく楽しいものに思えてきた。
「この姿では目立つよ」ソリョンは冗談めかして言った。「だから次に会うときは人間の姿かもしれない。私は陸の世界を全く知らないんだ。そなたの話はおもしろかった。そなたが語ってくれたものを、私はこの目で見たい」
「案内してさしあげますよ。私ができる範囲で、ですけど」
「そなたもまた海の王国に来るがよい」
「はい!」
嬉しくて、笑顔になってしまう。首長竜の姿なのでよくわからないが、きっと陛下も笑ってらっしゃる、とスニは思った。
「そなたは私の涙をぬぐってくれるそうじゃないか」ソリョンはからかうようにスニを見た。「その言葉を私は忘れてない。私は――悲しいことがあったらそなたの元へ行くとしよう。涙をぬぐってもらうために」
「あ、ああ、そのそれは! 忘れてください! 忘れてくださいー!!」
恥ずかしくて手をぶんぶん振るスニを見て、ソリョンは首を伸ばした。きっと人間なら、大いに笑っているところなのだろう。
それからしばらくして、ソリョンは再び海の中へ消えた。スニはくるりと向きを変え、歩き出す。足取りは軽かった。小さなうさぎの娘は、はずむようにうさぎが跳ねるように、自分の世界へと帰っていった。
竜王とうさぎの娘 原ねずみ @nezumihara
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