第三章 うさきが走る

1

 海の王国での暮らしは続く。スニには一つ困ったことがあった。それは暇だということだ。


 夜、わずかな時間、ソリョンと話をする。それ以外にすることがない。陸にいたときは、ハナの、お嬢様の世話をあれこれとしていたというのに……。ある夜、スニは勇気を出して、そのことをソリョンに訴えてみた。


 ソリョンは意外そうな顔をしていた。そして対策をこうじてくれた。スニに昼間の仕事を与えてくれたのだ。


 それは――占師たちの小間使いとなるということだった。かくしてスニは海の王国の占師たちの下で働くことになった。




――――




「陛下から聞いたわよ。今日からかわいい小間使いがやってくるんですってね」


 スニが占師たちの部屋に初めて入ると、明るい声が出迎えてくれた。海の王国に来た日、控えの間で会った美しい女性、ユソンだ。


「あら、サミも一緒なのね」


 スニをここまで案内してきたのはサミだった。サミは相変わらず優雅で飄々としている。


「あなたも私たちの仲間だしね」


 ユソンはいたずらっぽい笑顔で言った。スニは驚いた。そういえばサミが宮殿内でなんの仕事をしているか、知らなかった。


「あなたも占師なのですか?」


 スニがサミに尋ねる。サミは穏やかな笑顔で言った。


「ええ、ですが、ユソン様とは違う占師ですよ。ユソン様は未来を見ます。けれども私は――過去を見るのです」

「過去」

「くらげは古い生き物ですので」


「私はヒトデなの」ユソンが話に入ってきた。そして、ずい、とスニに顔を近づけた。「私の目をよく見てちょうだい。目の中に星があるでしょう? ヒトデと同じ形をした星が」


「え、ええっと……」


 スニはユソンの目をのぞきこんだ。長いまつげとくっきりした白目。そして暗い色の瞳がスニを見つめている。ユソンは愉快そうに笑って、スニから離れた。


「冗談よ」


 よくわからない冗談だな、とスニは思った。


 室内には机がいくつか置かれ、壁には本棚が並べられ、その中にはたくさんの書物が詰まっている。スニはそれを見回しながら言った。


「過去ということは……歴史書を書かれるのですか?」

「それはそれを専門としている人々の仕事ですよ。私たちが助言を与えることはありますが」サミはおだやかに言った。「私たちはもっと――古い過去も見るのです」


「もっと古い過去?」

「そうですよ。この王宮がまだここになかった頃のような」

「神様がこの世界を作られた、その直後の頃とか」


 ユソンが口をはさんだ。サミは苦笑した。


「それはいささか古すぎますね。もちろん、そういった物も見ることができればいいのですが――。それよりも少し新しいですよ」


 神様が世界を作られた直後ですって! スニは興味がわいてきた。一体それはどんな世界だったんだろう……。わくわくしているスニの横で、サミは少し残念そうに笑った。


「でもぼんやりとしか見えないのですよ、過去はいつも。私たちはそのぼんやりとしたものをなんとか形にしようと、解明しようとしている」


「未来もよ」ユソンも言った。「未来もぼんやりとしかわからないの。だから、明日この部屋で何が起こるか、正確に予言するのは無理ね」


「あの……」スニは勇気を出して声をあげた。ここで一応訊いてみたい。自分はどうして――ここに連れて来られたのかを。


「あの、私はどうしてここにやってきたのですか? 具体的に、何をすればいいのですか?」




――――




「それはね……」ユソンが困ったような顔をしてスニを見た。「私たちもよくわからないのよ……」


 わからない! 海の王もそう言っていた。スニはがっかりした。結局誰も、この海の世界のものたちは、スニの役割をよくわからないまま、ここに連れてきたのだろうか。


一羽のうさぎが王を癒すという、ただそれだけの、ぼんやりとした予言のために――。


「ごめんなさいね」ユソンがスニに謝った。「もっとはっきりとしたことが言えればいいのだけど。何しろ未来はおぼろげなものだから……。でもね。あなたの胸の内に何か良いものがあるの」


 ユソンはそう言って、自分の胸に手を置いた。つられてスニも同じ格好になった。


「胸の内に……良いもの?」


 スニはつぶやいた。なんだろう。良い……良い心、とか? そりゃあ悪い心が入ってるとは思わないけど、はっきりと「良い」とは言えるだろうか……。


「それは奇跡を起こすのよ」どこか夢見るように、ユソンが言った。「奇跡を起こして――そうして、陛下の抱えてらっしゃる問題が解決するの。だから私たちはあなたを呼んだのよ」


 奇跡――。スニは胸に手を当てたまま考えてみる。この身の内に入ってるものが、何か奇跡を――。スニははっとした。それってまさか、うさぎの肝が薬になるってことじゃないでしょうね!?


「あ、あの!」若干おびえながらスニは言った。「肝は渡せませんよ!」


「肝?」


 ユソンが不思議そうな顔をする。隣でサミが言った。


「古い話があるでしょう? 海の王の病にはうさぎの肝が良い薬になり、そのためうさぎが騙されて竜宮へ連れてこられる話ですよ」

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