第5話 一件落着

「な、なんだ?」


 放たれた蹴りは俺に届くことはなかった。


 横っ腹を捉える寸前で俺がその脚を掴んで止めたからだ。


 坂本もそのような展開を予想しておらず、かなり焦りが生じ始めている。俺としても、ここで悪目立ちをするのは今後の学校生活に影響しそうなので、お互いのために早くこの場から去ってほしい。



『さすが。やるじゃない』



 うるせえよ。あとこれ、絶対幻聴じゃねえな。


 いい加減出てきて欲しいところなのだが、ずっと安全圏で見ている方が面白そうだな。


「ちっ。クソッ‼」


 脚を下げた坂本は野々井の横を通り一瞥すると、何も言わずに背中を見せて去っていく。取り巻きたちもそのあとを着いて行くと、俺たちを囲っていた烏合たちは一幕が終わるや否や、自分たちの日常に雲隠れしてしまう。


 観劇代くらい取ればよかったな。


「愛花くん」


 気づかわしげに野々井が近付いてくる。


「大丈夫か?」


「私は平気だけど……その、愛花くんってやっぱり強い人なんだね」


「うん?え~っと」


 隠し事は多い方が開ける人が心を躍らせるのだ。だから自分のことを語らない。それが俺の哲学だ。


 俺はいつだって宝箱を開ける側でいたいのさ。


「大丈夫かい⁈」


 すると、先の騒動を見ていたであろう食堂の女性スタッフが慌てて近付いてきた。


「俺は平気ですよ」


「私もです」


「なら良かったよ。とりあえず今日は私が食器を片付けておくから、早く教室に戻りな」


 事件を見ていた生徒が食堂外の生徒を連れてくる前に、帰らせてくれようとしているのか。それならこちらとしても大変ありがたいし断る理由もない。


「ありがとうございます。ではこれで」


「あ、ありがとうございます」


 俺たちは軽く会釈してそのまま食堂を出ていく。


 別々に戻ったほうが良いと提案しようと思ったが、まあ俺も彼女もそのようなことはあまり気にしないタイプだと判断したため喉元で止めた。


「愛花くん。さっきはありがとう」


「別に気にすることじゃない。それに、正直に言ったほうが良いと俺が提案したんだ」


「ううん。私だけじゃ決められなかったら、愛花くんがいてくれてよかった」


「別に難しいことはしてないさ。でも、何もなくて良かったよ」


 怪我人が生まれる前に終わったことが不幸中の幸いだ。


 だが、あの男のことだ。交えた会話は少ないが、きっとまた何か仕掛けてくる様子を見せてきたため注意を払っておいた方が身のためである。その時が来たときに野々井が対処できるかどうか定かではないだが、それでも俺は少しくらい役に立てるはず。


「なあ」


「あのっ!」


 俺が話題を変えようとした瞬間、野々井と声が被る。かなり大きな声だったので、目が飛び出てしまいそうなほど見開いてしまった。


「先に話していいぞ」


「えっ、ええっと。いや、先にどうぞ……」


「連絡先を交換しないか?」


「えっ!」


 再び大声を出した野々井に、俺もまた目を見開いて驚く。


「私も同じことを考えていたの」


 運命だね!と言ってしまいそうな勢いのまま彼女はスマホを取り出す。やはり彼女もそういう不安を抱えていたのだろう。


 俺もスマホを出して連絡先を交換すれば、可愛らしいウサギのスタンプが送られてきた。


 てか、俺に対して強いと言った時に『やっぱり』という言葉があったのはどんな意図だ。


「さっきの話なんだが……」


「おーい!沙羅~」


 すると野々井の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。遠くで手を振っている友達を見つけると、野々井も小さく手を振り返す。その友達をよく見てみると、今朝も今みたいに元気いっぱいでいた園部菜々だった。


「愛花くんさっきの話がどうしたの?」


「いや、何でもない」

「そっか。じゃあ、またね」


 俺を見上げて、まろやかな笑みとともに去っていく。気を抜いてしまえば、それにやられて夢中になってしまうほど自然な表情。誰かが笑顔になる理由が自分なら嬉しいに越したことはないが、他に理由があったとしてもそれを見せてくれるのはどちらにせよ嬉しい。


 彼女に対して何も思っていないとしても、そういうことへ無意識に手を伸ばしてしまいそうになる。ただ興味本位なだけ。


 恋と似て非なる感情を持つのは罪か。いっそ冒険とでも呼んでやろう。


「今日は面白かったな」


 この短時間で深く心を満たしてくれる出来事が多々起こった。


 頑張って偏差値の高い学校に入って正解だな。


「さて、授業でもサボろう……いや、さっきの授業の復習でもやってみるか」


 相も変わらず勉強は大嫌いだが、一歩ずつしっかりやっていこう。


 教室に戻っても、俺たちのことを話題にあげたり気にしたりする人間は一人たりともいなかった。そもそも知られてないだけかもしれないけど。


 自分の席に座れば、隣の子に視線を送ってみる。


 先ほどのことを気に掛けてくれるわけでも無く、ただ黙って授業の復習に没頭する姿に呆れの感情を引っ張り出すのも億劫になった。何か一言くらい心配してくれてもいいじゃないか。


「勉強は捗ってるか?」


「ええ、厄介なことは全てあなたに請け負って貰ったから」


「俺は便利屋じゃねえよ」


 俺と目を合わせてくれもしない。こんな性格で生きていけるのだから、彼女に関わる人たちは相当無理をしているのだろう。そう考えれば、もしかして俺って相当良い奴なのではないのか?


「いや、そうだな」


「はっ?」


 走るようなペンが止まり、おかしいと思ったその瞳と眉間に寄った皺がこちらに突き刺すみたいに見つめてくる。目が悪いのかそれとも愛想が悪いのかこの際どうだっていい。


 そんな彼女にほくそ笑んでやった。


「俺は良い奴だからな」


「………」


 何も言わず、じっと見つめてくる彼女に対抗して俺も目を逸らすことはしない。そう続けていれば、きっとお前の心でさえも見つけ出すことさえできそうだ。


 俺は俺の楽しみ方でこの生活を謳歌する。


 そして自分の未来につなげていくのさ。


「あなたやっぱり変人だったのね」


「えー」


 冷たいのはやっぱり同じだ。でも、少しだけ変わったことがある。


 犬井崎が少し笑ったくれた。


 彼女が教科書に視線を戻したせいでしっかりと見ることが出来なかったのだが、目じりが下がり控えめにえくぼを作っていたのだ。そんな面差ししてくれたら、今日は犬井崎に話しかけて正解だったよ。


 なあ、運命の女神。


 お前の目的は分からないが、きっとこういう小さな選択の先にお前は居てくれるのだろう。春風のようにきっかけを与え続けるくせに何の責任も取ってくれない、ぐうたらな女なの娯楽に付き合っているだけだ。


 だが、そんな振り回される人生もたったひとつの喜色だけで鮮やかになる。


 あの女も想像していないだろうに。



 いや。きっと、あいつも期待したいと思ってたりしてな。

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