盗賊
青ざめたリセリアの声は震えていた。
そう離れてもいないのに、社交会場のざわめきが遥か遠くに聞こえる。
「やはり。僕は王家の関係者なら全員把握しているが、あのレディは見覚えがない。リセリアの親族である僕が式典に参加している間に潜り込んだんだね」
「盗賊…」
俺は独り言ちる。心当たりがないわけではなかった。
勇者一行のパーティーには、盗賊の
だがその登場は、こんな序盤ではない。
アスティエルはその胸のタイを緩め、純白のジャケットを脱いだ。
「キルリア」
バルコニーの会場側に立っていた衛兵のひとりが、団長の声に応じて推参する。
「会場に鼠が潜り込んでいる。紫陽花色のドレスを着た令嬢。黒の長髪で、身長は俺より僅かに低い程度だ。目立たないように振る舞っている筈だから、ひとりで輪の外にいる者を優先して調べてくれ」
衛兵は静かに頷いて、団長のジャケットを受け取る。アスティエルはシャツの袖を捲り、後ろざまに俺とリセリアを見た。
「僕も捜索に参加する。レイ君。リセリアを頼んだよ」
その爽やかな微笑からは、切迫した念押しのようなものが感じられた。
◆
バルコニーから遠巻きに見ていても、会場の雰囲気は変わっていた。
貴族の社交場という機能はそのまま、集う人と人の間に、蜘蛛の巣のような衛兵の調査網が展開されている。
その機動は円滑にして迅速で、犯人はすぐに捕まるだろうと思わずにはいられなかった。
「リセリアのお兄さんは、すごいな」
俺は言った。純粋な感嘆のつもりだったが、その声には苦虫を噛み潰すような劣等感が含まれていた。
「はい。私の、自慢のお兄様です」
王国騎士団長、『輝ける流星』のアスティエル。生まれながらの天才で、リセリアの完璧な兄。
俺とは、天と地の差だ。
「盗まれたカメオは、お兄様が王国騎士の団長になったときにくれたものなんです。『僕はもうリセリアの傍にいてあげられないけど、このカメオがきっと護ってくれる』って」
「大切な、ものなんだな」
「…はい」
リセリアはまだ少し潤んだ瞳で、夜空の星を眺めていた。
その綺麗な貌が、俺には遥か遠くに思えた。
「リセリア様!」
センチメンタルな静けさを打ち消したのは、王国衛兵の声だった。
「王宮から少し離れた富裕区にて、犯人を捕縛しました」
速い。これが王都騎士団の連携力。あろうことか犯人は脱兎のごとく宮殿を抜け出していたというのに、まるで逃げ切れなかったのだ。
「団長も既に現場へ向かっています。騎士様と共に、用意した馬車へ」
「はい!」
俺とリセリアは伝令の衛兵と共に、宮殿の裏口に止まっていた馬車に乗り込んだ。
御者が激しく鞭を打ち、馬が嘶くと共に馬車が走り出す。
カーテンから僅かに覗く薄闇の街には、確かに人々の暮らしが根付いていた。こうして人が生活している様を見ると、これから『この世界で生きていく』という実感が、妙に際立つ気がした。
この世界。ゲームの中。シナリオを知っている、世界。
「…捕まえた盗賊は、ミーアと名乗りませんでしたか?」
気づけば俺は、向かい合って座る伝令にそう訊いていた。
盗賊ミーアはいずれパーティーの一員となるキャラクター。何かの手違いで、処刑などされてはまずい。そう思ったから、訊いた。
違う。
俺が確かめたかったのは、ここが俺の知る、つくりものの世界であるか、どうか。
伝令はきょとんとした顔をして、笑った。
その笑いに俺は、悪寒を感じた。
彼の笑みは、これまでにこの世界で見てきたリセリアやアスティエルの笑顔とは本質的に異なっていた。唐突に冷や水を浴びせられたような感覚。奇妙な違和感が、俺の背筋を凍らせる。
ぐうぃっと、伝令は己の指を、その頬に突っ込んだ。掴み取るような手の動き。顔の皮がゴムのように歪み、男は己の貌を、引きはがした。
「そうだ。盗賊の名は、ミーア」
艶めく黒髪。柳眉が魅せる、鋭い眼差し。
伝令の男という皮を剥いでその姿を露わにしたのは、盗賊・ミーアの顔をした、少女だった。
「そして、アンタと同じ、転、生、者」
少女は悪魔のように、笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます