勝利

 ぽた、ぽた、赤い雫が地に落ちる。


 自分の体を貫いた剣。俺はその柄を震える両手で握りしめて、確かな手ごたえを感じていた。背後から、喀血かっけつの音が聞こえる。自分自身を突き刺した刃は、その背で刀を振り抜かんとした侍を確かに捉えていた。


「…我は魔王四騎士が一、白い牙の虎道」


 戦士は俺の背で、静かに名乗った。


「戦にて俺に傷をつけたのは、貴様が我が生涯で二人目だ。名乗れ、闘士よ」


「…レイ。リセリア・フェルグリオの護衛騎士、レイだ」


「フフフ、裸の騎士、か。その名、憶えておこう」


 言って、ない。


「やはり逢瀬の際は刹那よな。迎えが来たようだ」


 轟音、そして颶風。何が起きたのかわからなかった。虎道との会話、そのすべてが吹き飛ぶような衝撃。気づけば、俺の右上腕から先が無くなっていた。

「なっ…」


 さっきまで虎道がいた場所には、洗練された意匠の長剣が三本突き立っている。右腕の喪失はその剣の仕業ではない。瞬きをおいてゆく速度で俺の正面に立った虎道は、優雅に血振りをする。


 彼は、俺の右腕を手中に収めていた。


 さらなる爆風。虎道と俺の間を阻むようにして飛来したそれは、人であった。


 剥げた大地から砂塵が舞い上がる。膝立ちの人影はゆっくりとその身を起こし、土霞の緞帳が開くと同時に、虎道が呟く。


「流星の騎士」


 壮麗な群青色のマントが風にはためく。豪奢ごうしゃな鎧に身を包んだ蒼髪の騎士は、ちらりとこちらを振り返った。


「無事か」


「お兄様…!」


 リセリアの声は、歓喜と安堵に満ちていた。


 輝ける流星のアスティエル。この男は王国騎士団長にしてエルグランド最強の呼び声高き筆頭騎士。そして、リセリアの兄である。


「君がレイ君だな」


 アスティエルはゴミクズとして横たわる鎧と、全裸隻腕の俺を見て言った。


「到着が遅いので来てみれば、なるほど凄惨な闘いだったんだな」


 援軍の到着で気が緩んだのだろうか。羞恥という感覚が、一斉にこみ上げてきた。俺は股間とケツを隠そうとしたが、右腕が無いので股間しか隠せなかった。


「よもや王都最強を謳う『流星』に見えるとは、まさに奇縁よ。しかし、今の某は既に収穫を得た後でな」


 虎道はにやりと笑って、俺の右腕を示すようにして見やる。


 不死身の能力。どれだけ深手を負い、死に至ろうと、俺は何度でも蘇ることができる。だがどうやら、欠損した部位はそれがある程度の近距離に存在しないと接合が行われないらしい。そして、俺の関節から新しい右腕がずりゅりと生えてくるといったことは無さそうだ。


「騎士よ。貴様は再びこの俺と相まみえ、雌雄を決する運命にある。この腕は、その時まで俺が預かっておくとしよう。再度の決戦までに、戦士としてより高みへと至るがいい。そして──この腕、必ず取り返しに来い」


 白い牙の虎道。その生きざまは、ただひたすら強者と鎬を削り、己自身を高めること。


 俺は今、認められたのだ。


 俺が静かに首肯したその時。一閃のつむじ風が吹いた。侍の姿はすでにそこになく、アスティエルが小さく安堵の息を漏らす。


「魔王四騎士の虎道。実際、今の僕ひとりじゃ手に負えない相手だよ。ありがとう、レイ君」


 撃退。それは在り得ない筈のシナリオ。決してゲーム中に用意されていなかった、第二のルート。それを俺は、掴み取ったのだ。勝つまで殺され続けるという、地獄の選択で。それは俺の、初めての勝利だった。


「俺は、ただ…」


 負けたくなかった。その強い気持ちは、だが由来が判然としない。リセリアを護るため。あるいは、うしろめたい過去へ復讐するため。後から思えば、たくさんの想いが重なっていたのだろう。


 アスティエルがその手を差し出す。


「僕はリセリアの兄で、王国の騎士団長。…僕には、いささか荷の勝る肩書だけどね」


 ぎこちなく微笑んだ彼にてらいは無く、それは純真な謙遜であるように思えた。


「あらためてよろしく。リセリアを、頼んだよ」


 俺は彼の手を握り返した。その力が思ったよりも強かったので、思わず瞠目する。


「それと、良ければなんだが」


 草原に再び風が吹く。その疾風は澄み渡るように晴れやかで、どこか旅立ちの予感がした。


「──服を、着てくれ」

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