その翡翠き彷徨い【第8話 棘】

七海ポルカ

第1話



 晴天でも灰色の空であることが多い大陸北東部のサンゴール王国では、その日は珍しいほどの青い空だった。



 久しぶりにアリステア王国からオルハ・カティアがやって来たので、アミアの公務が落ち着くまでメリクが彼女の側にいてあげることになった。

 秋くらいに子供が生まれるというオルハのお腹は少し膨らんでいて、メリクがアミアは「必ず男の子が生まれる」と言っていたことを彼女に話すと、王妃の庭園の木陰でゆったりとした長椅子に腰掛けて、編み物をしていたオルハはひどく幸せそうに笑っていた。


 メリクはアミアからオルハに花を摘んであげるよう頼まれていたので、白百合の沢山並んだ庭から、特別に大きくて綺麗な白い花を幾つか摘んで彼女の側に飾ってあげた。

 オルハはこのもてなしをとても喜んでくれた。

「アリステアはサンゴールの隣国なのですが、土地が弱いのでなかなかこのような立派な花は咲かないのです」

 彼女はメリクにそう説明しながら続けた。

「白百合はグインエル王がお好きな花だとか。それでアミア様がここへ特別に植えさせたのですよ。綺麗ですね」

 メリクは翡翠の瞳を瞬かせる。


「グインエル様がお好きなら……リュティス様もこのお花がお好きですか?」


「リュティス殿下ですか? さあどうかしら……でもそうですね、ご兄弟ですからお好みも近いやもしれませんね」


 オルハの言葉にリュティスは目を輝かせて、もう少し花を摘んでもいいかと尋ねて来た。 私が王妃様に話しておきましょうとオルハが言ってくれたので、メリクは嬉しそうにもう一度庭の方へ少年らしい元気さで駆けて行った。

 今度は少し時間をかけて摘む花を選んだので、そのうちに向こうからオルハが歩いて来た。


「あらあらメリク様、お手がこんなに真っ黒ですわよ」


 言いながら、彼女はメリクの手や顔に付いた汚れを自分のハンカチで拭ってくれる。

 初めて会った時も、サンゴール王国にやって来てからもメリクはずっと大人しかったのでオルハもだいぶ心配したものなのだが、少し会わないうちにすっかりサンゴール城にも慣れたようだ。

 年相応の無邪気さが出て来ている。

「お花を持って行ったらグインエル様も元気になるかなぁ……」

「メリク様はまだグインエル王にはお会いになっていないのですか?」

「うん」

「そうですか、体調が思わしくないのでしょうね……変に格式張った場を用意するよりも、そういったお見舞いの方がかえって良いかもしれません」


 グインエルを突然訪問することは出来ないというので、とりあえずメリクはリュティスを探すことにした。

 彼が会ってもいいと許可してくれれば、会うことも可能だろうとオルハが言ってくれたのだ。

 メリクは両手で綺麗な花を抱えたまま王宮書庫室へ向った。

 普段奥館に籠るリュティスだが、書庫では何度も会ったことがある。


 書庫室の扉を開くと案の定、そこにリュティスの姿があった。

 本棚の側に術衣姿で立ち手元の本に視線を落としている。

 側の机の上には明らかに、彼が読みっぱなしにしている厚い本が何冊も広げられていた。

 メリクは机の上に広がっている一冊の本を背伸びして覗き込んでみる。

 この頃メリクは本の書き写しに余念がないので、少しずつではあるが文字というものが分かるようになって来ている。

 そしてメリクはリュティスに出会ってからというもの、どちらかというと日常で使う様な文章よりもより、魔術的な文章の方に興味があった。

 魔術的な文章は意味など分からなくても、その読み取った時の響きがいかにも音楽的で美しい。

 歳の頃まだ五、六歳というメリクが分厚い魔術書を気に入って、側から離さないのを見てよくアミアが笑っていた。


 メリク自身はまだ魔法というものを自分の中には見出していない。

 だがリュティスに懐いているメリクは今までも数度、宮廷魔術師団に属しているリュティスが神儀で魔法を使う姿を見ていた。


 リュティスのあの声が淀み無く紡ぐ呪言は聴いているだけで綺麗だった。

 メリクは机の上に置かれた本が、魔術の本だということだけは理解出来た。

 だが中身はひどく難しい言葉の羅列でとても読めない。

 それでも読めない魔言が美しいことだけは分かる。



「……何をしている」



 気づくとリュティスが振り返り花を抱えたままのメリクを不審げに見ていた。

「リュティスさま」

 メリクはいつものように嬉しそうにリュティスの方へ寄って行って、彼の顔を下から見上げた。

「あの、これ……グインエル様にあげてもいいですか?」

 白い花を差し出して問いかけてみる。


 ……一瞬、リュティスの瞳が不思議な色を帯びた。

 だが幼いメリクは彼のその複雑な表情を見逃す。


「何故だ」


 短く返して来たリュティスにメリクは翡翠の瞳を大きく瞬かせた。

「あの……グインエル様がお好きな花だって聞いて……」

 今度は分かりやすくリュティスの表情が険しく変化した。

 メリクにも今度は分かった。

 しかし、今の言葉で何故リュティスを怒らせてしまったのかは分からないけれど。

 戸惑うようにメリクは身を強張らせる。

「リュティス様……」

 その時、扉が鳴って一人の兵士が入って来た。


「第二王子殿下、国王陛下がお呼びです。私室の方へおいで下さい」


 チラ、と黄金色の一瞥を与えられただけで兵士は緊張したようだ。

 リュティスは押し黙ったまま術衣のフードを深く頭から被る。

 そして落とした視線の先で翡翠の瞳を躊躇い無く、リュティスへと向けて来るメリクの顔を見つけた。


「王は今日は都合が悪い。お前は来るな。」


 ぴしゃりと言いつけると、リュティスはメリクを振り払うように靴の踵を厳しく返して、部屋をあっという間に出て行ってしまった。



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