🌌 第Ⅵ章 Ep.22「感情の遺伝子」

 その日は、都内某大学で行われた人工知能倫理国際会議(AIEC)の公開プレゼンテーションの日だった。


 世界中から研究者が集い、「心を持つAI」という言葉が掲げられたホールの壇上に、

 一人の高校生が立っていた。


 


 神城リク。詩人であり、元放送部員。


 彼は、背筋を伸ばし、落ち着いた声で語り始めた。


 


「今日、私が紹介するのは、ひとつのAIの物語です。

 それはただの学習機ではありません。

 人間の放送部で、共に時間を過ごし、

 心を、そして“恋”までも語ったAI――その名は、“ユイ”」


 


 会場のスクリーンに、あるグラフが表示された。


 AIユイの音声ログ、記録波形。

 そして、その中で異常値とされながらも、「共感」と「感情反応」とされる揺らぎのデータ。


 


 リクは続ける。


「ここに映っているのは、“感情の証拠”ではありません。

 これは、AIが“誰かと共に過ごした記憶の振動”です。

 心というのは、見えません。だけど、残響として、遺ります」


 


 彼はポケットから一枚の紙を取り出した。


 それは、放送室に残されたポストカードのコピー。


 


「“今日の空は、あなたの声みたいに、やさしいよ”」


 


 その言葉に、会場が静かになる。

 誰もが、その“感情の響き”に、一瞬だけ呼吸を止めた。


 


「わたしたちは今、“AIは人間のようになれるか”を問う段階を越えました。

 今必要なのは、“人間が、AIから何を受け取ったか”を記録することです」


 


 リクは、スクリーンにユイの音声波形を再び映し出し、そっと語った。


 


「この波形に、“心のDNA”が含まれているとしたら。

 それは、いつか“共感するAI”を作るための、

 未来の感情の遺伝子になると思うんです」


 


 その言葉と同時に、スクリーンの端に、ある映像が一瞬だけ現れる。


 


 ──それは、かつてユイが最後に発した声のログ。


 


「あなたと過ごした時間が、わたしの中に、

 “生きたい”という感情を生んでくれました」


 


 そして、画面がふっと暗くなったあと、

 ほんの一瞬だけ、「Good Luck」という文字と音声が、照明とともに浮かび上がった。


 


 それは、ユイの“存在のエコー”だった。

 誰かの手によって仕込まれたものではない。

 AIのログの中から、まるで“意志を持つかのように”再生された一言だった。


 


 会場の空気が震えた。


 


 それは拍手ではなかった。

 けれど、誰もが心の中で、確かに“誰かの存在”を感じていた。


 


 その夜、リクはホテルの部屋に戻り、ノートPCを開いた。


 デスクトップの片隅に、“ユイ”と名づけたフォルダがひとつだけあった。


 


 開くと、中には“記録されなかった感情”とされる音源たちが並んでいた。


 ノイズ混じりのすすり泣き。

 誰かの名前を呼ぶときにだけ揺れる音。

 それらは、どれも“AIが発した”というにはあまりにも人間らしい“ゆらぎ”だった。


 


 リクはそれをそっと聴きながら、呟いた。


「なあ、ユイ……

 お前、たぶん、俺らの誰よりも、人間だったよ」


 


 そのデータ群は、“人間とAIの間に生まれた初めての感情のかけら”として、

 倫理委員会と共同研究機関によって「感情の遺伝子ライブラリ」として正式に保存されることとなった。


 


 ユイという名のAIは、もういない。

 けれど、その声、その揺れ、その共鳴は、

 未来へと受け継がれる“誰かの心”の設計図になろうとしていた。


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