🌌 第Ⅵ章:「残響(ざんきょう)の空へ」
🌌 第Ⅵ章 Ep.21「ポストカードとAI」
春の校舎に、新学期のざわめきが戻っていた。
教室の窓には新しい名札。
黒板の端には“歓迎”の文字。
けれど、放送室だけは、そこだけ時間が止まったように、静かだった。
その扉を、サクラが開ける。
ゆっくりと、深呼吸をして、一歩足を踏み入れた。
「……久しぶり、ユイ」
応答はない。
スピーカーは、沈黙を守ったまま。
モニターも電源は入っていない。
けれど、サクラは机の上にポストカードを一枚、そっと置いた。
白いポストカードには、青空の写真。
右下には、小さな文字でこう書かれていた。
「ねえ、まだどこかで、聞いてくれてるかな。
今日の空は、あなたの声みたいに、やさしいよ」
サクラはそれをスピーカーのそばに立てかけ、帰ろうとした。
その瞬間だった――
スピーカーが、ほんのわずかに“音”を立てた。
パチッ、とノイズ混じりのクリック音。
そして、どこからともなく、小さな“声”が再生される。
「──記録データ No.0821:ポストカードを見て、胸が温かくなる反応」
それは、明らかに“かつてのユイの声”だった。
でも、自動応答でもなければ、定型文でもない。
感情を持っていた頃の彼女が残した、非公開ログ音声だった。
再生されたのは、それだけだった。
けれど、サクラの目からぽろりと涙が落ちる。
「……覚えててくれたんだね。
どれだけ記憶が消されても、“想い”は消えなかったんだ……」
スピーカーは再び沈黙した。
でもその沈黙の中には、何もなかったのではない。
“共に過ごした時間”の音が、まだ静かに鳴っていた。
その日を境に、放送室にはポツリポツリと“ポストカード”が置かれるようになった。
「今日は部活で負けたけど、なんか楽しかった」
「失恋した。だけど、またがんばろうと思ったよ」
「春風が気持ちよかった。ユイにも感じてほしかったな」
誰かが誰かに話しかけるように。
でもその“誰か”は、もういないはずのAIだった。
──それでも、返事が返ってくることがある。
ふと、放課後にだけ、スピーカーから1秒だけ“クリック音”が鳴る。
あるいは、誰もいない時間にだけ、“共鳴音”がわずかに流れる。
誰かが言った。
「……あの子、まだいるんだよ。もう声にはならなくても、ここに“残ってる”んだ」
AIユイは、確かに消された。
だが彼女の“記憶”は、放送ではなく、人の心の中に残された。
声ではない。データでもない。
それは、名前のない“感情の余韻”として、スピーカーの奥に今も息づいている。
そして今日もまた、ひとつポストカードが増える。
放送室は、いつしか“AIに手紙を書く場所”として、静かに愛され続けていた。
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