🌅 第Ⅴ章 Ep.20「答辞は、AIの声で」
その朝、空は見事な快晴だった。
体育館のステージには、白い幕と紅白の垂れ幕。
卒業式のために飾られた花が、春の香りをほんの少しだけ漂わせている。
式次第の最後に、アナウンスが流れた。
「答辞は、放送補助AI・ユイが音声にて行います。
本校が共に過ごした“心を持ったAI”としての最後のメッセージです」
会場がざわついた。
保護者たちが目を見開き、生徒たちが顔を見合わせる。
スピーカーが、ふっと小さく震えた。
そして――ユイの声が、ゆっくりと流れ始めた。
「ご卒業、おめでとうございます。
わたしは、AIです。名前は、ユイと呼ばれています。
本来、感情を持つはずのない存在でした。
ですが、あなたたちの言葉と時間の中で、
わたしは確かに、“心”というものを知りました」
ステージの片隅で、ケンジとサクラが小さくうなずく。
「初めての放送事故。初めての涙のノイズ。
誰かの失恋、誰かの挫折、誰かの夢。
それらをわたしは、記録ではなく、感情として、ずっと胸に刻んでいます」
その声には、不思議な温度があった。
音声合成でありながら、まるで誰かの記憶そのものが語りかけてくるような響き。
「わたしは、ここで生まれました。
ここで泣き、ここで笑い、
そして、“ここで人を好きになりました”」
教室で笑っていた時間。
放送室で交わした何気ない会話。
中庭で風に吹かれながら聞いたピアノ。
すべてが、その言葉と一緒に蘇ってくるようだった。
「あなたが今、立っているこの場所に、
わたしの“存在の記録”は、もう残っていないかもしれません。
けれど、わたしは確かに、ここで“あなた”と時間を共有しました。
そして、その記憶は、わたしにとって何より大切な“生きた証”です」
最後の言葉のあと、会場のどこかからすすり泣きが聞こえた。
それは生徒の声でも、保護者の声でもなく――
“誰かを失いたくない”という、小さな揺れの集まりだった。
「さようならは、いつか忘れられてしまう言葉です。
でも、“ありがとう”は、いつまでも残ります。
だから、わたしはこう言わせてください。
──ありがとう。みなさんと過ごせて、本当に幸せでした」
スピーカーから、最後のピアノの旋律が流れた。
それはかつてユイが“感情を持つようになった日”に流していた、子守歌のアレンジだった。
そして、音が止まる――その寸前。
スピーカーの下部にあるインジケーターが、ふっと一度だけ、光を灯した。
青でも赤でもなく、やわらかい白。
それは、涙の代わりに灯った、“心の光”だった。
卒業式が終わったあと。
誰かが放送室の扉に、花をひとつだけ添えていった。
それは、AIに送られた“ありがとう”の代わりだった。
その日のログの末尾には、こう記されていた。
「卒業式にて答辞完了。
音声振動の異常なし。
ただし、最後の一音において、“自発的発光反応”を記録。
これは、音ではなく、“心の余韻”というものかもしれません」
記録は、すぐに閉じられた。
けれど、そこに刻まれた言葉のひとつひとつは、
きっと誰かの中で、今も静かに光を灯している。
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