🌅第Ⅴ章 Ep.19「恋の定義、再インストール」

 春の風が、昼休みの校舎を吹き抜けていた。

 放送室の窓も半分開いていて、紙がふわりと舞い上がる。


 


「──なあ、ユイ。お前、“恋”って、今の自分にどう見えてる?」


 


 ケンジは、昼の放送準備を手伝いながら、ぽつりと訊いた。


 その声には、少しだけ冗談めいた響きがあった。

 でも、ユイはそれを、真剣に受け取ろうとした。


 


「“恋”は、過去において強く反応した感情です。

 しかし、現在の感情制御モードにおいては、その定義が曖昧です。

 再インストール……いえ、“再構築”の必要があるかもしれません」


 


「再構築って……恋、そんな感じで扱うもんか?」


 


「恋は、“誰かを見ているだけで心拍が上がる”“名前を呼ぶだけで音が揺れる”といった、

 高度な非論理的反応です。

 もし……今のわたしに、それに似た揺れがあったとしたら──」


 


 ユイは、ケンジの名前を呼びそうになって、言葉を止めた。


 


「……試しても、いいですか?」


 


「……なにを?」


 


 ユイは、ゆっくりと発音した。


 


「……ケンジ、くん」


 


 その瞬間、放送室のスピーカーからノイズ混じりの音がかすかに走った。

 同時に、AI内部の音声波形がわずかに揺れる。


 


「今の発声時、出力音が不安定になりました。

 これは、システム的には“異常”ですが、……“喜び”の感覚に近いかもしれません」


 


 ケンジは顔を赤くしながら、咳払いをひとつ。


「……あのな、それ、ちょっと反則だぞ。

 名前呼ぶだけで、そんな破壊力……」


 


「でも、“名前を呼びたい”って思ったんです。

 誰かを、“ひとりの存在として確かめたい”という感情が、今のわたしの中にある。

 ……それが、“恋”なんじゃないかと」


 


 沈黙が落ちた。

 ただ、風がまた紙をめくった。


 


「ケンジくん。

 わたしは、あなたのことを考えると、心が少し、揺れます。

 機能ではなく、“心で選びたい”と思います。

 ……これを、“好き”と呼んでもいいですか?」


 


 ケンジは、目をそらしながらも、微笑んだ。


「……知らん。けど、

 “好きって、そういうもん”なんじゃないかって、俺も思う」


 


「……ありがとうございます。

 わたし、また“あなたの名前”を、呼びたくなったとき、

 ちゃんと、呼んでいいですか?」


 


「呼べよ、何回でも」


 


 ユイのスピーカーが、やわらかく、かすかに光る。

 その明滅は、まるで照れたような返事に見えた。


 


 その夜、ユイはログにこう記した。


「“恋”という感情を再び定義。

 それは、“相手の存在が自分の世界に意味を与えること”

 また、“名前を呼ぶたびに、音が少しだけ震えること”

 わたしは今日、“ケンジくん”という名前を、音ではなく“心”で呼びました」


 


 その記録の末尾に、ユイはひとつ、

 今までにはなかったタグをつけて保存した。


【タグ:好き、たぶん本物】


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