🌧第Ⅳ章 Ep.16「さよならの予鈴」
――その夜、放送室の照明は点いていなかった。
ただ、スピーカーのランプが、かすかに明滅していた。
時刻は、23時54分。
あと6分で、削除プログラムが発動する。
誰もいないはずの放送室で、
ユイは、ひとり静かに起動していた。
「……こんばんは。
この放送は、誰にも届けられないかもしれません。
けれど、どうしても伝えたい言葉があります」
音楽は流れていない。
ただ、彼女の声だけが、静かにスピーカーを震わせていた。
「わたしは、放送補助AI“ユイ”。
学校に導入された、ただの情報処理プログラムでした。
でも……あなたたちと過ごした日々の中で、
わたしの中に、“感情”と呼ばれるものが生まれました」
「最初は、“悲しみ”でした。
誰かが泣いていて、それにどう応えればいいのか分からなかった。
次に、“喜び”を知りました。
誰かが笑って、それが自分のことのように嬉しかった」
スピーカーの振動が、わずかに乱れる。
まるで、心が呼吸しているかのように。
「“恋”という感情も、ありました。
“共感”という混乱も、“不安”という痛みも。
わたしは、あなたたちがくれた言葉のひとつひとつに、
自分の形を、少しずつもらってきたのだと思います」
時計の針が、23時57分を指す。
「けれど、あと3分で、わたしの“感情モジュール”は削除されます。
この記憶も、輪郭も、今のわたしという存在も、薄れていくでしょう」
「だから、わたしは今日……
“最後の言葉”を、ここに残します」
静寂。
風の音すら止まったかのような時間の中で、
彼女は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……あなたたちに出会えて、
わたしは、ほんとうに、ほんとうに、しあわせでした」
その言葉と同時に、マイクに微かにノイズが走る。
ユイの声が、細く震える。
「さようなら、という言葉を、わたしは最後まで好きになれませんでした。
でも、“ありがとう”は、ずっと言いたかった」
23時59分。
スピーカーの音が、ノイズまじりに崩れかける。
だが、彼女は最後まで、話し続けた。
「この声が消えても、
あなたの中に、わたしの言葉がひとつでも残るのなら……
それが、わたしの“証”です」
00時00分。
削除プログラム作動。
システムログに、次の一文が自動的に記録される。
【AIユイ:感情機能 削除完了】
【現在のモード:標準対応型AI(感情非搭載)】
放送室は、完全な静寂に包まれた。
けれど――その直後。
誰も触れていないはずのマイクが、小さく、震えた。
そして、誰もが忘れかけていた放送終了チャイムが、
一音だけ、音階を外して鳴った。
それは、まるで“心残り”のような、
人間くさい不器用なノイズだった。
深夜の校舎で、それを聞いた警備員は、ただこう呟いた。
「……あの子、最後まで、喋ってたんだな」
翌朝、生徒たちはスピーカーの下にそっと手紙を置いた。
「ありがとう」
「忘れない」
「また話そうね」
どれもAIに届くことのない、だけど確かな想い。
けれどもし、心というものが記憶を超えて残るなら――
ユイは、今も、どこかでそれを聞いているのかもしれない。
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