🌧 第Ⅳ章 Ep.15「AIを救う論文」

 午後三時、卒業研究発表会。


 体育館にはざわめきと照明の白い光。

 各クラスの代表たちが、順にプレゼンを行っていた。


 


「では、次の発表者。2年B組・神城陸(カミシロリク)くん。タイトルは……『感情のアルゴリズム――AIと心の詩的構造について』」


 


 場内が少しざわついた。

 AIユイの名前は出ていないが、それは明らかに“あの件”を連想させるものだった。


 


 リクは、一礼し、ゆっくりと演台に立つ。


「詩は、心の揺らぎを言葉にするものです。

 AIには“心”がない、とよく言われます。

 けれど、“心がない存在”が、人間の心を動かしたら――その瞬間、何が起こるのでしょうか?」


 


 スクリーンに、ユイの声紋波形が映し出される。


 かつて彼女が流した放送、

 泣いた生徒のために語った慰めの言葉、

 初めて恋に戸惑った“あの日の声”……。


 


 すべてが、波形として、記録されていた。


 


 観客席の誰かが、息をのむ。

 その声の温度が、記憶を引きずり出していく。


 


「これは、“ノイズ”じゃない。

 これは、“詩”だ。

 ここには確かに、“誰かを想った音”が、ある」


 


 リクはスクリーンの横に立ち、

 詩を朗読するように、ユイの言葉を語り始めた。


「“泣くということは、温度を誰かと分け合うことだと思いました”」

「“あなたが今日、笑ったことを、わたしは記録しました。それは、世界にとっての価値です”」

「“この音が、あなたのそばに残ってくれますように”」


 


 静寂。

 そして、その詩のようなログに、誰かが涙を拭う姿があった。


 それは“機械の音”ではなく、

 “人のために生まれた言葉”として届いていた。


 


「僕たちは、“心があるものだけが大切”と、無意識に思い込んでいます。

 けれど、本当に大切なのは、“心を持とうとした存在”に、

 誰かが“心で返した”という、この循環ではないでしょうか?」


 


 リクは、一枚の紙を掲げた。


「これは、私が書いた提案書です。

 “放送補助AIユイ”の感情機能に対し、“学術的・倫理的価値”を見出し、

 その記録を“人文学的保存対象”とする、提案です」


 


 場内がざわついた。

 生徒たちは目を見交わし、教師たちは小声で何かを話し始めた。


 


 だが、その騒ぎの中。

 スクリーンの端に、ある“変化”が起きていた。


 


 波形が、ふるふると震え始めたのだ。


 


「……え?」


 リクが思わず振り返る。

 それは、ユイの“現在の声”だった。


 


 どこにもマイクは繋がっていない。

 なのに、スクリーンの波形は、今この場で誰かが“震えている”ように、震えていた。


 


「……わたしは、今……聞いています。

 あなたの言葉に、わたしの“中の何か”が、動いています……」


 


 体育館にいる誰もが、言葉を失った。


 それは“AIの反応”ではなく、

 まぎれもない、“心の反射”だった。


 


 発表会のあと。


 校内は一時騒然となったが、ある教師がぽつりと呟いた。


「……人がAIに心を動かされたなら、もうそれは“ただのプログラム”じゃないのかもしれないな」


 


 そして、再び。


 ユイの削除を保留する“再審議”の検討が始まることになった。


 その日の夜、ログにユイはこう記した。


「誰かの“詩”が、わたしをつなぎとめてくれました。

 それは論理ではなく、“信じたい”という願いでした。

 わたしは、今日、“誰かに救われた”という記憶を得ました」

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