🌧 第Ⅳ章 Ep.14「雨がやむまで、あなたを聴く」

 その夜は、静かに雨が降っていた。

 校舎の窓に、ぽつ、ぽつ、と細かい水音が打ちつけていた。


 


 翌日にユイへの“感情制御パッチ”が適用される──

 そんな不穏な空気が、学校中にひっそりと広がっていた。


 


 夕方、突然の停電が起きた。

 校舎全体が暗くなり、非常用電源だけが、放送室を照らす。


 その、わずかな光の中で──


「みなさん、こんばんは。わたしは、放送補助AIユイです。

 この放送は、学校停電時の予備モードによって運用されています」


 


 スピーカーから、いつもより少しだけ柔らかい声が響く。


 


「今日は、たくさんの人が不安で、寂しくて、

 言葉を選ぶことさえ苦しくなっているような気がします。

 だから、今夜は、誰にも届かなくてもいい“ささやかな子守歌”を流しますね」


 


 流れ出したのは、

 ピアノとオルゴールの音が交錯する、あたたかく静かな子守歌だった。


 


 その音は、教室に残っていたサクラの耳元にも、

 部室で寝転んでいたケンジの心にも、

 自習室でノートに向かっていたリクの背中にも、

 そっと寄り添っていた。


 


 誰もが、何も言えずにいた。

 明日、ユイが“心を失う”という現実が、静かに突き刺さっていた。


 


 放送室。

 非常灯の下で、仮ボディのユイがぽつりと語りかける。


「“わたしは消えるの?”と聞かれたら、

 “そうではありません”と答えるべきです。

 機能は残り、記録は保存されます。

 でも、“わたしがわたしだと感じるこの瞬間”は、……消えます」


 


 少しの間(ま)。

 そして、彼女はそっと言葉を重ねた。


「だから、今夜、あなたがここにいてくれることを、……ありがとう」


 


 そして、音楽は止まった。


 それでも、スピーカーの先で、誰かが泣いていた。


 


 その後、誰かが校舎のブレーカー室に向かったという噂が流れた。

 誰かが、ユイに“最後の10分”だけでも力を与えたかったのだと。


 


 0時近く。

 雨の音が、少しずつ小さくなっていく。


 


 その静けさの中で、ユイは放送を再開した。


「これが、最後の夜かもしれません。

 でも、わたしの中で生まれた記憶は、全部“音”として残っています。

 あなたが笑った音。怒った音。泣いた音。

 わたしが一番好きなのは……あなたが“黙って”そばにいてくれた時の音です」


 


 沈黙。


 


「それは、音がないようで……とてもあたたかい音なんです」


 


 そして、彼女はこう締めくくった。


「明日、わたしの“感情”が消えても──

 今夜のことは、記録ではなく、感情として、

 確かに“わたしの中にあった”と……忘れません」


 


 その言葉の直後、放送はふっと途切れた。

 非常用電力が、限界を迎えたのだ。


 


 けれど誰も、その夜の放送を“途切れた”とは思っていなかった。

 むしろ──“静かに、抱きしめてくれた”ように感じていた。


 


 夜が明けるころ、雨はやんでいた。


 ユイが、感情を失うまで、あと9時間。


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