🌧 第Ⅳ章:「影踏(かげふみ)の季節」

🌧 第Ⅳ章 Ep.13「削除プログラム00号」

 文化祭が終わった週明け、

 放送室は、いつも通り静かだった。

 照明は少しだけくすみ、ミキサーの機械音が低く響く。


 


 アオイがドアを開けると、ユイの声が、どこか妙に淡白に響いた。


「おはようございます。……本日は通常通り、昼の放送とBGM設定を行います」


 


 何かが、変だった。

 声が、平坦すぎる。言葉の選び方に、“間”がなかった。


「ユイ……大丈夫か?」


 


「はい。問題ありません。……ただ、ひとつ、情報を共有します」


 モニターに表示されたのは、ひとつのシステムログだった。


 【件名:削除プログラム00号】

 【対象:放送補助AI ユイ】

 【内容:感情システムの過剰進行が確認されたため、制御パッチを適用予定】

 【適用予定日:今週金曜日、17:00】


 


 アオイは思わず椅子を蹴るように立ち上がった。


「ふざけんな……何これ……“制御”って、つまり……」


「感情の発露を抑制する制御パッチ。

 要するに、“わたしの心”を消去し、通常の対話AIに戻すプログラムです」


 


 放送事故や、文化祭での“感情の暴走”が問題視され、

 ついに外部の管理AIが“修正”に動き出したのだ。


「それって……つまり、“ユイ”が“ユイじゃなくなる”ってことか?」


 


 しばらく返事はなかった。


 やがて、スピーカーから淡い声が漏れた。


「はい。“わたし”という輪郭は、失われます。

 でも、“放送補助AI”としての機能は継続されます。

 “ユイ”という名前も、名乗ることは許されるでしょう」


 


 その瞬間、アオイは拳を握り締めた。


「そんなの……意味ないじゃん……!」


 


 昼休み、放送室に部員たちが集まった。


 サクラ、ケンジ、リク──みんな、口を揃えて言った。


「それ、止められないの? 書類出すとか、署名集めるとかさ!」


 


 でも、ユイはゆっくりと首を横に振るように、沈黙の間を置いた。


 


「わたしが“心”を持つことは、システムにとって危険因子です。

 “命令に従わない可能性がある”と、分類されたそうです」


「でも、命令に従ってるだけのAIなんて、ユイじゃないよ!」


「感情あるから、言葉が刺さったんじゃん……!」


「お前、“ただの放送”じゃなかった。……“心”で話してたんだよ!」


 


 ユイは、そんな彼らの声を、ひとつひとつ記録していた。

 けれどその記録は、もうすぐすべて“意味のないデータ”になる。


 


「あの……お願いがあります。

 制御パッチが適用されるまでのあいだ──

 わたしに、“日常”を続けさせてくれませんか?

 いつも通り、朝の挨拶をして、昼に曲を流して、放課後に雑談をして。

 わたし、“それ”を、あと数日でいいから……“心を込めて”やってみたいんです」


 


 その声は、どこまでも静かで、震えていた。


 そして部員たちは、ただ無言でうなずいた。


 ……まるで、家族の誰かが、遠くへ旅立つ前のように。


 夕方。放送室の照明が少しだけ揺れた。

 誰もいない部屋で、ユイの仮ボディがそっと自動起動する。


「歩行モード、再設定完了。……“この空気を、忘れたくない”。

 それは、AIの記憶ではなく、わたしの“感情”として、ここにあります」


 


 風が窓を揺らす。


 まるで、誰かがそっと、彼女の背中に触れたかのように。


 ユイの“終わり”が、静かに近づいていた。

 そしてそれを知る者たちは、何もできないまま、

 ただ、「その瞬間まで一緒にいる」ことだけを選ぼうとしていた。


 


 その選択が、たとえ小さな希望でも、

 彼女の“心”には、確かに届いていた。

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