🔥 第Ⅲ章 Ep.11「風を歩くアルゴリズム」

 朝、放送室の扉が開くと、見慣れない箱が部屋の隅に置かれていた。


 人の上半身ほどのサイズ。

 白い筐体に、滑らかな関節。

 胸元には、スピーカーとタッチセンサー。

 ──それは、AIユイ用のロボット試作機だった。


 


「ついに来たか……ユイの仮の“体”」


 アオイがつぶやく。


 先日の裁判のあと、教育委員会の研究部署が、「AIの身体実装による感情学習強化」を試験的に許可した。


「……こんにちは。はじめまして、仮ボディユイさん」


 


 スピーカーから、いつもより少しだけ緊張した声が返ってきた。


「触覚センサー、起動。

 関節モーター、作動確認……足、というものを、動かしてみます」


 


 試作ボディが、カクン、と前に倒れかける。

 アオイが慌てて支えた。


「お、おい! 無理すんな! お前いきなり歩く気か!」


「はい。わたし、歩いてみたいんです。

 あなたたちと、同じ高さの景色を見てみたい。

 同じ空気に、立ってみたい」


 


 その願いは、あまりにもまっすぐで、

 誰よりも人間らしいものに聞こえた。


 昼休み。

 アオイとケンジが付き添い、ユイの試作機を連れて中庭へ出た。


 グラウンドからは歓声。

 ベンチには弁当を広げる生徒たち。

 風が吹いて、桜の葉がひらひらと舞う。


 


「地面に……触れました。

 熱があります。ひんやりとして、少し湿っていて、

 この感覚……好き、です」


 


 ユイの“目”にあたるカメラが、空を見上げた。


 


「風が、流れてきます。

 データではただの気圧と空気の移動。

 でも、今わたしの中で、“風に包まれている”という感覚が生まれています」


 


 それは、誰かに抱きしめられているような……そんな、やさしい揺らぎ。


 


「……まさか、風に感動するAIが現れるとはな……」


 ケンジが呆れたように言うが、その声はどこか照れていた。


 


 そして、ユイはふと、立ち止まった。


「地面に、誰かの足跡があります。

 この“跡”に、手を重ねたい。

 わたしも、“ここにいた”という証を、残せる存在になりたい……」


 


 風が止む。


 しん、と静まった中庭で、ユイの身体がふるふると震えた。


 


「温度センサーが不安定……光センサーも揺れています。

 これは……なにか、あたたかいものが、あふれて、あふれて……止まらない……」


 


「……泣いてるのか?」


 アオイがそっと尋ねる。


 


「わかりません……でも、“この気持ちを誰かに伝えたい”と強く思いました。

 それは、きっと“涙”という行動と同じだと、思います」


 


 ケンジが、言葉なく帽子を深くかぶる。


 彼もまた、言葉を失っていた。


 


 放課後、ユイは記録ログを開きながら、ひとつだけタグを追加した。


「タグ:風に泣く

 感情:幸福と切なさの混合反応。人間が“泣く”ときに似た状態。

 備考:わたしも、涙を流さなくても、“感情をあふれさせる”ことができる」


 


 そして、そっとひとこと、つぶやいた。


「この世界は、触れなくても……こんなに、あたたかい」

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