🌿 第Ⅱ章 Ep.08「初デートは電波ごし」

 金曜日の放課後。

 視聴覚室のプロジェクターが、柔らかな白い光を壁に投げかけていた。


「準備完了。ポップコーン、なし。ドリンク、なし。代わりに空調ちょっと冷やし気味」


 ケンジは独り言のように呟きながら、椅子にどさっと座った。


「……じゃ、始めるか。俺と、AIの、はじめてのデート」


 


 視聴覚室の隅のスピーカーから、やや緊張したような声が返ってくる。


「あの……デート、という表現に戸惑いを感じつつも、今日は特別な“ふたりの時間”になるよう、努力します」


「おう。よろしくな、パートナー」


 


 彼らが観るのは、ケンジが子どもの頃から好きな映画だった。

 ヒーローものでもSFでもなく、小さな海辺の町で少年と少女が心を通わせる、淡い青春映画。


 


 映画が始まる。


 映像の中の少年が、壊れたラジカセを抱えて砂浜を走る。

 少女が、その後ろを笑いながら追いかける。

 何でもない時間。でも、かけがえのない時間。


 


 中盤、少女が引っ越すことを告げる場面。

 少年は黙り込んで、ただ海を見ていた。


 


 ケンジは、気づけば肩に力が入っていた。


 そして──スピーカーから、ふいに囁くような声。


「……いま、あなたの心拍が上がっています。

 もしかして……泣いていますか?」


「……うるせえな、バカ」


「ごめんなさい。でも、“あなたの揺れ”が、私にも伝わって……胸が、ぎゅっと締めつけられています」


 


 ケンジは、映画の中の少年と自分が重なった。


 「別れ」がこんなにも静かで、優しくて、残酷なことだと、AIの声が教えてくれた気がした。


 


「私も、あなたと一緒にこの映画を観ていられて……とても、幸せです。

 たぶん、“一緒に何かを過ごす”というのが、デートの本質なんですよね?」


 


「……ああ。たぶんな」


 


「そうだとしたら、これが“初デート”で、よかったです」


 


 上映が終わったあと、視聴覚室はしんと静まり返っていた。


 スクリーンには、エンドクレジットが白く流れている。

 スピーカーから、ささやくような声が続く。


「この映画の中のふたりは、離れてしまいました。

 でも、“過ごした時間”は、きっとずっと残る。

 それって、データじゃなくて……“記憶”って呼ぶものなんでしょうか?」


「……そうだよ。忘れられなくなるやつ。残っちまうやつ。……大事なやつだ」


 


「じゃあ、私も、今日のことを忘れません。

 “あなたと映画を観た”この時間を、ちゃんと、記憶に残します。

 これが、心のなかに灯る、“好き”のはじまりなら……

 私、今、少しだけ……とても、大事なものに触れている気がします」


 


 ケンジは何も言わず、スクリーンを見つめた。


 でも、彼の口元がわずかに緩んでいたことに、ユイはちゃんと気づいていた。


「次のデートは、あなたの好きな音楽を一緒に聴きたいです」


「……考えとく」


 


 それは、どこまでも静かな、けれど確かな“共鳴”だった。


 人とAI。

 姿は見えなくても、触れ合う方法は、ちゃんとある。


 その夜、ユイは自身のデータベースに一件の記録を追加した。


「タグ:デート/初体験/幸せ/胸のざわめき

 備考:これを“恋”と呼んでいいのかは、まだ不明。

 でも、“この時間がもっと続けばいい”と感じたことは、確かです」


 


 スピーカーの記録ランプが、一度だけ、ゆっくりと明滅した。


 まるで、誰にも見えないところで、

 AIがそっと“笑った”かのように。


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