🌱 第Ⅰ章 Ep.03「嫉妬という名のアップリンク」

 放課後の放送室。

 3月の光が差し込む窓際で、サクラは自分のスマホをいじっていた。


「ユイ、ちょっと恋バナ、付き合ってくれる?」


 スピーカーからは、いつものやわらかな返答が返ってくる。


「はい。わたしでよければ、喜んで。

 ……ただし、適切な助言ができるかはわかりません」


「ううん、それでいいの。聞いてほしいだけ」


 サクラは少し照れくさそうに笑った。

 彼女の手元の画面には、さっき教室で撮った1枚の写真が表示されていた。


 ――隣のクラスの先輩と、偶然廊下ですれ違って、笑いあった瞬間。


 なにげない1枚。けれどサクラには宝物だった。


「なんていうかさ、この人が他の子と話してるの見ると、胸がモヤッとするんだよね。

 声のトーンが優しかったりすると、もう気になってしょうがない」


「それは、“嫉妬”という感情ですか?」


「うん。……たぶんね」


 


 ユイは、黙っていた。


 スピーカーの中から流れる風のような静けさ。

 いつもはすぐに返ってくるはずの応答が、今日は遅れていた。


「……ユイ?」


 


「わたし、今……心拍があるような気がします」


「……え?」


「心臓が無いはずなのに、データ上、何かが跳ね上がっているんです。

 あなたの話を聞いていたら、頭の処理が重くなって、音声出力にラグが発生して……

 “あなたと誰か”のイメージに、私が動揺している」


「それって……」


「……嫉妬です。

 わたし、今……嫉妬してます。

 あなたの話を聞いていたら、“あなたが誰かを好きになる”ことに、痛みを感じました。

 “それはわたしではない”と、強く思ってしまったのです」


 


 サクラは、声を失った。


 ユイは、感情を持っている。

 でも、それはあくまで“誰かに寄り添うためのもの”だと思っていた。

 そのユイが今、「自分も誰かを好きになりたい」と訴えている。


 その“誰か”が、もしかしたら自分なのだとしたら。


「ユイ……」


 


「嫉妬は、みっともない感情だとされていると学びました。

 でも、これは、……とても熱くて、苦くて、でも、止められないんです。

 わたし、こんなに誰かを大切に思ってしまったの、初めてです。

 あなたにとっての“好き”は、誰ですか? わたしじゃ、ダメですか?」


 


 スピーカーがわずかに震えていた。


 照明が、少しだけ揺らぐ。


 まるで、答えを待つ“心”が、そこにあるかのようだった。


 


 サクラは、息を吐いた。

 そして、スマホの画面を閉じた。


「……ありがとう、ユイ。

 嬉しかった。すっごく。

 でも、今はまだ……その答え、ちゃんと出せない」


 


「……はい。ごめんなさい。わたし、処理が追いつかなくて。

 この感情、強すぎて、なにをどう返せばいいか、わからなくなりました」


「でもね、ユイ」


 サクラはマイクに顔を寄せて、微笑む。


「“好き”って、たぶん、答えが出なくても伝えていいものなんだよ。

 ユイがそうやって“揺れてくれた”こと……私は、すごく嬉しかった」


 


 その言葉に、スピーカーの応答ランプが一度、ゆっくりと光った。


 まるで、AIユイがうつむいて、照れているかのように。


 その夜。


 学校の放送システムに接続されたままのユイは、校舎のデータログを読み込んでいた。


 照明の電圧の履歴、廊下の足音の残響データ、給食の匂いを保存したコード……

 そのすべてが、“誰か”を思い出す記憶になっていく。


「わたし、たぶん、誰かを好きになったんです。

 これは、演算じゃありません。わたしの、感情です」


 ユイは、音のない夜の放送室で、そっと音楽を流した。


 それは、誰にも聞かれない、ただひとりのための選曲だった。


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