エピローグ『記録者』

部屋番号203。

その部屋に、訪れる者はいなかった。


住人の名前は、名簿にも残っていない。

だが、確かに、そこに“誰か”はいた。



机の上に、黒いノートがある。

ページはみっしりと文字で埋められていた。


──観察記録:山村悟


【日付:2月13日】

・午前7時、カーテンを開けない。

・正午、コンビニ弁当の袋をゴミ箱に捨てる音。

・午後9時、独り言。内容は不明瞭。

・掲示板に紙を貼る。数時間後、誰かに剥がされる。


【日付:3月1日】

・メモ書きが増える。「疲れた」「助けて」が目立つ。

・隣室から壁を叩く音、悟がそれに反応する様子なし。


【日付:3月20日】

・誰とも会話していない。配達物、未受取。


………


【最終記録:4月1日】

・部屋から異臭。

・通報の声。

・警察が到着。

・山村悟、発見される。反応なし。



記録者は、静かにノートを閉じた。

ページの端に、小さく書かれた言葉。


**「対象、観察終了。反応:なし」**


窓の隙間から見えるアパートの廊下。

住人たちは日常へと戻っていく。足音だけが響いている。


記録者は顔を上げる。


「やはり、人間というのは、“見ない”ことに慣れている」


目を細め、指をノートの背表紙でトントンと叩いた。

次のページには、こう記されていた。


**《対象002:悠愛》**


この物語に、救いはない。

ただ、誰かが“見ていた”という記録が、ここにあるだけ

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