檻の中の信頼

篠原司

第1話 プロローグ

本作はフィクションです。登場人物・組織・出来事の多くは架空であり、現実の国家や歴史への賛否を直接に示すものではありません。

※史実と混同しないよう、一部出来事の年代や結果を調整しています



2014年2月 ウクライナ 独立広場


取り囲んだ警察と、民衆がウクライナ語で火花を散らす。

木材で即席に組んだ柵。瓦礫を積み上げたバリケード。

拳を握りしめ、ハンカチに火を染み込ませる若者たち。

──ここはもはや“抗議”ではない。

一線を越えれば、止まることのない暴力の奔流が待ち受ける。


"彼女"は、スーツケースをそっと止めた。

群衆の熱気に押されるような胸の高鳴りを感じながら、

両手で深く息を吸い込む。


「……失礼します、皆さん聞いて下さい!」


彼女の声は、銃声よりも鋭い。

群衆のざわめきが、一瞬だけ消えた。


「ここにいるみなさんの怒りは、本物です。

それを“演出”だとか“誰かに操られている”なんて、私は言いません。

その怒りは、この地に積もった悲しみと憎しみの証です。」


石畳に響く足音。

誰も動かない──ただ、星野絵里の声を待っている。


「でも、今夜ここで血を流せば、

その怒りは“未来を変える力”ではなく、

“次の暴力”を生む火種になります。」


群衆の中に、小さな動き。

誰かが手にしていた火の瓶をそっと置く。


「私は、『言葉の盾』を用意したいのです。

銃ではなく、法で。暴力ではなく、変革で。」


夜露を含んだ空気が、凍えるように喉を通り抜ける。

絵里は静かに俯き──そして顔を上げた。


「もし、この瞬間を力ではなく“言葉”で止められるとしたら。

みなさんは、その一歩を踏み出すことができます。」


焚き火の炎が、わずかに揺らいだ。

夜の闇の中で、ひとりの少女の声が、

凍りついた群衆の心に小さな炎を灯す。


──星野絵里。国際組織ISCFの担当官


場違いなほど小さな彼女が、この場で群衆と向かい合うまでの道筋を辿っていこう。

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