20.テント内の男たちの会話

 もう一方の天幕には狭い空間に男二人が寝転がる。


「……なあ、お前イルマになんかした?」

「何かって何ですか?」

「何かっつったら何かだよ」


 要領を得ないサミュエルの質問に、アーヴィンは答えようがなくだんまりを続けた。

 と、杖の先で頭をつつかれる。


「質問の意図がつかめないのでお答えのしようがありません」

「妙にあいつがお前を意識し過ぎている気がする」


 鋭い。

 さすがはレグヌス王国一の兄馬鹿だ。妹思いが度を超して変態の域に達しているが、観察力は神級だ。どんな些細な情報も、いつ彼女に関わるかわからないと無節操に集め続けた結果、王の起床時間まで把握しているとの噂が、まことしやかに流れている。


「そうですか?」


 とぼけてみる。


「そうだろう? 気付かなかったのか? あの可愛らしく焦っておたおたしていたのを」


 逃がしてもらえない。


「まさかっ! 昨日あの後部屋でいちゃいちゃ……」

「そんなわけないでしょう」


 いちゃいちゃしてたのはニクスとイルマだ。


「言っとくがなぁ! もしイルマに何かしようと思い立ったら、まず俺に報告しろよ?」

「許可制ですか……」


 なんなんだこの兄妹は。


「だいたい、どこでどう間違ったとしても、身分が違い過ぎるでしょう。あなたたちは六貴族のインプロブ。僕は単なる庶民ですよ。問題外です」


「馬鹿だな。若いなあ。いいか? あのイルマが政治に利用され、親が勝手に決めた相手に嫌々ながら嫁ぐような女だと思うか? 俺は想像できないね」


 確かに、大人しく従う姿など彼女には似つかわない。


「それに、俺も父上も可愛いイルマを無理矢理結婚させようなんて思わないしな。そこらへんは俺がしっかりやっておけばいいことだろう」


 貴族とは到底思えない返答に、アーヴィンはイルマの父のことを思い出した。インプロブ家の直系はイルマの母一人だった。イルマの父親は、貴族といっても底の底。名ばかりの貴族でインプロブ家との婚姻が認められたのは奇跡だと、当時噂されたそうだ。もちろんアーヴィンは生まれていない。すべて人から聞いた話だ。


 サミュエルやその父親が彼女に関してそんな風に考えているのは、もしかしたらそこが絡んできているのかもしれない。

 ちらりと、暗闇の中に浮かぶ金髪を盗み見る。

 イルマのためならば自分は政治に利用されようとも構わわないと言う。どこまでもイルマのために尽くすその姿には尊敬の念すら抱く。


 だが、それでいいのだろうか。

 彼にとって彼女はそこまでする価値のある相手なのだろうか。


「おいおい。お前今、サミュエル先輩可哀想とか考えてたんじゃないだろうな」

「そこまでは思ってませんよ」

「それなりに考えたってことだろう? 俺はいいの。貴族間のどろどろしたやりとり結構好きだし。女の子はみんな愛せちゃう性質たちだし」


「……僕はサミュエル先輩が結構一途だって知ってますけどね」


 ぴたりと、隣の軽口が止まる。


 学生時代、アーヴィンは共同部屋での読書が落ち着いてできないと、寮を抜け出して学校内で静かな場所を探した。教師たちはそんな彼を見て見ぬ振りをしてくれていた。事情があって人より長くフェンデルワースにいたし、彼の境遇を哀れに思っていたからだろう。


 ある日、警備の魔法使いから逃れるサミュエルを匿ったことがあった。


 頼むから見逃してくれとすぐそばで身を隠す結界を張る。だが、それがあまりに不恰好で、間違いなく見つかるなと思ったアーヴィンは、ほんの気まぐれから彼に魔法方程式をいくつか教えた。それにより、サミュエルはその夜発見されずに事なきを得た。


 後から、不埒者がフェンデルワースにたまたま滞在していた、とある王族の姫君の元に侵入したという話を漏れ聞いたが、その夜のこととつなげてみることはあえてしなかった。


 サミュエルが王宮の結界をも突破できるような方程式はないのかと言って来るまでは。


 悪用されては困るので一応用途を訊いたところ、愛のためだとそれだけしか返答がないので、丁重にお断りした。だが、匿ったときの方程式を応用し、自分でそれなりのものを作り上げたらしい。もともと結界方面に素質があったのだろうが、愛の力は恐ろしい。


「とにかく、そんな心配は無用です」

「なぜだ! あんなに可愛いイルマに、邪な気持ちを抱かない男の方がおかしいぞ? しかも最近は可愛いから美しいに移行中で俺ですらはっとさせられるときがあるってのに」


 そんなことは言われなくともわかっている。フェンデルワースを卒業したとき、まだ幼さを残していた彼女は、今では十分大人の女性だ。中味が外側に追いついていない分、そのちぐはぐさがまた魅力的だった。


 それでも、やはりその心配は杞憂だ。


「彼女は公平ですから」

「なんだそれは」


 イルマと同じ色をした男が、暗闇の中で形のよい眉をひそめているのが想像できる。


 彼女は、行動に常に理由がつきまとう。


 人の輪の中心から少し離れたところにいるアーヴィンを、ことあるごとに招き入れるのは、すべての人にそうやって声をかけているからだ。拒否も受け入れもしないアーヴィンを、外す理由が見つからない。だからイルマは声をかけ続け、自分は拒否しないことでその距離を保てた。


 アーヴィンと手紙のやりとりをするのは、研究所に他に同期がいないからで、本来アーヴィンでなくてもいいはずだった。


 今回の調査だって、本当なら自分でなくてもよかった。

 けれど、公平な彼女はアーヴィンに機会を与えた。


 ただそれだけだ。


 黙ったままのアーヴィンに、何を勝手に想像したのか知らないが、サミュエルは鼻を鳴らしてごそごそと背を向ける。


「そう思いたいなら思ってろ」


 なにやら一人憤慨して眠る体勢に入ったようだ。

 アーヴィンも暗闇の中瞼を閉じる。ちらちらと瞼の裏に映る魔力の光が、ぬくもりを感じさせるほど身近に迫ってきた頃、またポツリとサミュエルが問いかける。


「だいたいなんでついてきたんだ」


 寝たんじゃないのか。

 いや、あのサミュエル先輩だ。気を抜いていい瞬間などない。

 思わず身じろぎしてしまったので、眠っていないのもばれた。



「心配だったので」


 悩んだ挙げ句の一言は、サミュエルを完全に黙らせた。

 誰を、とか何をとの質問が次々投げかけられると思っていたのに予想が外れた。


 何が間違っていたのかと考えを巡らすが、わからなかった。


 そして、それ以上の追求はなく、乗り慣れないカメルの移動に疲れ切っていたアーヴィンは、隣がホレスと交代したことも知らずに朝までぐっすり眠った。

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