15.揉め事

 そして、杖を持って魔法を使わない人を、イルマは知っている。


「卑しい薄き血ヒブリダ風情が魔法使いになろうなどと思うからこうなるのだ」


 カッと体内の血が一瞬で沸き上がる。

 それは、肌や髪、目の色が濃い、貴族の色をしていない魔法使いを貶める言葉だ。魔力が貴族より少なく生まれた者を、侮蔑するときに使われる代表的なものだった。


「通してください」

 魔法で無理矢理道を開きたいが、それをなんとか我慢して、人の隙間に身を滑らせ中心へ向かう。


「すみませんでした」

 抑揚に欠けた、よく知っている声が謝る。まったくすまなそうに聞こえない、煽っているのかと思えてしまう彼の言葉。


 ようやくちらりと見えた先に、アーヴィンがいた。思わず舌打ちする。


 男が三人。かがんでいる彼の側に立っている。杖持ちが一人と、腰に剣を差しているのが二人。どちらもそれなりの衣装を身につけている。貴族だ。まあ薄き血ヒブリダなどと言って己の優位を保とうとする輩が貴族でないはずがない。


 もう一度舌打ちをする。


 アーヴィンは右手を胸の前にあてていた。何かを抱えているようだ。左手の杖は魔力を帯びてもいない。相変わらずの無防備な状態だった。


 男が杖を振り上げる。魔力の集まる。

 反射的に発動の呪文を唱えていた。


フィーニス!」


 ざっと、人垣が割れる。現れたイルマへ四人の視線が集まる。彼は、険しい表情を見せる。


 そんな顔をするなら魔法を使えばいいのに。


 もちろん、イルマの使った方程式は防御の結界で、相手を攻撃するものではない。こちらから何かする気はない。


 軽い口笛が響く。

 剣をぶら下げた一人が嫌な笑みを浮かべながら吹いたものだ。


「何があったの?」

 イルマのよく通る声は、辺りに響く。ことの成り行きを見ていた群衆の目が、現れた彼女に惹きつけられた。惹きつけて、放さないだけの容貌をしている。


 だが、問いに答えはない。

 仕方なく、相手をする。


「彼が何か?」


 明らかに貴族とわかるイルマの髪や肌の色にも臆さず、そのような態度を取るのは、彼らも位が高い証拠だ。しかし、フェンデルワースの出ではない。年はサミュエルとそう変わらないだろう。ならばイルマが知っていて当然だ。そして、イルマを知っていて当然だった。


 だが、見たことのない人物だった。もちろん、魔法使いでない二人もだ。


 となるとゲナかスペキリ。ティルムにいるということはゲナか。ティルムに居を持つ貴族の御曹司という可能性も捨てられない。


 どれにしろ、兄に騒ぎを起こすなと釘を刺された。これ以上はまずい。


「何か? だと? お前はこいつの連れか?」

 中でも一番下っ端であろう赤毛の男が一歩前に出る。身長差を利用して、威圧するように見下ろしてくるが、そんなものに構うはずがない。平然と質問を繰り返す。


「ええ。謝っていたようだけど、彼があなたたちに何をしたのかしら?」

 イルマの様子に不満だったのだろう。

 男はさらに声を荒げた。


「あいつは突然俺らの足下へ飛び込んできて、ぶつかりやがった」

「あら、危ないわね。でも、怪我がなくてよかったわ」

 イルマがにっこり笑うと、もう一人取り巻きが言葉を重ねる。


「怪我は、な」


 では何が欠けたのだ。

 上から下まで丁寧に相手を見る。値踏みするように取られるだろうと計算して。


 早く名乗り上げてくれないだろうか。家柄によっては対応に違いが出てくる。つまり、こてんぱんにのしていいか、それともある程度気を遣わなければならないか。


 慎重に対応しなければならないような部類にこの顔はいなかった。いくら廃れているとはいえ、六貴族の一員であるイルマのことを知らないのだから、慎重に対応する必要はないことはすでにわかっている。

 今後のお役目に差し支えがない程度にしたい。


「その阿呆の杖がジェラルドの剣に当たったんだ。高価な鞘に傷がついた」


 仕方なく彼が示す先を見ると、確かに装飾過多な剣がある。実際戦場で使い物になるのかと聞きたくなるほど、金銀宝石がちりばめられていた。もちろん、杖持ちの彼の剣だ。三人の中で主導権を握っているのが彼なのだろう。


「ドゥールス材は堅いからね。魔法使いならそれくらい知っているでしょう?」


 杖は、時にはそれで剣を受けることもできるほど堅い木材で作られている。衝撃には弱いが、そこはそれぞれが魔法で補っていた。北の厳しい寒さの中で育ったものが杖の材料としてより品質がよい。


「お前らには一生かかっても払えないほどの値段だぞ。どうしてくれる!」


 剣の持ち主は成り行きをニヤニヤと眺めていた。

 正直、余裕で払えるのだが、まあ父に迷惑がかかるのでそれはあえて提案しない。父にだけならまだしも、周りへ余波がとんでもなく広がりそうでなるべく大げさにはしたくない。


 彼らの視線のいやらしさから、要求はだいたい予想がつくが、それを面と向かって言われたら今度は自分が切れてしまいそうで悩ましい。

 しっかりと前を合わせた外套のせいで内側の、宮廷騎士見習いの銅色の印が見えていないのが悔やまれる。少しは相手も考えただろうに。


「イルマ」

 背後で短く呼ぶ声がする。


「大丈夫よ」

 小声で返す。

 彼が何を言いたいのか。わかり過ぎるほどわかっている。


「おい! 聞いてるのか!」

 赤毛が吠える。


「こんな近くでそんな大声で話さなくたって十分聞こえているわ。それで? ぶつかったからとっさに魔法を使ったの? たかが、ぶつかった程度で」

「たかが、だと!? 今までの話を聞いていなかったのか? この、高価な――」

「飾り物が傷ついたのは聞こえたわよ。私が訊いているのは、単にぶつかっただけで思わず魔法を使ったのかと訊いているの。あなたどこの出? どんな教育を受けてきたの?」

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