俺は山頂で皆とビールを飲みたいだけ
@play_worker
俺は山頂で皆とビールを飲みたいだけ
男は山を登っていた。女と電話が繋がっている。
男は言った。
「俺はなぜこんなことをしている。」
女は言う。
「あなたが選んだんじゃない。」
男は言う。
「選んでなんかいないさ。一度だって選んだ覚えはない。とはいえ、選ばされた訳でも無い。これまでも、これからも。ただそうであったというだけだ。」
女は言う。
「じゃあ、今だって。」
男は言う。
「そうだ。今だって、今があるというだけだ。何でこんなことに気づいてしまったのか。初めて選ぶ権利が与えられたからだ。初めて無限の選択肢に晒されたからだ。いきなり生死に関わる命題を突き付けられたら、迷わずにはいられない。それが目まぐるしく変わる環境の中を生き延びて来た人間の性ってもんだ。迷わないって?すぐにどちらか選べるって?それは逃げだ。もしくは何も考えてないかのどちらかだ。そこで心が決まってる奴は目くらか、生に執着の無い奴だ。確かに、死んだって構わないなら迷うなんて無駄さ。あるいはずっと迷っていたっていい。そうだ、何してたっていい。どうなったっていいんだから。でも、自分が大切な奴は違うぜ。どうするのがいいんだって考えて考えて考えるんだ。だけど、答えは出ない。だって将来のことなんて誰にも分んないだろ?てか、そもそも「良い」ってなんだ。何と比べてんだ。いくつもあり得る自分の人生の中で一番良い人生ってことか?パラレルワールドの一つか、今は?違う。今は「今」しかない。これは真実だ。他の今なんて無い。どうだ。他の2秒後ってあるか?無いよな。なぜ今は今しかないのに今を繋げたら分岐が現れる。無理矢理分岐を作らないでくれ。お前はすぐに外を想像したがる」。
女は言う。
「でももし私が今右手を挙げたら、右手を挙げた2秒後は、右手を挙げなかった2秒後とは違うはずでしょ。」
男は言う。
「いや右手を挙げなかった2秒後なんて無いんだ。存在し得ないんだ。その状況は。だから分岐点など無い。他の人生など無い。ただ、今を生きる他の人間は存在する。こちらは確かに比較可能な存在だろう。但し、彼等と競争するかしないか、どう競争するかは全くの自由だ。」
女が言う。
「分かった。私の人生に分岐は無い、としよう。でも、私はずっと皆についてきた。皆と一緒にしてたらここまで来たの。いま何の問題もない。あなたも皆に付いて行けばいいじゃない。」
男は言う。
「駄目だ。皆に付いて行って一生を終えるには、俺の自意識は強すぎる。あまりにも俺の世界は主観的だ。自分のことを特別だと思っている。皆と同じ人生を送るなら、「俺」が生まれてきた意味が無いじゃないか。別に他の精子と他の卵子でも良かったわけじゃないか。結局みんなと同じ運命をたどるだけなら。確かに、今生きている人間は生存競争の勝者達だ。だからこそ、そいつらの大勢が信頼できるって言い分も分かる。それに、周りに沢山人がいれば、自分が一人だけ早く死ぬなんてことは無さそうだしな。群れのメリットってやつだ。けど、人生に特別な意味を見出したくなったりもするだろ?自分にしか出来ないことを成し遂げたいという野心は捨てられない。一度きりの人生、自分だけの人生、最高に主観的な価値観を信じ、良し、といえる人生を送りたいじゃないか。」
女は言う。
「怖いの。人と違うことに自信を持つためには、揺ぎ無い足場が必要なの。自分は少数派だけど、自分は間違ってないって思えるだけの。自分への圧倒的信頼が必要なの。そのためには、小さい頃から周りと違うけど褒められてきた経験とか、そういう価値観が絶対に必要なの。私にはそれが足りない。まず、他人と同じなら間違ってないって、これなら大丈夫だって。いつもそこから入るの。確かに、世界を変える人、拡げる人っていうのは、いつも端にいると思うわ。でも端は脆いの。端に立ってる人は皆何かに縋っているわ。それは、夢だったり、努力だったり、他人からの賞賛だったり。でもそれだけじゃない。常に中の人との実際のつながりって言うのは必要なの。絶対に。端は一人では立てない場所。いつ崩れるか分からない場所で、中の人との繋がりを保ちながら、それでいてかつ自分への自信を足場にしてさらに先へ進める人。そんな一握りの人が、目立っている。端からは色んなものが見えると思うわ。中の喧騒も見えるだろうし。でも、他は落ちて死んでるの。知らないと思うけど。そんな危うい橋を渡りたくないの。誰に支えられているかも分からない位多くの人に支えられて生きていたいの。バランスを崩したって、手をつく前に誰かにぶつかるから大丈夫。だから一人で立てているように見える。そんな場所で生きていたいの。世界の全体なんて分からなくたっていいの。真ん中で、何をしているかわからないまま生きていたいの。何気ないことに特別を見出すのが得意なの。わたし向いてるでしょ、真ん中。」
男が答える。
「ああ。そうだね。知り過ぎるのも良くないってもんだ。なぁんにも感動しなくなってしまうんだから。」
女が答える。
「それは違うわ。あなたもう全部知った気になってる。外ばっかり探してここまで来て。外は簡単よ。行くだけで新しいんだから。人の手だってあまり入ってない。でも中は複雑よ。全部同じように見えて全部違うんだから。何を見たらいいか分かったものじゃない。分かりやすい結果なんて無いのよ。」
男が答える。
「じゃあ俺は中にも行く必要があるな。なんてったって全部を知りたいんだから。じゃあ、中から全体を見渡すにはどうすればいいんだ?」
女が言う。
「そりゃあんたいくらでも周りに人がいるんだから、それを利用しなさいよ。色んな人と喋りなさいよ。あんたが見てきた物事が如何に偏っているか、今に分かるわ。どんどん動き回って、どんどん喋りなさい。それをずっとずうっと繰り返していけば、段々分かって来るんじゃない。中は複雑よきっと。でも飽きないはず。」
男は言う。
「うん。でも、もう少し登り続けてみる。これが俺にしか出来ないことなのかもしれない。」
女が言う。
「あら、そう。山のよくない所は山頂だけじゃなくて、登っている最中まで楽しい所ね。」
(おしまい)
俺は山頂で皆とビールを飲みたいだけ @play_worker
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