ゲンとの日々 ――千里虎太郎の来訪――


 高岳琥珀様

 高岳祥様

 こちらは暑い日が続いていますが、そちらはどうでしょうか。お二人のお身体に触らないとよいのですが。

 実は九月末頃、◎◎方面へ向かう用事ができました。少し足を延ばして琥珀さん、祥さんにお会いしたいと思っています。ご都合がよろしければ伺ってもよろしいでしょうか。菅間さんが琥珀さんに会ったと楽しそうに話していらっしゃったのが羨ましくて。

 お返事いただけますと幸いです。  虎太郎

 (一九×▲年八月 虎太郎からの葉書)



 コタちゃんが◎◎に来るらしく、ついでにこちらにも寄りたいとのこと。◎◎とうちは結構離れている。少し足を延ばすどころの距離じゃない。丸一日はかかる。あの子は地図をちゃんと確認したのだろうか。昔からそういうところがある子だが。

 (中略)

 邪気のない問い

 無垢な問い

 曇りのない問い(※)


 (一九×▲年八月十二日)

 (※)「教えて」の案か。



 コタちゃんが来てくれた。

 (中略)

 乗る列車を間違えたらしく、疲れ果てていた。少し抜けているところがあるのは変わらずのようだ。

 (一九×▲年九月二十八日)



 神社まで散歩に出たコタちゃんがゲンと一緒に帰ってきた。道に迷ったコタちゃんをゲンが連れてきてくれたらしい。何やら詩を口ずさんでいたゲンに、その詩は君が作ったのかと尋ねたらオレの名前を出してきたとのこと。楽しそうに諳んじていましたとコタちゃんが教えてくれた。

 (中略)

 コタちゃんが飯を用意してくれた。お世話になるのでと腕を振るってくれた。彼の作る飯は本当に旨い。素朴だが、舌に残る、余韻のある味。また腕を上げたものだ。ゲンも気に入ったのか、何度もおかわりしていた。また舌が肥えたか。

 (一九×▲年九月二十九日)



 情けない声がしたと思って外を見たら、コタちゃんがゲンの下敷きになっていた。売れっ子作家の背中の上で得意げに仁王立ちするゲンを見て、家内が大慌ママ。虎の威を借る狐。いや、意味が違うか。

 (一九×▲年九月三十日)



 作風が大きく変わりましたね、とコタちゃん。そのまま童謡にできそうな詩や物憂げで哀愁のある詩、時を経たと思う詩と。

 鷹峰君は心の内を呑み込むような顔で変わったと言ったのに対し、コタちゃんは噛み締めるように言ってくれた。

 率直に聞いてみた。

 君は今のオレの詩に失望したか、と。優しいコタちゃんに酷なことを訊ねたと思う。気を遣わせるだろうと。案の定、コタちゃんは言葉を詰まらせた。

 コタちゃんの答えはこうだ。


 失望していない。また詩を作るオレが見られて、オレの詩を目にできて嬉しい。作風が変わることも受け入れられる。だから、今の詩も素敵だ。

 ただ、以前ほどの勢いはなく、慎重になり過ぎているのではないかと思う。


 ごめんなさい、と彼は締めくくった。コタちゃんは悪くない。自分でも意地の悪いことを訊ねたと思ったから。

 鷹峰君もコタちゃんもオレの詩をよく知っている人間だ。だからこそ、以前とは違うオレの詩に違和感を抱くのも無理はない。

 あの頃のような情熱を詩に織り込めない。

 (一九×▲年十月一日)



 琥珀さんは変わられた。ガツンとした物言いはいつものとおり。しかし、詩のこととなると弱気になる。鷹峰さんから話は聞いていたけれど、迷いがあるように見える。

 琥珀さんに今の自分の詩はどうかと問われた。以前と作風は変わっても、素敵な詩だと本当に思う。ゲン君がころころと口ずさむことができるぐらい、易しい言い回しで、すっと入ってくる子供向けの詩や物悲しくも光を求めるような詩、誰かの心根に眠る寂しさに触れるような詩なんて美しい。

 けれど、琥珀さんの詩じゃないみたい。容赦なく吹きつける熱風のような激しさはなく、影でそっと朝を待つ草花のような控えめな感じ。逆の作風だ。

 変化は生じるもの。それは当然のこと。琥珀さんは辛い経験をされて、一度は道を閉ざした。戻ってきてくれただけでも嬉しいのは事実。詩の雰囲気が変わることも当然ある。

 けれど、あの頃のように胸を打つような作品かと訊かれると戸惑う。確かに今の琥珀さんの詩も素晴らしい作品ばかりだ。それは否定しない。間違いはないと断言できる。

 僕は、僕らは高岳琥珀の詩を知りすぎた。桃源郷のことで、高岳琥珀という詩人が与えた影響の大きさを知っている。彼の詩が大勢の心を大きく揺さぶる強さを持つことを無意識に求めているのかもしれない。

 詩と小説。分野は違うけれど、言葉を扱い、綴る者。お互い、世に作品を出し、知られた者。大なり小なり色々な反響を生むことを経験した。それを知るからこそ、今の琥珀さんの詩には反響を生むほどの力がないことがわかってしまう。琥珀さんは作品を世に出すつもりはないと仰った。自己満足だと仰ったが、その表情が自嘲じみていて、どこか納得できていないようだった。

 琥珀さん自身が一番よくわかっている。苦悩の様子がご本人や詩から見て取れてしまう。堂々としておられた方がひどく縮こまって見えてしまう。病気が原因かもしれないが、根本はやはり詩のことではないか。

 (一九×▲年十月一日 虎太郎の手記より)



 コタちゃんの膝の上でゲンがふんぞり返って絵本の読み聞かせをしてもらっていた。

 完全にコタちゃんのことを舐めている。窘めるも、ゲンはぷいとそっぽを向いてしまった。コタちゃんに遠慮なく注意していいと言ったが、コタちゃんは大丈夫ですよ、息子もこうでしたママから、とニコニコしていた。

 そう言えば、あの子は末っ子で、琥志朗のことを弟のように可愛がってくれた。子どものことも大層可愛がっていた。子どもが好きな子で、子どもからも好かれる。いや、あの子は年上からも好かれる。老若男女問わず、周りから好かれ、可愛がられるだけの魅力がある。

 (中略)

 ゲンがコタちゃんの眼鏡で遊んでいた。めんめが変だと騒いでいた。

 (一九×▲年十月二日)



 コタちゃんが帰ってしまった。深々と頭を下げて、お世話になりました、と。変わらず礼儀正しい。

 一緒に見送ったゲンの様子が何やらおかしかった。ゲンも寂しいのかもしれない。

 コタちゃんを見送ったら、ゲンは帰っていった。

 (一九×▲年十月四日)



 忘れないうちに残す。

 詩の話となると琥珀さんは意気消沈されていた。身体に気をつけて、とおっしゃったが、琥珀さんの方こそ大事にしてほしい。

 久しぶりにお顔を見たとき、本当に小さくなられたと思った。心配になるぐらい。

 鷹峰さんから聞いていたとおりだった。牙の抜けた虎だと鷹峰さんはおっしゃったが、僕には微睡み続ける獅子のように見えた。桃源郷のことや病のことがあれば、弱るのも無理はない。療養のために引っ越すと聞いたとき、本当にその体力はあるのか、もしかして、とよぎってしまったことを突きつけられたみたいだった。

 詩のことを語る姿は本当に弱り切っていた。石橋を叩いて渡るかのように、恐る恐るとした様子。

 復帰されたと言っても、迷いがあって、もどかしさが滲み出る。表に出すつもりはなく、本当に自分の手の内にだけ留めようとするその行動があまりにも保守的。

 今の詩にもどうか自信を持ってほしい。作風が変わっても、それは琥珀さんの大切な詩なのだから。

 (一九×▲年十月四日 虎太郎の手記より)




 汽笛が出立を告げる

 お元気で、と見送り、見送られ

 汽車は先へ、彼も先へ

 自分はただそこに、留まるのみ

 先には□□□(※)

 後へと戻る


 見知った道を歩むのみ

 先行きなんぞ、知る術なし

 変わらぬ道を進むのみ


 見知った道を選ぶのみ

 (一九×▲年十月五日)

 (※)判読不可。後、所収された「戻り道」では「先は闇/後は光」となる。



 コタちゃんが帰ってからゲンが来ない。一度も顔を見せない。

 何度か神社の辺りを見て周ったが、姿を見なかった。

 具合でも悪いのか、飽きたのか。

 冬支度で忙しいのかもしれない。元気でいるならそれでもいいか。

 (一九×▲年十一月二十四日)



 虎太郎君から琥珀君のことを聞いた。僕が以前会ったときよりも元気がなかったように思った。

 詩人・高岳琥珀の復活。嬉しいが、まるで、別人のようになってしまったと僕は思った。雄々しさのない、衰退を待っていママようなあの詩を見て、誰が高岳琥珀の詩だと思うだろうか。

 自分たちは期待しすぎていたのだろう。それが彼の弱さを一層際立たせてしまったのかもしれない。

 桃源郷事件によって筆を折り、再び持った筆を僕らの手が止めてしまった。

 高岳琥珀という詩人は殺された。よりにもよって高岳琥珀を知る者に。

 (一九×▲年十一月末~十二月頃か。鷹峰の手記より)

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