第3話 吊り橋効果とか

「ごめん! 全然休日取れなくて!」

「ううん……。銀煉は、普段なんの仕事してるの?」

「いや……いつもはこんなに忙しくないんだけど」

 銀煉は苦笑する。

「行こうか」

「うん」



 お礼、ってこんな感じでいいんだっけ?

 銀煉は傍の少女を見ながら、首を傾げる。

 休日の大型ショッピングセンターは、大賑わいだった。


「似合うよ似合う!」

「ええ! 本当になんでもお似合いになるお客様ですね!」

 困惑したように銀煉と店員の間で零雨は首を傾げた。

「あの……何着試すの?」

「後十着ほどありますが……」

「試すだけ試してみようよ!」

「そうですね! ぜひ!」

 結局二十着中六着を銀煉が買ってやって、試着の割に買って行かなかったのに、店員は満足そうだった。

「全部可愛かったー! 何か髪留めとか欲しい?」

「もうこれ以上は……」

「いいよ、僕が君に買ってあげたいんだから」

 じゃあ、と彼女が指差す。




「待たせたね——って、あれ?」

 さっきまで居たのに。

 銀煉は路地に滑り込む。超人的な耳を使い、全集中して音を拾う。

「なあ、俺とお前の仲だろ?」

 どっちからだ⁉︎

「答えろよ!」

 右?

 何かと何かがぶつかる音が、破裂音のように響いた。

「零雨……!」

 銀煉は走る。一体どこまで……!

 通路の奥の暗闇で、男が甚振るような笑みを浮かべて、零雨の片腕を無造作に掴んでいた。零雨は怯えたように身を震わせている。

「零雨!」

「銀煉……」

 はっとしたように彼女がこちらを見た。その首筋に不躾な指が触れる。

「新しい男か?」

「!」

 身を翻そうとした零雨を引き摺り戻す毛むくじゃらの腕。

「何をする!」

「嫌! 離して!」

 激しく身を捩った零雨を嘲笑う男。

「零雨!」

「近付くなよ——おい、暴れるな! ぶっ殺すぞ!」

「嫌! 嫌だ! 触らないで‼︎」

「零雨、落ち着いて」

 涙に濡れた目がこちらを見る。

「だいじょうぶ。君は大丈夫だよ」

「はっ、何を証拠に……」

 その手を石が叩いた。

 短い悲鳴が上がって、その隙に零雨は男から逃げる。

「触んなよ」

 零雨を後ろに庇い、銀煉は怒りと侮蔑を込めて男達を見下ろした。

「てめえっ!」

 向かって来た男の顔面に拳を叩き付ける。

 男は鼻血を出しながら路地に白目を剥いた。

「まだやるか?」

 残された烏合の衆の一人が慄いたように言う。

「な、なんだよお前⁉︎」

 銀煉は低く言う。

「警官だ」


 路地の奥へ逃げていくのを見届け、銀煉は零雨を連れて暗闇から出た。

「本当にごめん」

「謝ることない。ありがと」

「でも、」

 さぞ怖かっただろう。恐怖に突き動かされ泣き叫んでいた、あの声を思い出す。

「僕がもっと——」

「それは……そうだけど、でももう起きちゃったことだから」

 知らずに握り込んでいた手を、優しく零雨の手が包む。

「大丈夫、なの?」

「あのぐらい、大丈夫。私が蒔いた種だし」

 仄かに苦笑した少女を抱き締める。

「ごめん……」

 もし助けるのが遅れていたら。もし車なんかに連れ込まれていたら。

「本当に、君を失っていたかもしれない……」

 口に出せば、その危惧は銀煉の身を震わせるのに十分だった。

 それに、泣かせてしまった。保護していたのは僕なのに。保護者、失格だ。

「ごめんね……」

 痛々しい涙の跡をそっとなぞる。

「私は、私を人間として見てくれる貴方が好きだよ」

「……」

「私に大切なものがあるとすれば、この頸飾と、貴方だけ」

「どうしてこんな僕が大切なの?」

「好き……だから」

 ……あまりに直接的だから気にしてなかったけど、この『好き』の意味ってなんだ?

「あの……どう言う意味ですかね……?」

「……? 恋愛的な意味で……」

 は?

 どう……ぇ、え?

「な、なんで……」

「私にも判りかねる。惹かれたんだから仕方ない……」

 照れる様子もなく平然と言うのは揶揄っているだけだからなのだろうか。

「……本気?」

「私、嘘は吐いてない」

「付き合いたいってこと?」

「……それは、どっちでも。貴方の気持ちを無視するつもりはない」

 少し逸らされた視線が、愛おしい。

「……僕は君と一緒に居たいな」

 銀煉は照れ隠しに笑って見せる。

「僕も君が好きだよ」

 行こうか、と銀煉は零雨を連れ出す。

「ほ、本当に私を愛してくれるの? 私に合わそうとか、考えなくていいんだよ?」

「勿論。人の気持ちを愚弄するような嘘は吐かないよ。君こそ、心変わりしたらいつでも僕の家から出ていくといい」

「心変わりなんてしないよ」

「しないと嬉しいね」

 不満げに少し膨らんだ頬が可愛い。

「でも、……」

「愛の形はそれだけじゃないよ」

「貴方の愛はどんな形をしてるの?」

 なんだこの陳腐な台詞。でも、これしか知らない。

「規範の中で、君に一切迷惑をかけないように、君を愛すのが僕の愛だ。だから、そういうのはお預け。十八になったら言ってねー」

「酷い」

「はいはい」

「じゃあ、十八になったら結婚してくれる?」

「君が心変わりしてなければね」

「狡い……。じゃあ、法律さえなければ——」

「ねえ、僕を社会的に殺そうとしてる?」

 この子のせいで価値観が狂いそう。今も流されて結構危ないことを言った気が……。

 銀煉は零雨の指に指を絡める。

「大丈夫だよ」

「……ん」

「泣いて良いよ。苦しかった、怖かったって僕を責めて良いんだよ」

 優しく言いながら、公園の木の下で彼女を撫でる。

「怖かったね。良く頑張ったね」

 言ってやると、ようやく彼女は涙を零し始めた。

「もう二度とあんな目に遭わせない。何でも言って、僕を頼ってね」

 消し去りたい過去の傷がどんなに痛んでも、もし今を生きて良いのなら。

 僕らが幸せになる道は、きっと沢山ある。



「銀煉、銀煉」

 彼女が部屋を覗く。

「急がないと、電車行っちゃうよ」

「分かってる! あ、あれ?」

 銀煉は机の上の本やペンを乱暴に退かす。待って、ない……!

「定期券と水筒と、探してるのはこの封筒?」

「あ! それそれ! ありがとう! それじゃあ行ってきます!」

 彼女からそれを受け取って鞄に仕舞う。

「鍵は開いてるよ」

「流石零雨! 有能!」

 靴も揃えてある!

「舌噛むよ。気を付けてね。因みに今二十八分」

「げっ!」

 銀煉は三和土を蹴った。

「行ってきますっ‼︎」

「行ってらっしゃい」





「ただいま……」

 銀煉は鞄を放り投げてネクタイを緩める。もう朝の六時だ。大分遅くなってしまった。

 ソファの上で、零雨が丸くなって寝ている。

「ただいま、零雨」

 彼女はまだ寝ているようだ。銀煉は一風呂浴びる。

 上がると、零雨はぼうっとテレビを見ていた。

「最近治安悪いよねー」

「……」

「誘拐事件とか、医療過誤……」

 零雨は眉を顰め、胸の辺りに手を置いている。

 ……一、二年前の、両親やその友人を殴殺した事件が映っている。犯人は未逮捕だ。

 両親を亡くした彼女には、惨い事件だ。


 銀煉はテレビを消しながら零雨を抱き寄せた。

「ただいまー、零雨」

「……お帰りなさい。ごめん、朝ご飯作れてない」

「僕が作るよ。遅くなるけど」

「全然大丈夫。でも、銀煉は寝れてるの?」

 心配そうな顔が可愛い。

「向こうで仮眠はとったよ。大丈夫!」

「それなら、良いんだけど……」

 零雨は僅かに逡巡して、何か呟いた。

「え? 何?」

 零雨は頰を紅潮させ俯いて、小さく、「好き……?」と聞いてきた。

「好き…って、何が?」

「昨日見たドラマで、ある夫婦が毎朝互いに大好きって言い合ってた……」

 それは随分古典的な鴛鴦おしどり夫婦だな……。

 銀煉は零雨の柔らかい唇を指でなぞる。

「好きだよ、零雨。大丈夫」

 銀煉は彼女の眼にかかっている髪をそっと退けた。

「本当に僕でいいの?」

 こくりと彼女が頷く。

「うん。でも、私の方が聞きたい。……私で良いの?」

「うん」

 柔い頬を撫でる。

「君が良い」

 銀煉は彼女に唇を重ねる。

 十八歳未満の少女に、マズイかもと思いつつ、二年も待てる気はしなかった。

 唇を離すと、照れたように彼女は俯いた。

「嫌?」

「ううん」

 首を振って、少女らしく仄かな笑みを浮かべる。それが酷く可愛かった。

 銀煉は優しく彼女を抱き寄せる。

「……銀煉、良い匂いする」

 そう言って頭を擦り付けて来た少女が、小動物のようで可愛い。

「君さぁ……そういう事を軽々しく口にしないの」

 銀煉は彼女の頭を撫でると、ソファから立ち上がった。

「今日休みなんだー。カレーにしようっと」

「玉葱食べたい」

「どう言う欲求だよ」

 君だけは……絶対に。




「おはよう……」

「おはよう」

 銀煉は振り返った零雨に凭れかかって嘆いた。

「どうしよう、何もする気が起きない……」

「朝ごはんだけ食べて寝たら?」

 手が頭を撫でてくれる。

「そうしよーっと……今日って何日?」

「二十四」

 あああああ、怠い……。

「なんか予定あったっけ……」

「貴方の先輩との会談でしょ。……あと私の誕生日」

「へ⁉︎」

 顔を上げると、酷く驚いた様子の零雨と目が合った。驚きたいのは僕なんですけど。

 一応確認させてもらおう。

「誕生日?」

「う、うん」

「うーわ、早く言ってよ……。近くのケーキ屋って開いてたっけ……」

 更に困惑したように彼女は首を傾げる。

「け、ケーキ?」

「誕生日なんでしょ? なら誕生日ケーキ食べないと」

 漸くその関係に思い至ったと言うように彼女は頷く。

「あ、ああ……そうか……。なら、いつもの喫茶店のケーキが良い」

「あ、その手があったか!」

 昼には先輩のところだし……。

「朝ごはんにしちゃう?」

「……ちょっと贅沢」

 微笑った彼女を撫でる。

「誕生日おめでとう」

「……うん」

 何かを噛み締めるように少女は目を瞑った。





「先輩ー」

 銀煉は机に伸びる。それを見て蒼髪の男は嫌そうな顔をした。

「……『奢ってください』は聞きたくない」

「だって最近出費激しいんですよー!」

「お前の管理の問題だろうが」

 銀煉は迷惑そうな声を見上げて、尚も粘る。

「未成年の友達が泊まりに来てて……。ちょっと厳しいんですよー」

「大丈夫なのか?」

「親の許可取ってますから。……正しくは保護者の、ですが」

 蒼波は目を細める。

「虐待か?」

「いえ。亡くなったそうです」

「病か?」

「そこまで踏み込んでないですよ。ちょっと不安定な子なんで」

 彼は立ちかけていた席に座り直した。

「不安定?」

「善悪の判断が曖昧って言うか……そう、犯罪が日常の中にあるような、犯罪との敷居を感じないって言うか」

「ああ……」

「でも、本当に良い子なんですよ。最近はよく微笑ってくれるし。気を遣うのも上手だし、優しいし」

「どこで出会ったんだ?」

「夜の路上です。……ホテル前の」

 彼はそれだけで察したらしい。

「……絶えないな」

「はい」

 馴れ馴れしく身体に触れながら鼻の下を伸ばしていた男。人目に触れるべきでない白い肌を暴いた男達。

「あんな奴ら、生殖能力無くなれば良いのに」

「おい」

「冗談ですよ」

 胡乱な目が向けられる。失礼な。

「……。その子は幾つなんだ?」

「あ、今日で十七なんです。朝ご飯贅沢しちゃいました」

 彼の動作が一瞬固まった。

 そんなに朝に贅沢しちゃ駄目?

「え? どうかしました?」

「……いや。何でもない。……仕方ない。これぐらいなら、奢ろう」

「やった! 情に訴えてみるもんですね!」

「おい、取り消すぞ」

 蒼波は思案を巡らす。

 何故俺は、手っ取り早くこいつにその子供の性別や名前を聞かないのだろうか。




「たっだいまー」

「おかえり」

 いつも通り廊下から窺うように出迎えてくれる零雨がどこか猫のようで、銀煉は少し笑う。

「お腹すいたー」

「ホワイトシチュー、作ってみた」

「うえ⁉︎ ほんと⁉︎ 僕あれ好きなんだよね‼︎」

 零雨は照れたように笑った。

「ほんと? 良かった」

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