@punitapunipuni

第1話

 「エルザ!歴史の終焉を見届けるのよ!」

 私が妹のツェツィーリアと共に白湯のように味が薄いソリャンカを食べているところへ、オリヴィアが奇妙奇天烈にして全く持って理解不能な言葉を引っ提げて現れた。――またおバカちゃんが来ちゃったよ。どうしよ。

 「歴史の終焉を見届けるのよ!」

 オリヴィアが満面の笑みで繰り返す。「エルザみたいな蒙昧無知にして浅学非才な子には、この事柄の大きさがわかんないのかもしれないけどね。でもまあそれもまた一興だわ。無知は罪だけど、無知を自覚して開き直ってる人はもっと罪深いもの。で、その点あなたは決して自分の無知を認めないから、そこは合格よ。あなたはそういう野暮ったい顔をしたまんま黙って私の後を付いてきなさいっ!」

 この世の変人を全て集めてきて、そのエキスを搾り取って凝縮させ、さらにそこにシナモンでも加えて風味を整えたみたいな女、即ちオリヴィアが言う。私は口にスプーンをぶら下げたまま「どうツェツィーリア?美味しい?」と、眼の前に座っている年の離れた妹に聞いた。オリヴィアのことは無視した形になる。横目でオリヴィアの様子を伺うと、彼女はまるで道端にウィンストン・チャーチルが倒れているのを目撃したみたいにショックを受けた顔をしていた。いい気味である。

 ツェツィーリアは瞳に垂れかかった赤毛を手ではらい、きょとんとした目でじっと私を見つめた後、広角を釣り上げて笑顔を作りながら「まずい」とぼそりと呟いた。……え、なんで一回微笑んだの?

 「そうよね!そうでしょっ!ここの料理は味が薄いのよっ!」

 先ほど私に無視されたショックなど微塵も感じさせず、オリヴィアが甲高い声で叫んだ。

 「私が味の濃いご飯を食べさせてあげるから言うことをききなさい!」

 「ちょちょちょ、ちょっと待ってよ。さっきオリヴィアは『エッチの聖典』とかなんだかを見届けるって言ってたじゃん!」

 「誰がそんな下品なモン見るかっ!『歴史の終焉』よ『歴史の終焉』!この国一番の淑女を自称している私は、そういう低俗な男が鼻の下伸ばして読む本より、もっと高邁で理性的な書を嗜むわ」

 淑女だなんてどの口が言ってるんだか。しかしそのことを突っ込むとまた長くなってしまうので、私は良く訓練された犬のように口をつぐんで、まるで魂を抜き取られて感情を失った人形のように、「ふーん」と気のない返事をした。

 「私が読む本は……例えば……そうね」

 オリヴィアは小悪魔のように意地悪く微笑んだ。目に妖しい光が宿っている。そして、声を低くして言った。

 「☓☓☓☓(注・本当にまずいので伏せ字。某政治体制に関する入門書)とか?」

 一瞬、私の家の時間が止まった。

 スープをスプーンですくっていたツェツィーリアが、凍りついたように固まる。

 「バ……」

 私は近くにあった箒を手に取り、

 「バッキャロオオオオォォォォォォォッッッッッ!!!!」

 振り上げて……、

 オリヴィアの額に……叩きつけるッ!

 「ア痛ああっ!」

 オリヴィアが頭をさする。

 「ひどいわ!」

 「ふざけんな!ああ心臓止まるかと思ったああっ!いや、ホントにそれだけは言っちゃだめでしょ!私ら全員当局に連れてかれたらどうするのよ?」

 「大丈夫よ。もうそんな時代は終わるわ」

 痛がりながらも、平然とした顔で返すオリヴィア。私は怒る気力も無くなってしまい、へなへなと椅子に座り込んだ。

 「終わるわけないでしょ……。こんな、妹に作ってあげる料理さえ、薄味にしないといけない状況なのに……」

 「……まだ、信じられない?」

 コクリと頷く私。すると、私の腕を誰かがつついた。顔を上げると、そこにはツェツィーリアが居た。

 「主は言いました。

 『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。

  探せ、そうすれば、見いだすであろう。

  門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。』

 マタイによる福音書から引用」

 横のオリヴィアが目を輝かせる。

 「そうよ……、外に出ましょう、エルザ。皆で門を叩くのよ!」

 そしてオリヴィアは半ば強引に私の腕を引っ張って、壊れかけた木製の扉をくぐり抜け、外まで連れ出した。夜の冷気がそっと私を包み込む。

 そこには人の群れがあった。虚しいほど美しい夜空の下、各々厚木を身にまとった人々が、小走りに私の眼の前を駆けていく。不思議なのは、そうして走っている人たちの顔が、限りない活気と将来への希望に満ちていることだった。

 「これは、何……?」

 「だから言ったでしょ?歴史の終焉。私たちを閉じ込めていた窮屈な壁が壊されたの。そしてそれは、戦後私達の世界を支配していた二つの政治体制の内、社会主義はあんまり上手くいかなかったっていう証明にもなる。人類は、とうとうたった一つだけの最良の政治形態を発見したの」

 そしてオリヴィアは「どう?人も、国も、変わろうと思えばいつでも変われるんだって信じられた?」と、にっこり微笑んだ。


1989年11月9日 東ドイツ・ベルリンにて

   

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