めぐり逢い ツインレイ夫婦の出逢いと別れ その愛と性
まぼろしのラックル
第1話 めぐり逢い
百合の身体は、全身ナマリをつけたように重く、心はすべてを拒否するかのように、無機質な感覚だった。
「あっ、イヤ、やめて!」
夫は少し乱暴に、手ばやく、百合の服をすべてはぎ取った。
そのまま、崩れるように、百合は愛欲の嵐に呑みこまれていった。
「夢かあ!」
忘れていた夫との快楽の日々が、にがいキオクとともに、百合の脳裏をよぎった。
身体のほてりを恥じらいながら、百合はベッドを出て、庭ぞいのカーテンを半分開けた。
そこには、江崎邸の広大な日本庭園が、深いしじまの中に眠っていた。
「夜明けはまだか。今日はなんだかイヤな1日になりそう」
半年前、別れた夫からの予期せぬ電話が思い起こされる。
留守電に残されたメッセージ。
「帰国した。逢いたい。電話くれ」
相変わらず不器用な元夫の声に、百合は苦笑いするばかりだった。
「いまさら逢ってなにを話したいのか?忘れようとしてたのに、勝手すぎる!」
江崎百合が、桜井雄一と離婚して3年が経とうとしていた。
神宮の森が、長いねむりから覚めたような新しい息吹を放っていた。
表参道は若いカップルや子ども連れ、インバウンド客でにぎわっていた。
「あっ、なでなでシリーズだ!カワイイ!ねえボス、ちょっと寄ってもいい?」
「じゃあ、この先で待ってるから」
相原こずえは、歩道ぞいのファンシーショップに入っていった。
「まだまだぬいぐるみが恋人か!まったくヤレヤレだな」
桜井雄一のことを「ボス」とよぶ相原こずえは、雄一の秘書をしている。
雄一は、道ゆく人をやり過ごしながら、所在なさげに、かすみがかった車道をながめていた。
そこへ1台のロードスターが、滑りこむように停車した。
運転席から降りてきたのは、40才くらいの背の高い男性。ブリオーニのジャケットを、さっそうと着こなしている。
それから素早く、助手席のドアを開け、手を差しだした。
「百合さん、段差に気をつけて」
「松井さん、送っていただきありがとうございます」
差しだされた手につかまりながら、助手席から降りてきた女性。
その女性は、そこだけ時が止まったような、やわらかな笑みを浮かべた。
肩より少し長い髪をハーフアップにまとめ、ターコイズ色のワンピースが季節にとけこんでいる。
そして、足ばやに歩道ぞいの「ミュージックプラザ表参道」ビルの中に消えた。
スローモーションのような出来事であった。
「百合!」
その女性は、桜井雄一の元妻、江崎百合だった。
雄一は、ぎこちない緊張と行き場のない感傷で軽いめまいを覚えた。
そして、だれにも悟られたくない速い鼓動を、無意識に押しこめようとしていた。
「ボス、お待たせ」
買い物を終えてゴキケンなこずえが、雄一のうでに自分のうでを回してきた。
上司と部下の関係でありながらも、くったくのないこずえの仕草に、雄一はいっときの安らぎを感じる。
「あっ、ここよ!」
こずえが、指さしたのは、「ミュージックプラザ表参道」だった。
「私、ここでピアノ習おうと思ってるの」
「行きたいとこあるって、ここだったの」
「うん、そうなの。ずっと前から会社がえりに通えるお教室さがしてたの」
「そうか、ここか!」
それは雄一にとって、とてつもない偶然であり、制御のきかない感情のたかなりであった。
「ミュージックプラザ表参道」は、音楽業界では全国一のキボをもつ、株式会社山村楽器の旗艦店に当たる。
店内に入ると、人いきれで空気があつい。正面ステージでは、ピアノとエレクトーンのデモ演奏が行われていた。
こずえは、総合受付カウンターでスタッフから説明を受けていた。
雄一は、ピアノ展示フロア一帯をながめていた。
エレベーター横のカベには、ピアノインストラクターの顔写真が飾られていた。
その中でもひときわ目をひく写真があった。それは、3年前に別れた妻、江崎百合の写真だ。
簡単なプロフィールが記してある。
「東京みなと音楽大学ピアノ科卒業、アメリカバークレー音楽大学ジャズピアノ科卒業。(株)山村楽器専属ピアニスト、ミュージックプラザ表参道主任インストラクター」
「ピアノから離れていたはずだが、見事に復帰したな」
エレベーターが1階に着いたチャイムがなった。
ドアが開く。
「百合!」
「あなた!」
一瞬、空間がとまる。
ふたりは、フレームにはまる静止画の中にいた。
混乱した頭の中で、ふたりは、それぞれに次の言葉を探した。
「3年ぶりだね」
「どうしてここへ?」
「ねえ、ボス。火曜日なら空いてるって。残業できないけどいい?」
こずえの声が、ふたりの静寂をやぶった。
百合は、なにかを察したように、うすい笑みをうかべて、「staff only」と表示されたバックヤードに入っていった。
めぐり逢いは、時として残酷なものとなる。
「そう、僕は、百合に逢いにくる勇気がなかったんだ」
雄一は、唇をかんだ。
「今の人、江崎百合さんじゃない?ボスの知りあいなの?」
「ああ、10年来の知りあいだ」
「へえ〜、ビックリ!」
メインステージでは、デモ演奏がつづいていた。ステージ中央のデジタルビジョンに、次の演奏楽曲が表示されている。
「 宝島 和泉ひろたか作曲
演奏
ピアノ 江崎百合
エレクトーン松井海斗 」
雄一は、こずえに手をひかれステージの前まできたが、聴衆の熱気は重く苦痛のなにものてもなかった。
「さあ、帰るぞ」
「ええ〜、まだいたい〜」
「ワガママいうと二度とつきあわないよ。これから、うち帰って仕事だ」
「出張の資料つくるの?」
「ああ、そうだ」
「ボスって、ホント仕事ばっかネ」
「君も早く仕事覚えて、少しはラクさせてくれよな」
「うん、ボスの留守のあいだ、斉藤先輩によ〜く教えてもらうわ。だから、ね、またデートしよ」
雄一は、部下のこずえを一人前のトレーダーにそだてる責任をおっている。
「レッスンは、火曜日の6時半からよ。先生はさっき『宝島』でエレクトーン弾いてた人」
「そうか、良かったな」
「江崎百合先生のレッスンは、空いてなかったの。ざーんねん!」
こずえは、帰りの車の中で、もらってきたパンフを念いりによんでいた。
「江崎百合さんのプロフィールに、アメリカバークリー音楽大学ってあるけど、どんな大学なの?」
「ボストンにある音楽大学だよ。ジャズ専門の学校だ。入るのも出るのもむずかしいって話だ」
「江崎百合さんってスゴイのネ。ジャズピアノか、私もやってみたいな」
「そんな生やさしいもんじゃないぞ。まずは、キソからだ。仕事もおなじだ!」
「ねえ、ボス。どこで知りあったの?」
「飛行機の中」
「座席がとなりとか?」
「いや、江崎さん、CAやってたんだ」
「なんでピアニストがCAなの?!」
「なあ、相原君、いずれ君の耳にも入ってくるだろうから、先に言っとくよ。正直に話すからこれ以上詮索しないでくれ」
「はい、わかりました」
こずえは、ゴクリとツバを呑みこんだ。
「江崎百合さんは、別れた妻だ。逢ったのは3年ぶり。偶然だ」
「江崎百合さんが、ボスの奥さんだったの!」
雄一は、ひたいの汗を手でぬぐった。そして、つとめて平常心をよそおった。
これ以上、百合の話題にふれらると、雄一の心臓はもちそうもなかった。
しかし、今日の偶然は、用意された運命の「めぐり逢い」だと、雄一の魂は叫んでいた。
こずえに夕食をごちそうしてやり、家まで送り届けて、雄一は表参道に引きかえした。
「ミュージックプラザ表参道」は、昼間のざわめきがウソのように、閑散としていた。
「すみません、江崎百合さんはまだいらっしゃいますか?」
「江崎先生は、さきほど帰られました。あっ、となりの喫茶店にいらっしゃるかも知れません。『喫茶室エルベ』です」
ミュージックプラザビルの角を入った路地に、「喫茶室エルベ」はあった。
中からピアノの音色がもれている。ギィーっとなるドアを開けて入る。
「いらっしゃい」
マスターらしき初老の男性の声。
ピアノを弾いていたのは百合だった。
雄一は、ピアノのそばの席に、見覚えのあるエルメスのバックがあるのを見つけた。
演奏がおわり、百合は鍵盤から顔をあげた。
雄一は、コーヒーカップをもつ手がふるえ、百合は、しばしピアノ椅子から立てずにいた。
「今のなんて曲?」
「パッサカリアよ。ヘンデル作曲の」
「ヘンデルって、バロックの?」
「ええ、ハープシコード組曲のなかの1曲なの」
「君のピアノ、ちゃんと聴いたの初めてかも知れないな」
「そうかもね。ところで、今日は偶然なの?」
「ああ、まったくの偶然だ」
「カノジョはどうしたの?」
「あの娘は僕の秘書だよ。ピアノ習いたいっていうからつきあったんだ。もう、家まで送り届けてきたよ」
「まあ、ずいぶん品行方正なのね」
百合は、雄一が知っている、いつものさわやかな笑みをうかべた。
「あの娘、君のレッスン希望したらしい。残念がってたよ」
「そう、申し訳ないことしちゃったわね。謝っといてね」
「忙しいの?」
「ええ、ほとんど休みがないわ」
「相変わらずだな」
「うん、わかってる。あなた、よく言ってたわね。休まないと体こわすぞって」
「時間あるか?話がしたい」
「ゴメンなさい。これから相棒さんと約束があるの」
「百合、なぜ電話に出てくれない?」
ピアノそばのドアで、若い男性が百合に合図を送っていた。
「相棒さんが迎えにきたわ。もう行くわね」
百合は、お店の横に停めてあったミニクーパーに、相棒をのせて走りさった。
「お兄さんも百合ちゃんのファンかい?」
マスターが聞いてきた。
「元カレです」
雄一の顔は、今日初めてほころんだ。
「あのう、百合さんはいつもなん時ごろ来てますか?」
「いつも、今じぶんだな」
雄一の心は、決まった。明日、もう一度逢いにこようと。百合に伝えたい言葉を、今夜のうちに考えようと思った。
百合と松井海斗は、遅い夕食をとっていた。
「あのぉ、さっきエルベで一緒にいた人、だれですか?」
「ああ、あの人は元カレよ」
海斗の顔が、一瞬こわばった。
「百合先生に逢いに来たんですか?」
「ちがう、ちがう。偶然よ。逢ったのは3年ぶりよ」
「へえ〜、百合先生の元カレかあ」
「そうそう、彼、海斗君の生徒さん連れてきたの。来週からレッスン始まる若い娘」
「ああ、火曜日の6時半からの、相原さんっていったかな」
「その相原さん、彼の部下なの。よろしくね」
「はい、わかりました。百合先生のお知りあいなら、失礼のないようにします」
「いつもありがとう。ホント助かるわ」
「百合先生、兄貴がおかしなこと言ってきたんです。例の40周年パーティの件です。なにか聞いてますか?」
「いいえ、なにも。おかしなことって?」
「百合先生が6曲弾いたあと、僕にワルツを弾いてくれって」
「なんの曲?」
「ショスタコービッチのセカンドワルツ。それが、兄貴、誰かとワルツ踊るらしいです」
「まあ、ステキ!それ社長ご子息ふたりの共演ってことじゃない」
「兄貴がワルツ踊れるなんて知らなかった。百合先生は、踊れるの?」
「まあまあかな」
とは言ったものの、百合が社交界に顔を出していたのは、20代のころ。この10年ボールルームダンスには、縁のない生活をしている。
「ねえ、百合先生。兄貴とつきあうんですか?」
「え?なんで私が?」
百合は、飲んだお水をふきだしそうに口を押さえた。
「だって、優斗さんと私じゃ、つりあいが取れないわよ。私アラフォーだし」
「兄貴は充分その気ですよ。最近よく来るでしょ。あれ僕に会いに来てるんじゃないです。目的は百合先生です」
年のはなれた海斗の兄、松井優斗とは、今日も百合とランチをともにし、百合をミュージックプラザまでおくってくれた。
百合と海斗は、車にもどって話をつづけた。
「あのね、海斗君。ホントのこと話すわ。エルベで逢ってた人、実は別れた夫なの」
「ふう〜ん、そうなんだ。やっぱりネ!百合先生を男性が放っとくわけないもんな」
「だからね、日松証券の次期社長になられる方とおつきあいするなんて、とんでもないことなの」
「たぶん、兄貴はその辺のとこ調査ずみですよ。もちろん、別れたご主人のことも。兄貴ってそういうヤツです」
百合は、松井兄弟に確執があるのを感じた。
海斗は、なおもつづけた。
「アラフォーバツイチなんて、兄貴はぜーんぜん気にしませんよ。ホントです!兄貴は、いつも実をとるんです」
百合は、二度と結婚しないときめていた。
「それに百合先生は、江崎家のご令嬢じゃないですか!銀座でいちばん有名な宝石店の娘さんでしょ」
百合は、「ご令嬢」と言うことばに、胸がしめつけられる思いがした。
「私は、ご令嬢なんかじゃない。私は、父が愛人に産ませた娘なの」
百合は、そう叫びたい衝動をグッとのみこんだ。
そして、車を発進させた。
海斗の住むマンションに着くまで、ふたりをイビツな空気が支配していた。
海斗は、百合より9才年下で、百合が卒業した音大の後輩である。
百合にとって海斗は、音楽なかまであり、気のおけない友人であり、やんちゃな弟のような存在だった。
車は、海斗のマンションの前に着いた。
百合が、左手でサイドブレーキをひく。
海斗の両手は、すかさず百合のしなやかな左手を、いつくしむように包みこんだ。
「百合さん、今夜はもう少しだけ一緒にいてください」
海斗は、うれいに満ちた百合の唇を見つめた。
百合は、海斗の手をやさしくほどきながら言った。
「海斗君、あなたのことは大すきよ。でももう、男と女の関係は終わってるのよ。ね、わかるでしょ」
「僕じゃもの足りないですか?百合さん、オトナだから」
気まずい空気を払拭するかのように、百合は話題を変えた。
「明日、うちのお茶会にあなたのお母さまがお見えになるの。知ってた?」
「いえ、知りません」
「そう、たまにはお母さまに、お顔見せてあげないとお可哀想よ」
海斗は、ムッとした。
「百合さん、わかりませんか?兄貴のさしがねですよ。品定めです!」
今夜の海斗は、いつもの冷静さをうしない、どこまでも百合を挑発してくる。
「じゃあ、明日は私、出社遅くなるから、頼むわね」
百合は、海斗の肩をポンとたたき、
「おつかれさま」
と、言って、今夜のおわりを告げた。
百合は、自宅のある五反田の天保山へ車を走らせていた。
「海斗君、ゴメン!私の分別が足りなかったわ」
百合は、海斗の心のいたみを知っていた。
それは、激情にかられた一夜の情事。渇いた女の身体にしみ込んだ、年下の男の赤い情熱。
「優斗さんは、ホンキなのかしら?」
海斗が口走った「品定め」の意味。
「明日、私は松井夫人によって品定めされるのかもしれない」
そう思うと、あすの江崎家恒例のお茶会は、百合にとって、気の重いおもてなしになりそうな予感がした。
ほどなく、江崎邸のガッシリした門扉の前に着いた。
百合の住まいは、広大な日本庭園の片すみに建てられた平屋の家だった。
母屋から隔離された空間が、百合にはなによりありがたい。
3年前、桜井雄一と離婚して、江崎家にもどってきた百合は、空き家になっていた、離れ家をつかうことにしたのだった。
寝床についた百合は、明けがたに見た夢をぼんやり思いだしていた。
「私は、別れた夫を憎んでいるのだろうか?それともまだ未練がのこっているのだろうか?」
予期せぬめぐり逢いに、動揺した自分がいた。
「想いでとよべるまでには、まだまだ時間がかかりそうだわ。あすは早いわ。寝なくちゃ」
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