アラサーサラリーマン、異世界で仕立て屋はじめます
結城ユウキ
第1話 ありえない、そんなことは!
誰だって突然死ぬことがあるのは、分かっていたつもりだった。
だけど、死んだときのための準備なんてしている人は、なかなか少ないだろう。
ましてや、まだ二十代も後半に入ったという年齢で。
「誰か! 救急車呼んでください!!」
「おいっ、大丈夫か!? しっかりしろ、的場!」
周りで、会社の同期と後輩が必死に叫んで呼び掛けてくれているのが見えた。
俺は大丈夫、そう答えたいところだったけど、視界がぼやけていて意識も遠くなりつつある。
アスファルトが冷たい。嫌、俺の身体が冷たくなっていってるのだろうか……。
道路に転がった状態から、全く動けそうになかった。
「的場先輩! 私、これで助かっても嬉しくないです……!!」
俺の顔を泣きながら覗き込んでくる後輩の姿まであるではないか。俺はこんなに愛されていたんだな……。
確か……暴走した車が、後輩のほうに向かっていった光景は覚えている。
そこからは、気づいたら身体が勝手に動いていて、後輩を突き飛ばして身代わりになっていた。
最後に可愛い後輩を守って死ぬ、男としてはこれ以上ない死に方だろう。
もう後悔はない────そうして意識を手放そうとしたところで、俺は大変なことを思い出した。
「ク……ロー、ゼット…………」
「的場っ! クローゼットが何だっ?」
「あけ……るな…………」
絶対に伝えなければいけないのに、そこで俺は言葉を発することが出来なくなってしまう。
誰にも見られたくない、俺の秘密。
家のクローゼットには────秘密のコレクションが。
俺の密かな特技でもある裁縫で作り上げた、衣装たち。
メイド服、アイドル衣装、チャイナドレス……。
男の夢であるそんな衣装を、自分で作って観賞するのが俺の趣味だったのだ。
クローゼットを見られたら、そんな衣装を大量に隠しもっていた変態だと思われてしまうじゃないか。
死後にこんなヤバい趣味があったとは知られたくなさすぎる。
なんとしても、遺言として残さなければ……。
ただ、そんな願いもむなしく、最後にとんでもない後悔を抱いて俺は意識を手放した。
※
「おい、お前!」
「ん……んんっ」
「こんなところで寝るなっ!」
「うるさいなぁ……俺はもう死ぬんだから……。ゆっくり逝かせてくれよ……」
「どんな夢をみているんじゃか……。とにかく邪魔じゃ!」
「ぬぁぁ! 怪我人をなに蹴ってくれてんだ!!」
背中にずしっと衝撃を感じて、咄嗟に俺は飛び起きる。
んっ、飛び起きる……? 車に轢かれて死んだはずの俺が……?
「ほら、怪我なんかしとらんじゃろ」
「はっ……?」
そんな声を聞いて、俺は自分の身体を確かめるように視線を落とす。
擦り傷一つない綺麗な手に、これまた綺麗なスーツまで。
地面に足をついて立っていられるし、確かに俺の身体には怪我なんてなかった。
「車に轢かれて死んだはずじゃ……。ここは一体……」
「ここは、ワシのギルドの近くじゃが……」
「ぎ、ギルド?」
「うむ、冒険者ギルドじゃな」
「ぬわぁ! お前、なんで喋って……」
「ワシが喋ってなにがおかしい」
「いやいや、犬みたいなのが喋ってて普通なわけないだろ!」
そう、さっきから俺に話しかけてきていたのは────人ではなく、マスコットみたいなサイズの生き物だった。
普通に考えて、人間の言葉なんて話せるはずもないのに……。
やっぱり俺は死んだんだな。死んで地獄にでも来たのだろうか。悪い夢すぎる……。
「ワシは犬などではない! 龍じゃ!」
「そんな見た目で龍?」
「疑っておるのか? ほれ、これでも犬というか?」
「うわっ、飛べるのかよ……!?」
「ワシは、ギルドマスターにもなれる気高き龍なのじゃ!」
そう言ってる割にはとても強そうには見えないし、ドヤ顔は絶妙に腹が立つ。
っていうかさっきから、ギルドだの冒険者だのファンタジーみたいな言葉が出てくるけど、どういう地獄の設定なんだ……。
「もう何がなんだかよく分からん……」
「お前、もしや異邦から来たのか?」
「あ~まあ、異邦っちゃ異邦だけど……」
「それならこれも何かの縁じゃ。ワシのギルドまで案内してやろう。その道中で街の様子も見ればいい」
俺がいた現世を異邦と呼んでいいのか分からないが、違う世界なのは確かだろう。
だとしたら行くあてもないし、この変な生き物に着いていくしかないか……。
当たり前のように飛んで移動し始めるこいつの後ろを、俺はゆっくりと追いかける。
痛みもなく、普通に歩けてしまっているのがまだ自分でも信じられない。
この世界だけではなく、車に轢かれたのも夢なのだろうか。
考えがまとまっていないのに、先のほうには、やたらと眩しい開けた場所が見えてくる。
そのまま足を進めて薄暗い路地を抜けると────そこには、赤を主体とした建物の数々が、大通りを挟むように広がっていた。
奥まで確認できないほどにごちゃごちゃした突き出し看板が、激しく主張している。
ネオンの輝きも、この街の雰囲気を怪しげなものにしていた。
とにかく派手な建物の外観や、日本のものとは形が違う赤い提灯────この街並みは、なんとなく見覚えのあるような……。
「これが地獄なのか……?」
「地獄……? 何を言っとるんじゃ、お前は。ここは、
「ろ、ロンヤオ……?」
聞き馴染みのない名称がついていたものの、やはり俺の頭に浮かんでいたものは正しかったようだ。
────チャイナタウン。
まさかその名前を聞けるとは。だったらここは地獄ではなく、違う国ということか……。
そう思いながら辺りを見回すけど、その考えも違うとすぐに否定される。
服が見慣れないものなのだ。戦闘服のような、鉄製の防具みたいなのをまとっていて……。
まず、現実じゃありえないもの。それこそ、ゲームの世界でしか見ないような服装だった。
「チャイナタウンなら、コスプレじゃない天然のチャイナドレスが見れそうなものなのに……」
「────動かないで」
「ひっ……」
欲望が口をついて出たとき、突然俺の首元に鋭く冷たいものが当てられる。
背後から感じる殺気といい、絶対にその言葉に逆らったらいけないのはすぐ分かった。
「アタシのボスから離れて。じゃないと、剣でこの首を切り落とすよ」
「け、剣って……」
「待て待て、
「へっ? う、うっそだぁ~」
「本当じゃ。とにかく剣をおさめなさい」
「は、はい……」
助かった……。ついさっき死んだばかりなのに、また死ぬ思いはしたくない。
安心してか身体からふっと力が抜けて、俺はみっともなくその場に座りこんでしまう。
「ところで、何か言うことはあるかの?」
「ご、ごめんなさい……っ!!」
「とのことじゃ、許してやってくれんか?」
「そ、それは良いですけど……」
どうして当たり前のように剣を持っているのか。
それが気になったけど、触れるのが怖くて聞けなかった。
というか、ボスって呼ばれてるくらい本当にこのマスコットみたいな龍は偉かったんだな……。
非現実的なことがどんどん起こっていくこの状況に、頭がパンクしそうになっていると、先ほどの剣を持った女性がこちらへ近づいてきた。
「本当に勘違いしてごめんっ。アタシは
「リーシャ……」
やっぱり、ここが日本なわけないよな……。名前も見た目も日本人とは思えないし。
高い位置で結ばれている綺麗な金髪に、真っ赤な瞳。
コスプレだと思われそうな見た目だけど、俺にはどちらも天然物のように見えた。
「ここって、どういう場所なんだ? 俺が知ってるところと少し違うっていうか……。チャイナドレスだって見当たらないし……」
「チャイナドレス? なんじゃそれ」
「なにって……知らないのか!? ワンピースみたいな形なんだけど、ピタッとボディラインが強調されるようになってて。腰の下から足首の裾にかけて、横に深いスリットが入ってるんだ。とにかく、最高の服……!!」
「そんな服見たいことないぞ」
そこで俺は動きが止まってしまう。
呼び方が違うとかそういう問題ではなく────そもそも、そんな服が存在してないというような言い方だから。
「はあ? ありえないだろ! お前、世間知らずにもほどがある」
「
「チャイナドレスぅ……? そんなの、聞いたことないけど」
「いやいやいや、本気で言ってるのか……?」
チャイナドレスが存在しない世界……。
俺が住んでた日本でも、地獄でもなければ、地球上の別の国でもないじゃないか。
今まで目を逸らしてきていたけど、もう確信してしまった。
ここは俺が生きていた世界とは別の世界だ。
異世界転生なんて、夢が詰まってるはずなのに────転生先はまさかの、チャイナドレスが存在しないチャイナタウンとは……。
「そんなこと…………あっていいわけなぁぁぁぁいっ!」
それは、俺にとって地獄に等しかった。
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