命を運んだ飛脚

深水彗蓮

命を運んだ飛脚

「飛脚なんだから手紙だけ運べばいいんだよっ‼︎」

 そう言って女は家の扉を閉めてしまった。

「いや、あの」

「そんな赤子、どこぞに捨ててくんなさい! どうせあんたみたいな心優しーい旅人さんか坊さんだ拾ってくれやす!」

 興奮して方言が混じっている。

「落ち着いて下さい。おりんさんはあなたの姉でしょう?」

「そうですが?」

 飛脚は困惑した。

「では、この子はあなたの姪御ですよ?」

「知っとります! うちはそんなに裕福じゃないんです! 全くあの女……まさか子供を飛脚に託すなんて……」

 なんて言い草だ。

 男は、眠っている幼女を抱きしめる。

「では、この子をどこに届けたらいいですかね?」

「だから! 捨てるか、あんたが育てたらいいじゃないの!」

 もう俺が育てているようなものなのだが……。

「そんなにその子が大事かい⁉︎ もしや、あんたの子じゃないだろうね⁉︎」

 男は目を剥いた。

 女主人はまだ何か喚いている。柄の取れた肥柄杓だ。

「はと……?」

 鳩と呼ばれた男は、舌打ちをして踵を返した。




「おーい鳩!」

「その呼び名はやめろ」

 その男は、疲れにくい体質だった。

 彼はそれを活かし、飛脚として生計を立てている。その能力の有用性から、彼は鳩と呼ばれている。だが、大阪の方で伝書を鳩で行い、奉行所から罰せられたことがあるらしい。だから、男は鳩と呼ばれるのがあまり好きではなかった。

「まあまあ、そんなこと言うなって。今日の書状だ」

 鳩がそれを受け取ろうとした時、もう一人男が飛び込んできた。

「兄貴ぃ! てぇへんだ! おりんさんが危篤で、小雪ちゃんを妹に託したいって……!」

「兄貴呼びもやめろ」

 縋るような目が、奥を見つめる。

「おとっつぁん、頼むよぉ」

 のっしりと、熊のような男が立ち上がった。

「……巳之吉、弥五郎を出せ。鳩、頼むぞ」

 鳩はしっかり頷いて、身を翻した。




 手早く弥五郎という馬にまたがり、鳩はおりんの家の前に辿り着いた。

「鳩ちゃん、悪いね……」

 酷くやつれた女が儚く笑った。

 ほつれた髪が血色の悪い首筋にかかっている。

「小雪を、ここに、連れて行って下さいませんか」

「お安いご用です」

 渡された紙を見つめ、鳩は頷く。

「木曽街道の奥ですね。……小雪ちゃんは?」

 おりんはそっと鳩の足元を指差した。

「うわっ」

 小さな少女が、好奇心に輝く瞳で鳩を見ていた。何故か、いとし藤の手拭いを握りしめている。

「この子の面倒を見てくれたら、遺産を渡すと、妹に伝えて下さいませんか」

 おりんのか細い声に、鳩は力一杯頷いた。




「はとー! 富くじ!」

「買うか馬鹿っ!」

 酷い人だかりだ。

 袖はもげ、帯は解けると言われるのも頷ける。

「あんな、運試しのものをほいほい買うんじゃない。路銀も少ないんだ、行くぞ」

「えー」

 娘は不満げに頰を膨らます。

「普通は長屋の奴らと割り札なんだ。高いんだぞ!」

「えー」




 小雪は、いつの間にか鳩を鳩と呼び始めた。

 それ以来、いくら矯正しようとしても、鳩と呼び続けている。




「くそ……一雨くるな……」

 鳩は空を睨みつけ、近くの民家の戸を叩いた。

「ごめんください、飛脚です。今晩、泊めていただけませんか。納屋で構わないので」

 出てきた農夫は、怪訝そうに鳩の全身を見回した。

「見慣れない顔に格好だねぇ……」

 その言葉に、鳩はこれまでの経緯を説明する。

 子供を預かったこと、本来はこの地域を担当してはいないのだが、ちょうどいいからと手紙も預かっていることを説明した。

 農夫はいたく感心して、馬と娘を預かってくれた。




 鳩は、雨の降るなかこの地域の手紙を配り終え、農夫の家に戻ってきた。

 足を洗っていると、小雪が首に飛びついてきた。

「おい! 水零しちまうだろ!」

「落ちるー!」

「何が落ちるだ! 自分で飛びついてきたくせに!」

 農夫の妻に手伝ってもらい、小雪を引き剥がした。

 運のいいことに、豆腐が多用されてはいたが、夕飯朝食を分けてもらえ、元気になって出発することができた。

 鳩は、手紙の他に、路銀や着替えを薬売りから譲ってもらった薬箱の中に詰めている。それを検め、背中に背負う。もちろん、小雪の襟に縫い込んだ金の量も確認する。

 そうして、鳩は馬に跨った。

 鳩の前に座った小雪は、農夫の妻から風車をもらい、上機嫌でそれを振り回している。

「落とすなよ、小雪」

「うん!」

 順調に折り返し地点まで辿り着くことができた。この地域を担当している町飛脚たちも、事情を話すと快く鳩の出しゃばりを許してくれた。



「はと! お団子食べたい!」

「昨日も食ったろ」

 小雪は頭をブンブンふって喚いた。

「今日は食べてないもん! お団子お団子!」

 街道の団子は高いのに……っ。

「いっ、お前! 風車で人を刺すんじゃない!」

 凶器を突きつけられた鳩は、馬を止めざるを得なかった。さすが、江戸の食い倒れの中で育った娘だ。



 鳩は孤児だった。

 足が速かったからと言って、馬で手紙を運ぶのに、親方は鳩を拾って育ててくれた。

 だから、なんとなく小雪を育てる人の候補がいなくなっても、あまり心配はしていなかった。

 しかし、幼児というものは、どうしても体が弱かった。



「くそ……っ、なんで民家の一つもない!」

 一寸先も闇の夜、豪雨の中鳩は走っていた。

 この豪雨はなんの試練か、四日前から降り続いており、一日前に家主に家を追い出された。

 今日は軒先を借りてなんとか過ごしたが、そこもとうとう追い出された。

 そんな中、懐の小雪が熱を訴えたのが一刻前。

「はと、暑いよぉ……」

「もうちょっとだからな!」

 容赦なく体温を奪う雨と、足を取る汚泥に苦戦しながらも走り続け、馬も鳩も限界に近かった。

「誰かっ、誰かいないか⁉︎」

 鳩は雨に向かって声を荒げる。

「くそ! 誰か‼︎」

「へえ、にいちゃんいい馬持ってんじゃん」

 くそ、盗賊を呼び寄せてしまったか!

 鳩は弥五郎を引き連れて駆け出した。

 弥五郎は大事な商売道具で、大切な大切な仲間だ。そう簡単に失ってたまるか!



 小雪の息がかなり荒い。

 小雪には雨がかからないように笠を被せている。それを除けると、少女の頰は真っ赤になっていた。

 坂道を転げるようにかけていると、弥五郎がもんどり打って倒れた。

「弥五郎!」

「あんた飛脚? やっぱいい馬じゃん。お前ら、馬を確保しろ!」

「おう!」

「邪魔になるならその男も殺せ!」

 しまった。弥五郎を助ける時間はない。

 盗賊の嘲笑を背後に、鳩は必死で地面を蹴った。

「小雪、もうすぐだからな……」

 小雪からの返答がない。

 その時、鳩は気がついた。

 この道、村の中じゃないか?

 豪雨でぐちゃぐちゃにはなっているが、この硬さ……!

 鳩は小雪の顔を見た。ぐったりしていた。

「小雪、着いたぞ!小雪、小雪……」

 遠くで雷獣が吠えた。

 その瞬間、鳩も倒れた。

 人生で初めて、走り続けて限界を迎えた。


(くそ……こんなところで……こんなところでっ‼︎)


 鳩はなんとか立ち上がった。

「小雪のためなら、焼豆腐の心意気だ……!」

 しかし、そんな言葉とは裏腹に、鳩の足は棒のようだ。

 その時、霞んだ瞳にぼんやりとした明かりが映った。

 ゆらゆら、灯火は揺れている。

「……?」

 民家の、明かりにしては随分鮮明で、近い。

 ゆらゆら、灯火はそこに留まっている。

 鳩が一歩踏み出し、灯火に手を伸ばすと、それは一歩鳩から離れた。

「もしかして……案内、してくれるのか?」

 灯火がゆらゆら揺れる。

 どうして、雨の中消えないのだろう。

あやかし……なのか?」

 いつの間にか、雨が消えていた。

 いや、雨音も視界が悪い状況も続いている。しかし、鳩に雨粒が降りかからない。

「あんた、一体、」


 背後で怒声と悲鳴がした。


 鳩は思わず振り返る。

 盗賊たち。

 灯火が少し離れていた。誘うようにゆらゆら揺れている。

 鳩は迷わず、最後力を振り絞って駆け出した。




 降り続く豪雨に気を揉んでいた家主は、どごん、と大きな音がして飛び上がった。

「な、なんだ? 誰だ?」

 玄関前に立って問いただすと、その扉が微かに叩かれた。

「おい、誰だ?」

「あんた、どうして開けてやらないんだい⁉︎」

 家主の妻も飛び出してきて、家主が止めるより先に、その扉を開け放った。

「あ⁉︎ おい、大丈夫か⁉︎」

 そこには、子供を抱えた青年が、うつ伏せに倒れていた。




 誰かが鳩の手を引いている。

 鳩は随分背が低い。……小雪と同じ、四歳ごろだろうか。

「おとっちゃん」

 ああ、この男が父親なのか。

 父は返事をしない。

「おとっちゃん!」

 手を引くと、ようやく振り返った。

「どこ行くの?」

 父は、無言で鳩を引っ張った。

 子供ながらに、鳩は察していた。

 でも、嫌だった。死ぬのも、寂しい思いをするのも。でも、飢えるのも嫌で。両親が飢えてしまうのも嫌で。


 鳩は竹林の崖下に捨てられた。




 誰かの声がする。

 揺さぶられる。

 頰を引っ叩かれる。

 微かに目を開けると、険しい顔をした熊のような男がいた。

「坊、医者に行くぞ」

 うち、そんなお金ないよ。

 筍と一緒に籠の中に放り込まれた。

「居心地は悪いだろうが堪忍な」

 揺れる。

 誰かの背中で。

 誰かの息遣い。

 誰かの声。

 心配する声。

 たくさんの顔。

 痛み。

 いい匂い。

 商人あきんどの声。

 子供が遊ぶ声——。




 鳩は飛び起きた。

「小雪……小雪!」

 名前を叫ぶと、はぁい、と気の抜けた返事がして、縁側から娘が顔を覗かせた。

「あー! ととちゃん起きたぁ! おとみちゃーん、ととたん起きらぁ!」

 まあまあ、と言って台所から女が戻ってきた。

「あら良かったぁ。あなた、三日も眠っていたのよ? お加減はどう?」

 鳩がなんとか『大丈夫です』と答えようとした時、横から小雪が飛びかかってきて、鳩は寝床に倒れた。

「はと起きたぁ!」

「こらっ、雪ちゃん!」

 鳩は、小雪を引き剥がそうとした女の手を掴んだ。

「あの、俺、どうして」

 聞きたいことが多すぎて口をぱくぱくさせる鳩に、嫋やかに女は笑った。

「そうよね、そこからよね。あの日、あんたらは玄関に倒れてたのよ。だから、着替えさせて体を温めてやったんだよ。

 で、小雪ちゃんはどう見ても風邪だから、お薬を飲ませてね。あなたは熱もないし、疲れているだけだろうと思っていたの。

 二人とも、そのまま一日経ったわ。

 そしたらね、その晩に、綺麗な女の人がやってきて、『治療します』っていうから、診せたのよ。女の人はその晩で帰るつもりだったみたいだけど、雪ちゃんがすぐ回復して女の人に遊んでくれってせがんで……。

 まあ、とにかく今日の朝にその人は出てっちゃったんだけど。

 あ、あと、その人は馬も届けてくれたわ。小雪ちゃんが言うには、弥五郎って馬らしいけど」

「えっ、弥五郎が……⁉︎」

 鳩は寝床を飛び出し、乱れた服装のまま家を飛び出した。


 何事かと驚いたように雀が四散し、一頭の馬が顔を上げた。

「弥五郎……」

 草を喰んでいた馬は、主人の肩に何度も鼻を擦り付けた。

「ごめんな……守ってやれなくて……」

 暫く弥五郎の鼻面を抱きしめて、家に戻ろうとすると、足元に小雪がいた。

「うわっ」

「あんね、弥五郎を連れてきてくれた人ね、あめって名前なの」

「あめ?」

 変な名前だ。

「ごろう、感謝してた」

「ごろうじゃなくて、弥五郎な?」

「あ、そうだったね!」

 ……まさか、あめっていうのは略か?

「なあ、あめって言うのも、あだ名か?」

「うん!」

 こいつ……。

「えっとねぇ、れ……、あれ?あー、わすちゃった!」

 笑顔で言うことか……?恩人の名前を忘れたって……。

「名前にね、雨がはいってたの。だから、あめなの!」

 話にならねぇや。

 その時、鳩のお腹がぐぅ、と鳴った。

 小雪が声をあげて笑った。

「ととちゃんのおなあが鳴った!」

「誰がお前の父親だよ⁉︎」

「あら、違うの?」

 おとみが首を傾げる。

 鳩は肩を落とした。




「おう、鳩の兄貴! おかえり! って、あれ? 小雪ちゃん連れてきたんで?」

「育てられるかボケェって、追い返された」

 殴りかかる真似をしてみせる。

「ひっで」

 巳之吉は肩を竦める。

「やけに遅かったな。おりんさんの葬儀も終わっちまったよ!」

「……亡くなったのか」

「ああ、お前が出発した次の日の朝に」

 巳之吉は、空気を変えるように殴るように拳を振った。

「四日も超過して帰ってきやがって、馬鹿ぁ! 死んだかと思ったじゃねえか!」

「実際死にかけたよ」

 弥五郎を厩舎に入れてやると、真っ先に水を飲み始めた。

 小雪はその周りで風車を振り回している。

「ととちゃん! お腹すいたぁ!」

「は? ととちゃん? 鳩が?」

「小雪、俺はお前の父親じゃねぇ!」

 小雪に手を引かれながら、鳩は溜め息を吐く。

「まずは最初に旅の神様に感謝しに行くぞ!」

「えー」

「お前も俺も、弥五郎も! 神様に助けてもらったんだからな⁉︎」

「え、お前の旅、何があったんだよ?」

「ああ、行き倒れかけてな、よく分からんが神様のおかげらしい」


 盗賊に関して岡っ引き達が鳩の元にやってきた時、彼らは口々にそう言った。本来なら、同心に叱責されるだろうが、盗賊達は既に捕えられている。彼らの口は軽く、どうやら、当の盗賊達も神様にやられたと言っているらしい。

 可笑おかしな話だ。


 と、熊のような親方が出てきて、鳩に頷いた。

「行ってこい、鳩」

「ほら小雪! 親方もそう言ってるぞ! 怒るとおっかないんだぞ!」

 小雪は鳩を引っ張るのをやめて、ぽかんと大男を見つめる。

 そして、また爆弾を投下した。

「じいじ、怒ると怖いの?」

「お前一回その口塞げ!」

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