8 バトル
平尾さんの動きは俊敏だった。
目にも止まらないスピードで、暗闇の奥のゾンビに飛びかかっていく。
いつの間にか手にしている例のソードを構え、一気にその場をジャンプした。
だが――その跳躍は、無意味だった。
つまり、ゾンビに完全に見切られていたのだ。
彼女の渾身の一撃を軽いパリィで受け止めると、ゾンビが大きく振り払う。
それによって平尾さんは、数メートル向こうに弾き飛ばされた。
床に、したたか腰を打ちつける。
だけど彼女はNPCだ。
苦痛に顔を歪めながらも、なんとか素早くその場を立ち上がる。
二人の間には十分な距離があったが、平尾さんは警戒をゆるめなかった。
おそらく今の一撃で、今のゾンビの実力を把握したのだろう。
やはりヤツは、さっきの路地裏の時より、確実にパワーアップしている。
それはおそらく、ヤツが他の誰かを吸収しているからだろう。
平尾さんが、呼吸を整える。
だがその直後――信じられないようなことが起こった。
彼女がソードを構えなおした瞬間、ゾンビはすでに彼女の目の前にいた。
ノーモーション。
は、速い! 速すぎる!
物陰で見ているボクでさえ、ゾンビの動きはまったく見えなかった。
平尾さんが、それにハッとした表情を浮かべる。
時が、止まった。
ヤツの鈍く光るカギ爪が、思いっきり彼女の腹部を通り過ぎていく。
「うぐっ!」
苦痛に顔を歪めながらも、平尾さんはバックステップでなんとか距離を取った。
バトルステージが駐車場の屋上で良かった。
もしこれがさっきの路地裏だったら、あれだけ距離を詰められたが最後、なすすべもなかっただろう。
正直言って……この二人の実力差は、歴然としていた。
ゾンビの方が、圧倒的に強い。
さっきの路地裏でさえ負けた平尾さんが、さらにパワーアップしたこいつに勝てるとは思えなかった。
平尾さんが腹部を押さえる。
痛いのか?
そりゃあ、痛いだろう。
彼女はNPCとか、自己修復システムとか、色々言ってたけど、あれだけの傷だ。
誰だって、痛いに決まってる。
さっき握った彼女の手には、たしかなぬくもりがあった。
生きてる人間、ボクたちと同じ温かさがあった。
彼女だって……NPCとかそういうのは関係なく、ボクたちと同じ人間だ。
苦痛に顔を歪めた彼女が、それでも立ち上がってゾンビにソードを構える。
彼女の傷口に、例のブロックノイズが浮き上がってきた。
自己修復システムとやらは、無事起動している。
だけどこの状況――自己修復システムとか、そういった問題じゃない。
修復される前に平尾さんはヤツに倒され、そのまま吸収されてしまう可能性が……。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
気合を入れた、彼女の雄叫び。
一気に、平尾さんがゾンビの懐に突入していく。
だが――ボクたちは知っている。
人間、気合いだけではどうにもならないことがある。
どれだけ頑張っても、報われない時だってある。
それはその人の実力、と言って良いのかもしれない。
そういった意味で、NPCとしての彼女は、あのゾンビと戦うにしては実力不足だった。
最初から、勝てるわけがなかったのだ……。
ゾンビのカギ爪が暗闇で美しく光ると同時に、暗闇の中に赤が飛び散っていく。
それはとても無惨な飛沫となり、彼女の敗北を意味していた。
ヤツに吹き飛ばされた彼女が、駐車場の壁に背中を打ちつけ、力なくへたり込んでいく。
ま、負けた……。
平尾さんは負けた……。
それはどうしようもなく、まるで運命のように、彼女の体を血まみれにしている。
『血液はあらかじめ、赤色に設定されている。だけどあれは単なる効果で、本当は別の色だ。赤色は警戒や危険を連想させ、キャラクターの反応速度も早くなる』
さっき平尾さんはそう言ったけど、これはボクにとっては、血だ。
まぎれもなく、血だ。
血まみれの平尾さんを見つめながら、ボクの全身が震えはじめる。
怖い……怖い……怖い……。
こいつ、このゾンビ、一体どんだけ強いんだ?
NPCの平尾さんがまったく歯が立たないなんて、あまりにも圧倒的すぎる……。
ボクはどうしようかと考える。
だけど、答なんか出るわけがない。
だってボクは――本当に、何の力もない人間だった。
倒れている平尾さんが、ゆっくりとボクに顔を向けてくる。
「ダメだったよ……永瀬くん……」
「ひ、平尾さん……」
「今からこの空間の隔離を解除する……あなたは……逃げて……」
「い、いや、逃げてって……」
「あのね……楽しかったよ……マジで……本当に、楽しく、笑えたよ……」
こんなことって、あるんだろうか?
こんな結末って、いいんだろうか?
こんな、この世界の秩序を守ってるNPCが、こんな風に最期を迎えるって、それは世界として、本当に正しいんだろうか?
そして気がついた時には――ボクは物陰から飛び出し、彼女の体を抱えあげていた。
血まみれの、彼女……。
自己修復システムのブロックノイズが傷を包み込んでいるが、これ、結構ヤバいんじゃないだろうか?
少なくともこのままじゃ、彼女の命が尽きる前に、あのゾンビに吸収されてしまう。
「に、逃げよう! もう一回、キミを連れて帰る! 作戦を練るんだ! そしたら次こそ、絶対に勝てる!」
「ダ、ダメだよ……こいつは強すぎる……作戦とか、そういう問題じゃない……あなたまで、殺されてしまう……早く……逃げて……」
「逃げれるわけないだろ! クラスメイトだぞ? 友だちだぞ? そんな、友だちを置いて逃げるとか!」
「友だち……」
「ボ、ボクが何とかする……何とか、いっしょに逃げられるような隙を……」
「む、無理……絶対……やめて……」
「無理じゃない!」
ボクは平尾さんの手からエメラルドグリーンのソードを取った。
めちゃくちゃ重い。
こんな重いものを持って、ずっと平尾さんは戦っていたのか。
こんなめちゃくちゃ細い体の、中一の女の子が……。
ボクは初めて持った、そのソードを構える。
ゾンビが、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
「ち、近寄るな! 近寄ったら、お前の命はないぞ!」
そう怒鳴りつけたボクは、自分でもわかるくらい、手足がガクガクと震えていた。
ボ、ボクは、ダメだ……。
考えてみれば、ボクは一度も誰ともケンカをしたことがない。
そんなボクが……こんなゾンビみたいな怪物・バグに、勝てるわけが、ない……。
そう思った次の瞬間、ボクは駐車場に転がっていた。
何も、わからなかった。
一体、何回転しただろう?
ものすごい力で吹っ飛ばされたボクは、いつの間にか床の上に横たわっている。
顔や体のアチコチが、グロい感じで擦り剝けていた。
いつの間にか、平尾さんのソードはボクの手を離れている。
何か熱いものを感じ、自分の腹部に手を当ててみた。
暗闇に浮かび上がる、鈍く光る赤。
「血だ……」
「永瀬くん……永瀬くん!」
どこからか、誰かの叫び声が聞こえる。
うつろにそちらに視線を向けると、叫んでいるのは平尾さんだった。
ごめんね、平尾さん……。
ボクはやっぱ口ばっかな男だったよ……。
カッコつけて、キミを助けようとして、結局何もできなかった……。
おまけにキミに心配をかけた……。
だけど……ボクはキミを助けたかったんだ……。
でもボクも、実力がなかった……。
自分が思ってることを、実現できなかった……。
なんだか意識が薄れてくる……。
このまま、ボクは死ぬんだろうか……。
平尾さんは、あのバグに吸収されてしまうんだろうか……。
その時、ボクの頭の中で、さっきの平尾さんが言った。
『仮想空間とはいえ、ここは、ほぼリアルワールド。何か得たいものがあれば、それは何だって叶う。イメージだよ。イメージがあったからこそ、人類はここまで生き延びることができた』
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