6話目 「彼女のログ」
相互電子ビルの前で、レトは輝と別れた。
彼はあのまま、中央通り方面へ歩いていった。
立ち去る背中を見送りながら、レトは小さく息をついた。
異界と繋がった“封匣”。消えかけた記録。観測者としての覚悟。
彼の中にあるものが、かすかに見えた気がした。
「……ちょっと歩こうかな」
彼女は人通りの少ない裏通りへと足を向けた。
シャッターが半分閉じたパーツ屋。壁に貼られた黄ばんだアニメポスター。
古いエロゲのタイトルが書かれた看板の文字が、半分消えかかっている。
時代が動いているのが、肌でわかる。
秋葉原は好きだ。
だけど、“好き”の中にはどうしようもない喪失の感情が含まれている。
見てきたもの、聞いてきた声、いつの間にか消えてしまった店。
そして、誰にも気づかれず消えた誰かの投稿。
レトは小さなMDレコーダーを取り出した。
それは、まだ彼女が中学生だった頃に、父親にもらったものだ。
「記録ってね、誰かが残したって証なんだよ」
父の口癖だった。
あの頃、彼は秋葉原の某オーディオ店で働いていた。
MDやカセットテープ、ミニコンポがまだ現役だった時代。
店の片隅に録音テスト用のブースがあって、そこにこっそり入っては、レトは風景の音を録音していた。
「ゲームセンターCX見て、あの駄菓子屋の音真似してみた」
「ガシャポンのカプセルが落ちる瞬間の“コトン”って音、うまく録れたかも」
そうやって、自分だけの“秋葉原の音”を集めていた。
けれどある日、その店は閉店してしまった。
張り紙もなく、看板だけが真っ白に塗り直されていた。
あのとき、MDに録っておいてよかった。
音だけでも残せてよかった。
それが、彼女が“記録”という行為に本気で向き合った始まりだった。
そしてもう一つ、強く印象に残っている記憶がある。
ある晩、父の古いノートPCを借りて、インターネット掲示板を眺めていたときのこと。
“きさらぎ駅”
“リゾートバイト”
“姦姦蛇螺”
いくつもの不可解なスレッドが、半信半疑のコメントとともに更新されていた。
信じる者も、笑い飛ばす者もいた。
けれどレトは、その中に“届かなかった記録”がある気がしてならなかった。
──この話は、本当に誰にも伝わらなかったの?
──その人は、どうして投稿をやめたの?
誰かが確かに残そうとしたのに、途中で消えてしまった言葉たち。
それが、都市伝説を“ただのネタ”ではなく、“断片的な記録”として意識するようになったきっかけだった。
路地裏の薄暗い階段に腰を下ろして、レトはMDを再生した。
音は、小さく、歪んで、どこか遠い。
でも、確かにそこに“過去”があった。
「風間くん……あなたは、どうするんだろう」
小さな録音機器を抱えるようにして、彼女はそっと目を閉じた。
秋葉原の風が、どこか懐かしい匂いを運んできた。
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