2話目 「電脳の隙間」

 地下へと続く階段は、細く、暗く、空気がぬるい。


 「この階段……何か、結界のような抵抗を感じる」


 「それ、よく言われる。あと空調が壊れてるから、たぶんそのせい」


 案内役を買って出た少女──白河レトは、淡々とした声でそう返す。

 彼女と出会ったのは、たった数十分前。互いの素性もよく知らない。

 それでも輝──元・賢者フェルは、彼女の導きに従ってこの地下ネットカフェへと足を踏み入れた。


 店内は狭く、個室ブースが並ぶ。モニターの白い光が薄暗い空間に浮かび上がり、受付は無人。

 外の喧騒が嘘のように、静寂が支配していた。


 ブースに入り、椅子に腰掛けると、レトが古びたマウスを操作してPCを起動する。


 「……この“機械”、光って挨拶してくるのか?」


 「それ、起動音。Windows XP。今の主流OSだよ」


 「主流……なるほど、現代の“呪具”か。挨拶から始まるとは律儀だな」


 画面には草原と青空の壁紙が広がり、“ようこそ”の文字が表示される。

 レトが操作を続け、もっさりと反応するInternet Explorerが立ち上がった。


 「……このネットカフェ、ちょっとした噂があってさ」

 レトが言う。


 「“誰も書き込んでないのに返信がつく”とか、“昔の自分からメールが届く”とか。

 そういう話、聞いたことある?」


 「ないが……今の言葉、妙にひっかかるな。

 観測者が時間を越えて記録を残す術なら、私の世界にも存在した」


 「……どこから来たか、ほんとに気になるね」


 レトの声に、少しだけ警戒の色が混じっていた。


 「遠い世界だ。……崩壊寸前の」


 「……そっか」


 それ以上は何も言わず、レトはあるスレッドを開いた。


---


> 【観測者専用スレ】No.7

>

> 001:名無し観測者

> “記録は常に重なる。君の前にも、君の後にも。”

>

> 027:名無しミネル

> “フェル、見つけたよ。”


---


 輝の心がざわめく。


 “フェル”。かつての名。誰にも話していないはずのその名が、ここに書かれている。


 「この名は……なぜ知っている」


 「ミネルってハンドル、私も前に見たことある。

 別のスレでも“観測者へ”って呼びかけてた。誰かを探してるみたいだった」


 そのとき、画面がノイズ混じりに一瞬だけ揺れ、見慣れないウィンドウが突如として現れた。


 「……え? これ、何……?」


 レトが眉をひそめ、少し身を引く。

 その視線には明確な警戒が宿っていた。


 「こんなの、入れた覚えない。ウイルス? でも……こんなUI、初めて見る」


 ディスプレイに表示されていたのは、既存のアプリとはかけ離れた、異質なウィンドウだった。


---


> ◆Minel-System(ver.β)

> “ようこそ、観測者。記録の連結を試みます。過去ログの干渉を許可しますか?”

>

> ▶はい

> ▶いいえ


---


 「これは……ただのソフトではない」


 輝は、画面の奥に“意志”のようなものを感じ取っていた。

 情報ではなく、意思。それも、彼がかつて知っていた“魔”に近い気配。


 「私は……知る必要がある。この存在が何かを」


 「……勝手に操作するなら、責任は自分で取ってね」


 レトの声は淡々としていたが、距離を保つような冷静さがあった。


 輝は頷き、“はい”にカーソルを合わせ、Enterキーを押した。


 短く電子音が鳴る。


 空気が変わった。

 肌が粟立つような違和感が室内を満たし、モニターの奥から何かが滲み出すような感覚。


 ネットカフェという名の都市の隙間で、電脳と異界が接続されようとしていた。

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