身代わり姫と身代わり帝は恋に落ちる
ぜろ
第1話
十二歳の帝に入内せよ、と言われたのは十四になったばかりの正月だった。妾腹の私には思ってもみないことだったが、代わりに三年経ったら嫡子の妹を入内させる、と言うのだから、体の良い席取りだったのだろう。望んですぐに入内できるほど後宮も広くはない。だから妹が入内できる歳になるまでの、場所を取って置けと、まあそう言うことだ。
馬鹿にされてるなあと思いつつも妾腹として蔑まれながら屋敷に居るのもそろそろ限界だったので、はいとにっこり笑って私はそれを受けた。十二歳の帝、三年経っても十五歳でまだまだ初々しかろう。私の腹が膨れることはないのだろうな、と、与えられたのは藤壺だった。物語で有名な場所だったので、へぇ、と思ったものだ。
私に許されたのは物語を読むことと手習いぐらいだったから、三年でも光の君が思いつめた場所にいられるのは少し面白いことだった。妹が入内するまでの三年間だ、精々いい思い出として使ってくれよう。藤壺中宮、として迎えられたのは、意外だったが。中宮。正妃だ。まさかそんな扱いを受けることになるとは。まあこれも妹のために中宮の座を取っておこうとしている父上の謀略だろう。
昼の内に入内の儀を済ませ、御簾越しに帝とも顔を合わせる。ふわ、と香ったのは伽羅の香りだった。ふうん、と思う。やっぱり帝は使っているものも一段上だ。香遊びにはそう使わないものを焚き締めている。
「では
「ええ、ありがとう」
葛籠の中身も出してすっかり自分の居城になった藤壺は、狭くはなかったが広くもなかった。女房はそこらに控えているから、茶ぐらい所望しても良いだろうかと疲れた身体を伸ばしてぺきぺき鳴らす。単衣を脱いでごろんと転がれば、誰の噂話も遠すぎて聞こえないのが心地良かった。妾の子。お情けで置かれている子。邪魔な子。
勿論全員が敵であったわけではない。実家の屋敷では良くしてくれる女房もいたし、妹は可愛らしかった。貝合わせや香を使った遊び、百人一首と色々遊びも教えてくれたし、それは多分この先私が本当に結婚する事になった時役に立つだろう。
今は政略結婚の駒だが、いずれは誰かの妻として迎え入れられるだろう。まあ、また妾になっているかもしれないけれど、毎日食事が出来ればそれで良い。その程度の甲斐性がある男の元に迎えられたら、それが良い。
うとうとしているといつの間にか灯台が点けられていた。あふ、とあくびを逃したところで、こんこん、と障子戸が叩かれる。
「お夕飯でございます、姫様」
「ああ、そんな時間なのね。ありがとう」
冷めたご飯は毒見の為だろう。ちょっと物足りないなと思いながら膳に突き刺さった箸を取り、魚をほぐしていく。流石は中宮、骨抜きされている。しかも丁寧に。煮付け、醍醐と食べて行って、私はごちそうさまでした、と声無く手を合わせる。すると控えていた女房がそれを持って清涼殿の方へと向かって行った。
藤壺は清涼殿に近いから、帝のお渡りも多いものと聞く。悋気にはやった姫があやしきわざでも使ったら面白いのに。くつくつ笑っていると、そろそろお休みになられては、と女房に進言されてしまった。さっきまでうとうとしていたから眠気はないけれど、いつまでも灯台が点いていたら夜這いに来る方も都合が悪いのだろう。まして今日は結婚初夜だ、帝のお渡りの可能性も高い。
ふっと灯台の火を消して、私は横になる。単衣は五枚、もうそんなに冷える季節じゃないから十分だ。と、きしきし音が響いて来るのが分かる。軽い足音だから、女房達ではあるまい。
そ、っと障子戸を開け、入ってくる気配は男の物と知れる。早速お渡りか。中々帝も隅に置けない好色だ、歳の割に――思っていると、ふと奇妙なことに気付く。御簾を上げて単衣を捲ろうとしてくる少年に、私は誰にも聞こえないよう小さな声で問うた。
「誰です。あなた」
「ッ!?」
ばっと転げた男は少年だ。帝と大して年は違うまい。だが、香が違う。昼間は伽羅だったが、今は白檀の香りだ。位としては、低いぐらいの。
「――なぜ分かった。織花」
「香りが違います。貴方様からは白檀の匂いがする。昼間は伽羅でした」
「鼻が良いな」
「犬君とでもお呼びください」
「だが困ったことになった。これではお前を抱けない」
「何か起こっているのですか? この後宮で」
「それはまだ話せない」
「声でもあげましょうか」
「織花」
「冗談です。――あなたの名は? 偽の帝様」
ふう、と息を吐いて少年は言う。
「
「ふぅん」
「驚かないな」
「どこにでもある話です。妾腹なんて」
私のその言葉に一瞬機嫌を悪くした時頼様は、ふっと気付いてにやりと笑う。
「お前もそうだろう? 妾腹の、三年限りの入内」
「ええそうですよ。だから私を抱いて孕ませてもあまり父上はお喜びになりません。三年後をお勧めします」
今度は虚を突かれた息遣い。
それから小さく、ふはっとお笑いになる。
「明日兄が来る。その時に事情は話そう」
小さく言って時頼様は立ち上がり、灯台に火を点けて出て行った。
女房たちはどう思ったのだろうと、それだけが心配だった。
まあ、緊張して互いになせなかったとでも言えば良いか。
「織花様、昨夜のお渡りはいかがでしたか? 随分お早く帝が出て行ったので、わたくしたち心配になってしまって」
案の定朝餉の後で女房達に問い詰められる。否、彼女たちは問い詰めているわけではないのだろう。単なる好奇心。華々しい世界にやって来て最初の夜のことが気になっているのだろう。事と次第によってはすぐに実家に帰されることになるから、その心配もあるか。私は御簾の向こうで扇を広げ、あー、と精々照れているふりをする。
「互いに緊張してしまってな。なすべきことはなせなかったが、今夜も来ると言って下さった。その時は少し皆も離れてくれるか? やはり見られていると言うのは、あまり良い気分ではないらしい」
「それはそうでしょうが、わたくしたちは織花様のお付きです、それは出来ません」
「だろうよなあ。二人きりと言うのもはかなげな願いか」
「う」
「式部様、たった一日ぐらいならよろしいんじゃありませんか?」
「初夜ぐらい二人っきりにさせておいても」
右から左から言われ、さすがの式部もはあっと息を吐いた。
「一日だけです。今夜だけですからね、織花様」
「ありがとう、式部。迷惑をかけてすまないな」
「迷惑ではありませんが――何ぞあった時は、床を強く叩いて下さいましね。すぐに参上いたしますので」
「分かった。気遣い痛み入る」
姫らしい言葉は使わずに過ごしてきたせいか、式部は少し頬を赤らめて、では、と下がって行く。他の女房達も同じ、私の傍に残ったのは茶の椀を持った頼少納言だけになった。先ほどからずーっと待っていたのだが式部たちの勢いに入って行けずにいたものだ。はっとして、頼少納言は私の御簾の下から茶を差し出す。ん、とすこしぬるくなってしまったそれに口を付けると、程よいくちどけだった。頼少納言は母上に躾けられて茶を修めたらしい。なんでも一つは特技を持っていれば、重宝されるからと。実際母君も茶の腕を買われて朝廷に出仕していたこともあるそうだ。
のんびりした性格の頼少納言は、それにしても、と私に話し掛けて来る。屋敷でも仲の良いと言える数少ない女房だったので、こちらに付いて来てくれたのは嬉しい。
「緊張で出来ないことなんてあるんですねえ、帝にも、十人は妃がいるでしょうに」
「私が年上だからかもしれんぞ」
「帝、十二歳でしょう? ほとんどの妃は年上だと思いますけれど」
「それもそうだな。変わった帝だった」
「変わった、だけですめば良いんですけれどねえ」
困ったように笑う頼少納言に、ずず、と私は音を立てて茶を飲む。これ以上の詮索は無用、と言う意味を込めて。
しかし帝の弟が帝に許可を貰って帝の妃に夜這いするとはなあ。
どういう理由なのか、少しは気になった。
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