第37話

 夜、さすがにあれだけではおなかが空いただろう、とウルの用意してくれたフィンガーフードを添えた軽いお酒が用意される。部屋にやってきたセシルと、彼が留守にしていた間のことを報告しあう。

 彼の報告はお茶の時間に聞いた。なので、私の話――なのだけど、そんなに珍しい出来事があったわけではない。私の中で一番印象深かったことと言えば


「今日、セシルが帰ってくる直前の話なのだけど」

「はい」

「トレフとピッケが手合わせ? とかいうのをやっていたの」

「……それは、珍しいですね」

 

 少し目を大きく開いてみせたセシルが、続きを促してくる。


「私、ああいうのは孤児院の子供たちがやっている戦いごっこのようなものでしか見たことがなくて。大人の、ちゃんとしたそういうのを初めて見たの」

「はい」

「とてもすごかったわ。ピッケは体術が得意とは聞いていたけど、あんなにしなやかで速い動きが出来るなんて! 人間ってあんなに身軽に動けるものなのね」

「彼は非常に身軽なので、特殊な部類だとは思いますが」


 思い出すと、ちょっと興奮してくる。


「それにトレフ! 彼、セシルが言っていたように本当に強いのね? いつも通りの冷静さを保ったまま、でも声も雰囲気もいつもとは全然違っていて、少し怖いくらいだったわ。動きも無駄がないように見えて、もちろん私は剣術などについてはまったく知らないから、ただの素人の感想でしかないのだけど」


 私の話を黙って聞いていたセシルが、わずかに眉をひそめた。


「……そんなに良かったんですか」


 私は意外なほどに低い声にぱちりと瞬きをして、セシルの顔を見る。


「ええ。とても格好良かったわ。2人ともそれぞれ全然違う戦い方だったけど、迫力があって……息を呑んで見惚れてしまったほどよ」


 セシルは膝に置いた組んだ手を、落ち着きなく何度も組み直している。その唇に、わずかに力が入っているように見えた。

 ――なんだか……不満そう?

 わかり切っていることを、なにも知らない人から言われるのはやっぱり不快なのかしら、と思っていると、やっぱり低い声のセシルは続ける。


「彼らの強さは知っています。無駄がない動きも、ずっと鍛錬を積んできたからです。今でこそトレフは執事のようなことをしてくれていますが、本来私ではなくて彼が騎士団への推薦を貰ってもおかしくない実力はあったんですから」

「あら、そうなのね?」

「でも、彼は自分にはセシルほどの目的はないから、と譲ってくれたんです。わかりますよ、トレフの剣技も、ピッケの体術も見事なものですから。貴方が視線を奪われたのも、それが忘れられないのもわかります」


 ――……これ、もしかして拗ねてる?

 私が彼らをあまりに格好良いと褒めるから。

 ――なにそれ。


「可愛い……」


 つい言葉が漏れる。ピクっと肩を揺らしたセシルは、怪訝そうな顔で私を見る。


「なにがですか?」

「もしかして、セシルってば拗ねてるの?」

「っ! そ、そんなことは……」


 明らかに動揺した顔になったセシルは、表情を隠すように片手を持ち上げて隠そうとする。でもそんな仕草は私の言葉を肯定するものでしかない。


「別に、拗ねてなんかいません」

「本当に?」


 重ねて尋ねると、一瞬言葉に詰まった彼は、諦めたように手を下げて


「……本当は、ずるい、と思いました」


 不貞腐れた子供のようにぼそりと言った。


「私が戦っている場所は、あまりに危険で貴方に実際に見ていただくことは出来ません。騎士団の訓練場も、身内であっても見学は許されていません」

「セシルは多くの人の命を守っているのだもの。とても立派だわ」

「……貴方にあんな風に言ってもらえるなんて」


 どうにも納得のいっていない様子のセシルの頭を撫でたくなる。でもそんなことをしたら、子供扱いされているような気分になってしまうだろうから、うずうずする手を必死に抑える。


「……褒められているトレフとピッケが、正直羨ましいと思ってしまいます」

「貴方が強いという話は、噂でたくさん聞いているわよ?」

「騎士としても大人としても情けないことに、私は今、レディ・ミアの真剣な視線をその身に受けていたのだろう彼らに、嫉妬しています」


 セシルの言葉も、視線も、妙にくすぐったい。


「いつか、セシルの格好良いところを見る機会があると良いのだけど」


 そう返せば、彼はぱっと顔をあげた。


「なので、今年の騎士団対抗戦には私も出ることにします」


 それって、国中が大盛り上がりするあのイベントのことを言っているのだろうか。全部の騎士団から選りすぐりの精鋭たちが集められ、国王殿下の前で行われるという、あの対抗戦のことを言っているの?

 対抗戦は一般にも公開されている一種のお祭りのようなもので、観戦自体は無料。ただ、会場に入るためには抽選に当選する必要があって、それもとんでもない倍率でいわゆるプレミアムチケットと言われている。高位貴族であっても簡単には手に入らず、逆に運が良ければ平民でも見に行くことが可能だ。

 私も何度か誘われて申し込んだのだけど、今まで当選したことはない。


「例年、面倒なので断っていたのですが、レディ・ミアが見てくださるのなら、全力でやりますよ」

「それは楽しみだけど、うーん、チケットが手に入るかどうかが問題よね」

「それならば問題はありません。参加者は1名だけ特別招待出来るのです。当然私は、貴方をお誘いします」

「本当っ?!」

「はい」

 

 にこりと微笑むセシルの目は本気だ。これは楽しみなような、怖いような。

 なにせ、各部隊の精鋭が部隊名を背負って、そして自分たちの売り込みも兼ねて出てくる大会だ。場合によっては、高位貴族の目に留まって婿入りを求められたりもするという話もある。貴族生まれでも三男、四男だと家督を継ぐことはほぼ難しい。そんな人たちにとっては、またとないチャンスだ。


「無理はしないでね? 怪我とかしたら、嫌よ」

「ははっ、大丈夫ですよ。怪我はしないと約束したではないですか」


 少し胸を張ったセシルに、私は笑い返した。

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