最強封魔士、平安時代から現代に転生したら愛描が1000年も待ち続けていた件。
黒井カラス
第1話 転生
目と目が合う。
その行為を忌避する人もいるが、俺には特にそう言った苦手意識はなかった。
た、だ。
今は違う。
というのも先月転校してきた女子生徒
視線は鋭く牙のようで、常に眉間に皺が寄っている。 折角の美人が台無しだと友達は言うが、俺は彼女の顔をよく覚えてない。睨まれてそれどころじゃないからだ。
とにかく、昼となく夜となくそんな調子なら妙な噂が立つのは早いもので、すぐにあることないこと騒ぎ立てられるようになった。
元カノだの、親の仇だの、ストーカーだの、なんだの。
基本世間は美人のほうに味方するもので、当然のように俺が悪者になっていた。
ついには放課後に縁もゆかりもないような不良に呼び出されて彼女との関係性を問いただされたりもした。そんな場合の俺の決まり文句はこうだ。
「こっちが聞きたい」
実際、俺は屋土とこれまで一言も言葉を交わしたことはないし、彼女になにかした憶えも当然ない。いったいなにが原因で睨み付けられているのか、さっぱりわからずにいた。
「なんつーか、猫みたいだよな。屋土さんって。そう思わね?」
猫。友達の言う通り、たしかにそれっぽい雰囲気がある。
周りを寄せ付けず、気品があって、気まぐれ。俺を睨んでいない時の屋土は、たしかに猫っぽい。
猫と言えば、これは全く関係のない話になるのだが、外を出歩くときはいつも視界の端で探してしまう癖がある。
別段、猫が好きという訳でもないのに、気がつけばだ。
いや、待った。あながち関係のない話ではないかも知れない。
もしやこの癖が原因か? 無意識に猫みたいな屋土を見ていて、それが不快だったとか? 見られて嫌だったから、その意趣返しとして睨んでいる。こう考えれば筋が通ってしまう。
無意識とはいえ、俺の視線で屋土を不快にさせたのなら謝ったほうがいいのでは? と、悩みながら下校する間にも、気がつけば猫を探している自分がいた。
看板 ぬいぐるみ シャツのアップリケ キーホルダー 招き猫 特に黒猫が目に付く。そうして視線を彷徨わせていると、不意に風でふわりと揺れた黒髪に目を奪われる。
視線の先には屋土がいて、こっちを睨んでいた。
「……決定的」
今のを無意識に、屋土に対してどこかでやっていたんだろう。
いま謝るべきか? 謝罪はするべきと気がついた時がベスト。早い方がいい。
「屋土」
初めて彼女の名前を呼んだ気がする。
歩道を渡り、公園の入り口前にいる彼女の側にまで近づくと、その鋭い目付きがすこし和らいでいるような気がした。
「悪かった、謝るよ。俺の視線が気にくわなかったんだろ?」
そう告げると、なぜか視線が再び鋭くなった。なんなら以前よりもずっと。
「あれ、違った?」
屋土は返事をしなかった。顔を背け、そのまますたすたと歩いて行ってしまう。
一人、ぽつんと取り残された俺はただ一人、首を傾げていた。
「違うのか」
ならなんで睨まれているんだ? 俺は。
正解だと思っていたものが見当外れで、謎が頭の思考回路の大半を閉めている。
視線が違うのならお手上げだ。もう本人に直接なにが気にくわないのか聞くほかあるまい。明日、授業が始まる前に思い切って聞いて見ようか。いい加減、現状に進展が欲しいと、そう決意した時だった。
子供の悲鳴が公園のほうから響き渡ったのは。
「あ?」
すぐに視線をそちらにやったが誰もいない。
公園に入ってみたが結果は同じ。滑り台にも、鉄棒にも、ジャングルジムにも、シーソーにも人影はなく、強いて言えばブランコの片方がやけに大きく揺れているくらい。まるでさっきまで子供が遊んでいたみたいに。
「気のせい――いや」
なにかがいる。
公園の中央に、見えないなにか揺らめいている。
それは夏場の陽炎のようにそこにいて、そして夕闇が深まるにつれてその輪郭を露わにした。全身を覆う体毛、見上げるほどの巨躯、鋭い爪と牙、赤い顔。
猿。
猿だ。
猿の化け物が、その手に子供を掴んでいる。
「なんなんだ、これはッ!」
いまこの目で見ているものが信じられなかった。
夢でも見ているような錯覚に陥る。むしろ夢であって欲しいとさえ思う。
けれど、どれだけそう願おうと、これは紛れもない現実だった。
「今日は運がいいなぁ」
しゃべりやがった。
「ちと育ち過ぎだが贅沢は言わん。新鮮な肉が二つも」
手が伸ばされる。人の物ではない、無骨で機能的で容赦のない手が。
どうすればいい? そう思考が巡る間に、その大きすぎる指先が俺に触れようとしていた。
その瞬間。
空から黒いなにか落ちてきた。
化け物の大きな手は弾かれたように吹き飛び、目の前にはその黒い何かだけが残る。腰まである長い黒髪に、学生服を身に纏ったすらりとしたシルエット。
「お、屋土? でも」
その輪郭には、人にはないものが形取られていた。
猫のような耳と、二叉に別れた尻尾。
目と目が合う。
こちらを睨んでいない、瞳。
それを見て、やはりこう思った。
猫に似ている、と。
「――あ」
脳幹に電流が走ったような衝撃が頭の中を駆け巡る。
思い出した。
「久遠か?」
「やっと思い出した」
久遠はそう不満げに言って、小さく微笑んだ。
§
その人間は私のことを久遠と呼んだ。
長く鳴くと飯が出てきたから食ってやった。
短く鳴くと触れて来たから撫でさせてやった。
日向で寝ていると隣りにやってくるから居させてやった。
体を舐めていると近づいてくるから櫛を入れさせてやった。
その人間は私のことを好いていた。
長い年月が経った。
私の尻尾は二つに割れた。
ほかの同胞より長生きした。
ずっとずっと長生きした。
「来世でも会いたいな、久遠」
人間が動かなくなった。
人間がいなくなった。
長く鳴いても、短く鳴いても、日向で寝ても、体を舐めても、人間は二度と来なかった。私の名を呼ばなかった。
春と夏と秋と冬が過ぎた。
春と夏と秋と冬が過ぎた。
春と夏と秋と冬が過ぎた。
春と夏と秋と冬が過ぎた。
春と夏と秋と冬が過ぎた。
春と夏と秋と冬が過ぎた。
春と夏と秋と冬が過ぎた。
春と夏と秋と冬が過ぎた。
春と夏と秋と冬が過ぎた。
どこにいる? 見付けてやらないと。
何度も何度も過ぎていった。
森が減り、川が濁り、空気が淀み、星が消えた。
人が増え、四角が建ち、鉄が走り、地面が硬くなった。
そして。
「やっと見付けた」
なのに、人間は私のことを憶えていなかった。
§
「気付くのが遅い」
「悪かったよ、しようがないだろ。前世の記憶がそうぽんぽん復活するかよ」
「久遠を見たらすぐに思い出せ。薄情者」
「猫から人間になってんじゃねぇかよ、わかるか」
「わからなくてもわかれ」
「無茶言うなよ、それに耳と尻尾を見てすぐに思い出しただろうが」
「そこは褒めてやる。初めからこの姿を見せればよかった」
「おい!」
怒りの感情が乗った声が響く。
猿の化け物――
そう言えば居たんだっけ。
存在を思い出してからそちらを見やると、狒々はその大きな手をこちらに伸ばしていた。叩き潰すつもりか、握り潰すつもりか、どっちでもいいが。
「大人しくしてろ」
伸ばした手から放った魔力が光剣となって振り注ぐ。
手の甲を貫いて地面に縫い付け、四肢に突き刺さっては自由を奪う。
1000年前の魔術でも、現代の妖魔に通じるようでなにより。
「1000年。1000年か。あれからもうそんなに経ったんだな」
「転生するのが遅すぎる」
「制御できるようなもんでもないんだよ、転生術ってのは」
1000年前のあの日、今際の際に発動した生涯の集大成である術。
転生術は1000年の時を超えて俺を再びこの時代に蘇らせた。
俺は俺として産まれ、俺として生きて来た。これからも根本は変わらない。魔術が使えるようになったこと以外は。
「いつの間にか追い抜かれちまったな、歳」
「
「だな。1000年も……苦労したろ。頑張ったな」
「ふん」
伸ばした手で頭を撫でてやると、1000年前を思い出すように、久遠は目を細めた。短く鳴いたら撫でろ、だ。変わってないな、どれだけ時間が経っても。
「さて、待たせたな。1000年ぶりの再会だったんだ。勘弁してくれ」
「人間……風情が」
傷口から勢いよく血液が噴き出し、水圧で体を拘束していた光剣が押し出される。
血飛沫と共に宙を舞い、消滅した光剣。自由を取り戻した狒々の傷は瞬く間に癒え、雄叫びを上げて地面を蹴った。高く飛び上がり、その拳が硬く握り締められる。
「久遠。子供を頼む」
「その必要はない」
「ん?」
落下の勢いを乗せた岩のような拳が振り下ろされる。
だが、それが地面、ましてや俺たちに届くことはなかった。
静止している。
空中で狒々は固定されていた。
「神通力。使えるようになったのか」
「1000年も生きれば当然だ」
「なるほど。久遠も立派な大妖魔か。時が経つのは早いな」
光剣を新たに、自分の手元に作り出して軽く跳ぶ。固定された狒々の高さまでいくと、そのまま一太刀を刻んで子供を握り締めているほうの腕を断つ。
宙を舞った腕から解放された子供を地上で受け止めた。これで万事解決だ。
「助けたならこっちはもういらないな」
「ま、待て!」
「待たない」
握るように、狒々のその身が潰れた。猿のシルエットは丸く折り畳まれ、大量の血液が滝のように滴り落ちる。狒々はその命を久遠によって握り潰された。
封印しなきゃまた復活するんだけどな。まぁ、あの程度の妖魔なら200年は掛かる。問題ないか。
「この子が気絶しててよかったよ」
とても子供には見せられない。
§
それから子供の目が覚めるのを、公園のベンチで待っていると、周囲が薄暗くなったくらいのタイミングで、母親がふらりと現れた。こちらから声を掛けると慌てた様子で駆け寄り、子供の安否を入念に確認していた。
母親に狒々のことを話すわけにもいかないので、子供が一人でこのベンチで寝ていたと嘘をついた。危ないから見守っていたのだと。
「どうもありがとうございました」
母親は俺たちを疑うことなく信じ、程なくして子供も目を覚ました。
「あれ? おさるさんは?」
「もういないよ」
「そっかぁ」
夢か現か、そんな曖昧な記憶なら夢で納得させてしまえばいい。
特に疑問にも思わなかった子供は母親に連れられて、この公園から去って行く。
今日は運が良かった。助かったのも、助けられたのも。
「さて、俺たちも――」
ベンチから立ち上がろうとして、押さえ付けるように座らされた。
「なんだよ?」
「うるさい」
膝の上に久遠が乗った。
いつも見慣れた黒猫の姿で。
「ミィ」
二叉に別れた尻尾が揺れる。
「はいはい」
そっと頭に手を置いてゆっくりと撫でた。
久遠の気が済むまで、1000年分。
§
後日、昼休み。
「おいおいおい」
「これはいったいどういうことだ?」
「説明してくれるんだろうな?」
膝の上に乗った久遠が、俺を背もたれにして眠り始めた。
教室で、俺の席で、人間の姿で。人目も憚らずに。
「……まぁ、色々あってさ」
「色々ってなんだよッ!」
こりゃ説明に難儀しそうだ。
どう言ったもんだか。
――――――――
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