(12)コロッケ食べたい

「7、3、8、7、3。これがなんで『海ほたる』に?」


「7と3で波。波に囲まれた8の字の建物ってことで、海ほたるってわけ」


 海ほたるって8の字だったか? と頭の中で俯瞰図を思い浮かべるも、うまくイメージできなかった。


 九十九里浜でドライブインシアターを終えた次の日、房総半島をぐるりと回って木更津へ。途中、海鮮丼を食べるなどで夜を待ち、アクアラインに突入。海ほたるへ向かう。


 アクアラインは千葉の木更津と、神奈川の川崎を海の上で結ぶ道路だ。その道中に海ほたるが浮かんでいる。


 かつて巨大サービスエリア兼観光地だった海ほたるは、今や国策クラゲ漁の海上拠点として使われている。ウサギも海ほたるを欲しがったらしいけど、日本がどうしても譲らなかったらしい。その代わり、莫大な量のクラゲを献上しているという噂だ。


 政治的な理由に興味はないが、海ほたるが人間の手に残ったのはよかった。お母さんとの数少ない思い出に海ほたるも含まれている。


 周囲を海に囲まれた人工島。海風と日光に目を細めながら、2人でコロッケ食べたっけ。まだ売ってるのかな。


「着いたらコロッケ食べたい」


「えぇ〜? あーでも、言えば出てくるんじゃね? なんでも」


「なんでもって。売店なんだからメニューが」


「売店? なんのはなし?」


 話が噛み合わない。


 長い高速道路の先に、海ほたるはある。車窓から見える白い構造物はまるで要塞。車で入る瞬間はいつもどきどきする。


 駐車場の手前に、記憶にないゲートが設けられていた。高速の料金所のように、小部屋が隣接している。ゲートの前で停車し、パワーウィンドウを下す。


「許可証を」


 真っ白の制服に身を包んだ男が言った。少し、わたしたちのツナギとデザインが似ている。


 わたしが戸惑っていると、助手席から手が伸びてきた。


「はい、許可証」「確認しました。どうぞ」「まいどありー」


 ゲートが開く。軽く会釈して、発進させた。


「いまの、なに」


「もしかしてコウちゃん、1年以上来てない感じ?」


「10年ぶりくらい」


「そりゃ知らなくて当然だわ。国営になってからだいぶ変わっててさ。ライブで来たとき、びっくりしたなぁ」


「許可証って、そんな厳重に?」


「コウちゃん絶対びっくりするから、実物見るまでナイショにしときましょーねー」


 面倒くさい人だ。


 でも、確かに。


 それとなく、思い出と雰囲気が違う。


 昔は地元の寂れたデパートの屋上って雰囲気で、牧歌的でゆるくて、のんびりとしたイメージだった。


 だけど今は。駐車場からしてもう。


 歌舞伎町って感じだ。


 治安の悪さが薄幕のようにこびりついていて、見えるところは浮ついていて、見えないところは底なし沼のような、落ち着かない印象。


 少なくともコロッケの屋台はなさそうだ。


 案内に従って車を停める。昔のままなら、4階と5階が商業区画。今いる3階を含めて、1〜3階が駐車場のはず。


 上りのエスカレーター探していると、九十九さんに袖を引っ張られた。


「もちろん、地下です」


 そんな気はしていたさ。


 駐車場の縁の位置から推測するに、およそ中心あたりにエレベーターがあった。1台だけなのか尋ねると「海に面した非常階段もあるよ。錆びてたけど」とのこと。


 なんで知ってるんだろう。ライブが嫌で脱走でも企てたのかな。


 エレベーターに乗る。階数ボタンは3階から地下1階まで。九十九さんが最下層の地下1階を押す。


「絶対地下1階じゃすまないと思う」


「おっ、正解〜。さすが映画オタク。地下の入り口が地下1階ってだけで、ほんとはもっと広いんだな、これが」


「別にいいんだけど、なんで九十九さんが偉そうなの?」


「えらいもん」


 扉が開く。と同時に、喧騒がわっ、と飛び込んできた。


 光。音。三原色。機械音。重低音。鼻につく甘い匂い。酒とタバコの匂い。


 クラブだ!


「海ほたるの下に……てか、えっ、国営じゃ」


「そ、会員制の国営クラブ。意味わかんないよね。あたしたちもライブしたんだけどさ、ここで」


 くらくらした。初めてのクラブもそうだし、なんだか壮大な話にも。あまり深入りはしたくない。


 エレベーターを出た先は踊り場になっていて、下に階段が続いている。手すりから身を乗り出すと、下階で踊る群衆の様子が一望できた。


「ここに、神奈さんと涼さんが」


「うーん、もっと下かな」


 階段を降りながら、お互い耳元に顔を寄せて会話する。場内は爆音BGMで声が通りにくい。


 ふと間近で見た九十九さんの顔立ちが息を呑むほど綺麗だとかは、今はどうでもいいことだ。


 ダンスフロアは思ったよりもすかすかで、歩くのには困らなかった。それぞれが踊るスペースは確保されていて、ちゃんと観察すればなんなく進める。もっと隙間なく人で埋め尽くされていると思っていたので、拍子抜けした。


「ちょ、コウちゃん! そんな、サクサク進めるの、コウちゃんだけだから! 待って!!!!!!」


 九十九さんには難しいらしい。


「というか行き先知らないじゃん!」


 振り返ると、九十九さんの姿が消えていた。少し離れたところで人波に揉まれているのが見える。壁際に寄って、脱出してくるのを待った。


 そもそも、人混みが好きじゃない。


 わざわざ考えて進まないといけないし、それでも肩がぶつかることはあるし、視界は狭いし息苦しいし人は多いし。まだ、高速を逆走する方が気が楽だ。


 動物が群れるのは、自らの命を守るためだ。ここで踊っている人たちはどうだろう。わたしには無意味に思える。


「そこのツナギのお姉さん」


 やけにジャラジャラした2人組の男が話しかけてきた。太いチェーンを首から下げて、手首にもシルバーのブレスレットが幾重に付けられている。


「1人なら俺らと遊ばない?」


 人混みは、こういうこともあるから嫌いだ。

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