第11話:壊れかけた平穏と銀色の騒乱

 リサに本名を明かし、「お宝探し」の依頼を受けると決めてから数日。俺は再び、例の旧渋谷地下街ダンジョンへと足を運んでいた。


 理由はいくつかある。


 一つは、単純なウォーミングアップ。これから請け負うのは、リサ曰く「腕利きの探索者でも二の足を踏む」ような危険な任務だ。異世界での経験があるとはいえ、五年というブランクと、現代社会でのなまった身体を少しでも慣らしておきたかった。


 もう一つは、やはりあの魔瘴の気配だ。

 前回、このダンジョンの奥で感じた濃密な瘴気。それがどうにも気にかかる。本格的な調査はまだ先だとしても、現状を把握しておくに越したことはない。


 そして、何よりも――リサに頼らず、自分の力で安定した収入源を確保できるなら、それに越したことはないという、現実的な理由もあった。

 あの女商人に、いつまでもいいように使われるのは癪だからな。


「……相変わらず、だな」


 ダンジョンの入り口で、例のリサに用意させた安っぽい偽造ライセンスを提示し、鉄格子の向こう側へ。

 ひんやりとした空気が、肌を撫でる。


 前回訪れた時と、ダンジョン内部の様子に大きな変化はないように見えた。

 薄暗いコンクリートの通路、カビ臭い匂い、そして、奥へ進むほどに濃くなる、あの不快な魔瘴の気配。


(まずは、軽く一周して様子を見るか……)


 異世界で使い慣れたサバイバルナイフの柄を軽く叩き、俺は慎重にダンジョンの浅層を探索し始めた。


◇ ◇ ◇


 異変は、唐突に起きた。


 ダンジョンの比較的浅い階層、以前は巨大ネズミやコウモリ程度のモンスターしか出現しなかったはずのエリア。そこで、突如として地鳴りのような低い唸り声が響き渡ったのだ。


「グルルルルル……ッ!」


「キャアアアアッ!」

「うわっ、なんだこれ!?」


 前方から、複数の探索者の悲鳴と、パニックに陥ったような怒号が聞こえてくる。


 そして、それらを追いかけるように、複数の大型モンスターの咆哮と、何かが破壊される耳障りな音。


(……スタンピードか? いや、この規模でそれはあり得ない……モンスターの異常発生か……?)


 俺は瞬時に状況を判断し、物陰に身を隠しながら音のする方へと急いだ。


 通路の角を曲がった先で俺が見たのは、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。


 体長二メートルはあろうかという、狼に似た銀色の毛皮を持つ獣型のモンスターが、数体。

 その鋭い牙と爪で、逃げ惑う探索者たちを次々と襲っている。


 探索者たちは、為す術もなく逃げ惑うばかり。中には、恐怖で足がすくみ、その場で泣き叫んでいる者もいる。


「くそっ、なんでこんな低層にシルバーウルフが複数もいるんだよ!?」

「聞いてないぞ、こんなの!」


 シルバーウルフ。異世界では、そこそこ手強い中級モンスターの一種だ。素早い動きと、統率の取れた群れでの狩りが特徴で、単独の探索者が遭遇すれば、まず間違いなく死を覚悟する相手。


 それが、なぜこんな低レベルダンジョンに、しかも複数体も出現している?


(……魔瘴の影響か? いや、それだけでは説明がつかないほどの異常事態だ……)


 俺は、状況を冷静に分析しようと努めた。だが、目の前で繰り広げられる惨状は、そんな悠長な思考を許してはくれなかった。


 一匹のシルバーウルフが、若い女性探索者に狙いを定め、飛びかかろうとしている。女性は恐怖で動けず、ただ目を閉じてその瞬間を待つばかり。


(……チッ、仕方ないか)


 「静かに生きたい」。その願いは、どうやらこの世界では、そう簡単には叶えさせてくれないらしい。


 俺は、腰のサバイバルナイフを引き抜いた。


「グゥルルアアアッ!」


 シルバーウルフが、女性探索者に襲いかかろうとした、その瞬間。


 風を切る音もなく、一本のナイフが正確にその首筋を貫いた。


 ギャンッ、という短い悲鳴を上げ、巨体が地面に叩きつけられる。


「え……?」


 女性探索者は、何が起きたのか分からず、呆然とその場に座り込んでいた。


 他の探索者たちも、突然の出来事に動きを止めている。


 俺は、物陰から躍り出ると同時にもう一本のナイフを別のシルバーウルフの眉間に投げつけ、さらに残りの獣たちへ向かって疾走した。


 目立つのは本意ではない。だが、見過ごすこともできない。

 ならば、やるべきことは一つ。


(――最小限の動きで、最大限の結果を)


 シルバーウルフの動きは、異世界の基準では決して速くない。

 俺は、その攻撃を紙一重でかわし、懐へ潜り込む。


 そして、ナイフの柄頭で急所を的確に打ち据える。

 ゴッ、という鈍い音と共に、獣の動きが止まる。


 別の個体が、俺の背後から襲いかかってくる。

 だが、その殺気は、俺には手に取るように分かった。


 振り返ることなく、身体を僅かに捻って攻撃を回避。

 すれ違い様に、ナイフの刃を逆手に持ち替え、その脇腹を浅く、しかし確実に切り裂く。


 致命傷ではない。だが、動きを鈍らせるには十分だ。


 次々と襲いかかってくるシルバーウルフたちを、俺はまるで舞うように捌いていく。

 殴打、刺突、斬撃。

 最小限の力で、相手の急所を的確に狙う。


 異世界で培った、無数の戦闘経験。それが、俺の身体に染み付いている。


(……だが、やはり力が入りすぎるな……加減が難しい……)


 内心で悪態をつきながらも、俺は冷静に戦況をコントロールしていた。


 他の探索者たちは、ただ呆然と俺の戦いを見守るばかりだ。

 彼らにとっては、信じられない光景だろう。

 自分たちが束になっても敵わなかった強力なモンスターを、たった一人で、しかもまるで手玉に取るようにあしらっているのだから。


 数分後。

 最後のシルバーウルフが、呻き声を上げて地面に倒れ伏した。


 通路には、静寂が戻っていた。

 残されたのは、息を呑む探索者たちと、夥しい数の獣の死骸。そして、その中心に佇む俺。


(……やりすぎたか……)


 フードを深く被り直し、俺は小さくため息をついた。


「あ、あの……!助けていただいて、ありがとうございます……!」


 最初に襲われそうになった女性探索者が、震える声で俺に礼を言ってきた。

 他の探索者たちも、次々とお礼や賞賛の言葉を口にする。


「す、すげえ……あんた、何者なんだ……?」

「まるで映画みたいだったぜ……!」


 俺は、彼らの言葉に曖昧に頷くだけで、すぐにその場を立ち去ろうとした。

 長居は無用だ。


「ま、待ってください! お名前だけでも……!」


 追いすがろうとする彼らを振り切り、俺はダンジョンの奥へと姿を消した。


 噂になるのは避けられないだろう。

 だが、今はそれよりも優先すべきことがある。


(……この異常事態の原因を、確かめなければ)


 シルバーウルフの大量発生。

 これは、単なる偶然ではないはずだ。


 俺は、魔瘴の気配がより濃くなるダンジョンの深部へと、一人静かに足を踏み入れた。

 壊れかけた平穏は、どうやらもう、元には戻りそうになかった。

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