第25話 神の廊下
エルランディ様が目を覚ました!
ブライス医師より報告を受けたセラスとエドガー、セドリックの三人は、急いで寝室へと駆けつけた。
三人がエルランディの部屋へ入ると、彼女は、少しボーッとした顔つきでベッドに座っていた。食事もまともにとってなかったので、やや痩せたような印象である。
エルランディは、慌てた様子で駆け込んで来たセラスたちを見て、力無げに微笑んだ。
「私、随分と長い間、眠っていたのね……」
そう微笑むエルランディに、セラスは、これまで起きた様々な出来事を思い出したのか、万感込み上げて両手に顔を伏せてしまった。両手の隙間から涙がこぼれ、嗚咽が漏れ聞こえた。
エルランディは、ベッドから身を起こして布団から出ると、ベッドの端に腰を掛けて、セドリックの方へと向き直った。
「先生……。私が眠っている間に、色々なことがあったみたいね」
セドリックは、優し気な表情をエルランディに向けた。
「ああ……色々あったさ……。特にこのセラスにはな……ま、とにかく目を覚ましてくれて良かったよ」
エルランディはベッドから立ち上がろうとして、また、そのままベッドへ尻もちをついた。するとセラスが駆け寄ってエルランディのそばで片膝をついてしゃがむと、エルランディはゆっくりと手を伸ばしてセラスの背をさすりながら言った。
「セラス、どうやら私のために、色々と骨を折ってくれたようね。……ありがとう。そして、私が眠っている間に、一体何が起こったのか……良かったら、あなたの言葉で聞かせてくれるかしら?」
するとセラスは泣き腫らした顔を上げて、エルランディを見た。
「はい……。今回のご報告は、他の誰でもなく、私の口からお伝えしたいと思っておりました」
セラスのその言葉に、エルランディは頷いた。
「それでは聞かせて頂戴。……私が眠っている間に何があったのか……今、あなたがどんな問題を抱えているのかを」
そこでセラスはこれまでの経緯を包み隠さず話し出した。メラーズたちがエルランディを毒殺しようとしたところから、ジョーとエルザが城を飛び出すまでのことを……。
セラスの話を聞きながらエルランディは、思わず涙を流していた。
「私のために多くの人が動いてくれて、多くの命を失った……それに対して、王家として報いなければならないですね」
エルランディはエドガーとセドリックの方を向いた。
「エドガー様、先生……一度、皆さんを集めてもらえますか? まずは亡くなった騎士の家族たちを労わねばなりません」
それを聞いてセドリックは頷いていた。
「だがな、まずはお前が自分の身体を回復せねばならんぞ。それまではワシらがしっかりとフォローしておくから心配するな」
するとエドガーもそれに同意する。
「そうですぞ、まだまだ回復までは時間がかかります。それまでは、お見舞いに来られた方々へ労いの言葉をかけてください」
エルランディは頷いていた。
「セラス……」
セラスが近づくと、エルランディは肩に手を置いた。
「休む暇もなくて申し訳ないけれど、セラス……エルザを探して頂戴」
セラスはエルランディの顔を見つめた。
「エルザを探して、セラス。今回のことはどういう結末を辿ろうとも、私はエルザとジョーに合わなければならないわ。私、二人に会って話がしたいの」
セラスは頷きながら、話を聞いていた。するとセドリックがベッドの横まで歩いてきた。
「エルザの行先なら知っとるぞ」
「本当ですか先生……」
「これは推測じゃが、あの二人の行先はガムランだ」
「ガムラン? なぜそんな所へ?」
「あの二人はベルネージュと戦った際に呪いを受けてな。それを解呪出来る術者がガムランにいるんじゃ」
「先生はどうしてそんなことをご存知なので?」
「ワシが紹介状を書いて持しているからのう。ベルネージュたちの呪いのことを、真に理解している者は少ない。あの呪いを解くことが出来るのは、ガムランにいるオリバー以外にはおるまい」
すると、エルランディはフラフラとよろめいた。
「エ、エルランディ様!」
皆がそばへ駆け寄って、彼女の身体を支えた。そしてそっとベッドへ横たわらせた。
「エルランディ様、まずは体調を整えないと……そんな調子じゃ、エルザが帰ってきても会いに行けませんよ」
「そうね……ああ、体がいうことを利かないわ」
「ゆっくり休んでください……また、報告に参りますから」
「ええ。お願いねセラス。……エルザは色々と敵を作ってしまったわ。私はそれが心配なの……無事だといいけれど」
エルランディは静かに目を閉じた。
◆
王都を出てから三日後……エルザとジョーは、ガムラン村に到着した。
二人は村で登山に必要な装備を買い求め、翌朝、日のあがらない暗いうちからガムラン渓谷へと出発した。エルザの呪いを解くことが出来る術士が、その渓谷の最深部……神の廊下といわれる場所に住んでいるからだ。
ガムラン渓谷の入口は、ガムラン村から馬で二時間ほど走った所にある。そこから術士が住む小屋までは三時間はかかるそうだ。
エルザとジョーは、山歩きに適した軽装に、普段使用している武器などを背中に背負って現地へ向かった。
「昼までには現地へ着きたいわね」
「道まやさえ間違えなければ大丈夫だろう」
二人は森の中を歩き始めた。
「ここからはかなりの急こう配らしいわ」
エルザは地図を見ながら山の景色を眺めた。実際に歩いてみると、確かにキツい登りが延々と続く道だった。しかし、ジョーは重い荷物を担ぎながらも、平気でスタスタ登っていく。
「さすがねジョー。私は山で育ったから平気だけど……あなたはそれだけ荷物を持ちながら、平気で登るなんて」
「俺も小さい頃は山で育ったからな。少々の坂道なんか平気だ」
エルザはジョーを見て微笑んだ。
それから二時間ほど歩いた時、川の音が聞こえてきた。そして、急に木々で囲まれた景色が切れたかと思うと、雄大な渓谷が目の前に現れて来たのだ。
「うわあ、凄いわね」
「ああ、とても素晴らしい景色だ」
大地に刻まれた一筋の溝のように、山奥へ伸びる渓谷。それは、激しい激流を挟み込むように、両側に垂直の崖が立っていて、その中を激しい激流が駆け抜けている。その渓谷は、まるで誘うかのように山の奥地へと延びていた。
その雄大な景色を見ながら、ジョーは大きく息を吸った。それを見たエルザも、真似をして大きく深呼吸する。
「両側の切り立った崖を壁に見立てると、巨大な廊下のように見えるでしょ? そこから、神の廊下と言われているらしいわ」
するとジョーは景色を優しい目で眺めた。
「崖の高さは百メートルといったところか……。神様というのは、意外と大きいんだな」
珍しくジョーが冗談を言ったので、エルザは可笑しそうに笑った。そんなエルザを見ながら、ジョーは満たされたような気持ちで景色を見る。冷たい風が、心地よく顔にあたる。
「良いものだな。こうして誰かと一緒に、こんな景色を見ると言うのも」
川原にはとても歩けるような道はないので、高さ50メートルあたりの崖をくり抜いて道が掘られていた。その崖道には太い鎖が張られていて、その鎖を掴みながらゆっくりと進むのである。
そんな道を三時間ほど歩くと、川幅が狭くなって、川原も平坦になってくる。ルートも崖道から降りていき、川原歩きへと変わった。
ジョーが崖の道を振り返り見た。
「……それにしても、その医者はすごい所に住んでいるな」
「ゴールまでもうすぐよ。このまま進むと川の出合いにぶつかるわ。そこが目的地よ」
エルザの言うとおり、川の出合いへはすぐに到着した。川の流れに沿って、崖が左右に分かれている。
「ジョー、あそこが目的地……オリバーさんの住む小屋よ」
川の合流点であるY字の角の、崖の上にオリバーの小屋があった。そして、小屋から左の崖に吊り橋が架かっていて、そこから川原まで岩を削った階段が伸びていた。
二人は階段状になった崖をひょいひょいと登って吊り橋の脇へ上がると、ゆらゆら揺れる吊り橋を渡った。
エルザたちが小屋の前へ到着した時、中からグレーの服を着た老人が現れた。長い髭を生やしていて、丸い眼鏡をかけている。エルザは少し頭を下げて挨拶した。
「突然すみません……オリバー様でいらっしゃいますか?」
「ああ、いかにも私がオリバーだが、一体どうしたんだね?」
するとエルザは姿勢を正して、名前や所属などを、簡単に自己紹介をした。オリバーはジッとエルザを見つめている。
「実は、ヤタ一族と戦闘した際に呪いを受けてしまいまして……剣聖のセドリック様より、オリバー様なら解呪できると聞いて伺ったわけです」
するとオリバーは驚いた顔をして二人を見た。
「まあ、詳しい話は中で聞かせてもらうとしよう……ついて来てくれ」
するとオリバーは背中を向けて小屋の中へと入っていった。
エルザたちが中へ入ると、そこは一人で住むには大きすぎる部屋があった。真ん中にドンと大きなテーブルがあって、奥にはキッチンがある。この部屋だけで生活ができそうだが、奥にも寝室や実験室など、いくつか部屋があるようだ。
オリバーは二人をテーブルに座らせると、木製のカップを並べて、ポットの茶を注いだ。
「セドリックは元気にしておるか?」
するとエルザはニコリと微笑んだ。
「元気も何も、ベルネージュ討伐の時も一緒でしたよ」
すると、茶を注ぐオリバーの手が止まった。
「ベルネージュ討伐だって? まさか君は、そのベルネージュと戦って呪いを受けたというのか?」
「ええ……戦ったというか、やっつけたんですけどね」
それを聞いたオリバーは、驚いて椅子から転げ落ちそうになっていた。オリバーは手を差し出して来た。
「見せなさい……君の話が本当なら、手遅れかもしれないっ!」
オリバーの剣幕に驚いたエルザは、慌てて長袖を捲くって、右腕を見せた。オリバーは難しい顔をしながら呪印を観察する。
「……この呪印がついたいきさつを聞かせてくれんか?」
エルザは頷いて、戦闘の様子を簡潔に説明した。それを聞いたオリバーは、目を剥いて驚いていた。
「驚いたな……君たちはとんだ命知らずだ」
オリバーはため息をついた。
「ヤタ一族というのはな、基本的に自分を殺した相手を呪う、道づれの呪術を仕込んでいる。おそらく兄さんはそれにやられたのだろう」
するとジョーはウンウンと頷いていた。
「かなり厳しい精神攻撃だった。だが、今はそんな症状はない。これは治癒したと考えていいのだろうか」
「ああ、そうだな。その呪術は人のネガティブな心を刺激する。だから、逆に何か強い幸福感や充足感によって心が満たされてしまえば、解呪されることもあるのだ……。心当たりはあるかね?」
ジョーは大きく頷いた。それを見てオリバーは微笑んだ。
「それなら結構。だが問題は姉さんの方だ。彼女が受けたのは呪いではない。それはベルネージュがその身につけていた、ヤタ一族の呪印だろうよ」
「それはどういうものですか?」
「それは、絶対回復の呪印と呼ばれている。ベルネージュには、体に損傷を受けてもたちまち治癒させる強烈な力を持っていたが、その力を体に宿すための呪印がこれだ」
「この黒ミミズみたいなものが?」
「そうだ。ヤタ一族の長の体には、この呪印が引き継がれている。そして宿主の身体の中にある魔素が尽きた時……近くにいた者へと乗り移るらしい」
「それは、どういうことですか?」
「つまり、魔素が尽きるということは、だいたい宿主が死んだ時だし、近くにいるのはだいたい殺した者だということだな」
「つまり……ベルネージュを殺した私に呪印が引き継がれたのですね?」
オリバーは頷いた。
「そう言われると思い当たる節があります。父の腕にもこのような黒いラインがあったのですが、私が八歳の時、ベルネージュたちに襲われて殺されました」
それを聞いてオリバーは目を光らせた。
「なんと、それは本当か? それじゃ、お前、バルトの娘か?」
それを聞いたエルザは驚いていた。
「オリバー様は父をご存知なのですか?」
するとオリバーは、小さく頷いた。
「昔、バクスター領の森深くに、ヤタ一族が住んでおってな。奴らは妖術の源である魔素を集めるために、村を襲って大勢の人を殺したんじゃ。そこで、エドガー・バクスター率いる騎士団に加えて、大勢の傭兵たちが雇われ、ヤタ一族殲滅作戦が行われた……この話は知っとるか?」
エルザは頷いた。
「うむ。この戦いは熾烈を極めた。その時の族長が派手な妖術で大勢の人を殺したのだよ。それでな、その族長を倒したのがバルトだったのだ」
それを聞いたエルザは驚いていた。
「父が族長を……」
エルザは胸が熱くなった。
「倒した方法は、もうお前も知っているだろう。それを初めてやったのがバルトさ。族長を切り刻んで、核を握りつぶしたのさ……その結果、呪印を腕に宿すことになったがの」
「私と同じじゃないの」
「ベルネージュは、族長の娘だから……奴らは親子二代に渡って、お前ら親子に殺されたことになるな」
エルザは苦笑した。
「オリバー様、なんとかこの呪印を取る方法はありませんか?」
オリバーは頷いた。
「基本的にこの呪印を奪うには、持ち主を殺すことが必要だ。だが、手順通りやれば切除できる……」
オリバーはチラリとジョーを見た。ジョーが不安そうな顔をしていたからである。
「もう兄さんは解ったようだが……今の話を聞いたうえで、ワシと二人きりで部屋に入り、手術を受けることが出来るか、ということなんだよ」
エルザは頷いた。
「つまり……オリバー様が、この呪印に興味があれば、私を殺して奪うかもしれないということなんですね」
「その通り。だから、ワシを信用できないならこのまま帰りなさい。もし、ワシを信じるのなら、すぐにでも手術をしてやろう」
エルザはオリバーをじっと見つめた。そしてしばらくジョーを見つめると、オリバーに言った。
「オリバー様、取ってください」
「うむ……それでいい……。こんなものを身に宿したところで碌なことはないからな」
オリバーはそう言うと、席を立った。
「それでは準備してくるからちょっと待っていてくれ」
オリバーは自分の研究室へと入っていく。ジョーは心配そうにエルザを見た。
「大丈夫か?」
手術と聞いて、心配そうにエルザを見つめるジョーだったが、エルザはジョーの胸に手を当てて微笑んだ。
「大丈夫よ、ジョー。少しだけここで待ってて」
すると、研究室の扉が開いて、中からオリバーが顔を出した。
「エルザ、入ってきなさい」
オリバーの呼ぶ声がする。
「ちょっと行ってくるわね」
エルザはニコリと微笑むと、研究室の中へと入っていった。
ジョーは内心、不安でたまらなかった。もし、エルザがオリバーに殺されるようなことがあったら、ジョーは悪鬼となって暴れまわる自信があった。
だが数時間後……ジョーの心配をよそに、オリバーがにこやかに研究室から出てきた。
手術は成功したのである。
◆
エルザは腕に包帯を巻いて、三角巾で吊った状態で帰ってきた。
オリバーが椅子に腰をかけると、ジョーがオリバーの前に立って頭をさげた。
「このたびは……なんとお礼を言ったらいいのか……」
するとオリバーは、ジョーの目をじっと見つめた。
「ジョーよ。エルザはご覧のとおり、しばらく右手は使えない。もし、誰かと戦わなければならなくなったら、君が助けるんだぞ」
するとジョーは、目に涙をためながら、オリバーへ何度もありがとう、ありがとうと言った。
「まあ、しばらく安静にしなければならんから、二、三日ゆっくりとこの山小屋で過ごしてから帰るといい。そしてな、山にはもう飽きたと思った頃に、町へ戻るといいだろう」
「ありがとうございます……」
オリバーの言葉に、ジョーは感謝の気持ちで一杯だった。
「さて。お主たちには、小屋の一番奥の部屋に泊まってもらおうと思う。エルザは手術したベッドに横たわっているから、お主が運んでくれると助かるんだが?」
「はい、すぐに行きます」
ジョーはそう言って、オリバーと共にエルザの元へと向かった。
「エルザ……どうだ」
するとエルザはにっこりと微笑んだ。
「ジョー。大丈夫よ。傷口は少し痛むけど、オリバー様が痛みを和らげる薬を飲ませてくれたから」
そう言って、エルザは起きあがろうとした。
「まて、エルザ。今は安静にしないといけないって、オリバー様に言われている。俺が運ぶからそのまま横になってろ」
抱き抱えようとするジョーに、エルザは大いに照れて抵抗しようとした。
「え!ちょっとやめてよ、恥ずかしい!」
「誰に対して恥ずかしがっているのだ。オリバー様が運んでくれとのことだったぞ。じっとしていろ」
ジョーにそう言われて、エルザは黙って抱き抱えられた。ジョーがエルザを抱き抱えてみると、エルザの胸の鼓動が早くなっていることに気がついた。エルザは顔を真っ赤にしていた。
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