第16話 天上の樹


 翌日の朝早く……エルザとセラスはアラタカ村に到着した。


 二人は残った盗賊どもを叩きのめして縛り上げると、幌馬車を奪って夜通し駆けてきたのである。御者はエルザが務めていて、セラスは荷台で体を横たえていた。


 アラタカ村は、アラタカ山の山頂にあった。アラタカ山は標高一六〇〇メートルくらいの山だが、おわん型の緩やかな傾斜の山である。そしてその山頂に大きな木が一本、立っていて、この大樹が「天上の樹」と呼ばれる巨木である。


「これが……天上の樹ですか?」


 エルザは言葉を失っていた。天上の樹は、エルザの想像をはるかに超えて大きかったのである。


「どうだ。二人ともびっくりしただろう」


エイミーも上を見上げてポカンと口を開けている。


「三日月湖の展望所から見てはいましたが……ここまで大きいとは思いませんでしたよ」


「ああ、全くだ」


 エルザは目を凝らしながら、空へ届かんばかりに伸びる巨木を眺めていた。


「幹の直径は二キロ、高さは3500メートルに達するんだ」


 セラスはエルザの驚き様を見てニンマリと笑った。


「だが、びっくりするのはまだ早いぞ。私たちはこれから……この樹を登るのだからな」


「この樹を登るんですか?」


「ああ、そうだ。ヴァルハラという町はな、この木の上にあるんだよ」


「えええっ!」


 エルザは目が飛び出るくらい大きく見開いた。


「この木の回りにある村がヴァルハラではないんですか?」


「違う、違う。ここはアラタカ村。天上の樹への中継地点だよ」


「そうなんですか……でも、この荘厳で神秘的な樹なんかに登って、天罰とか当たりませんかね」


「もちろん、この樹は信仰の対象になっている。この樹上に住むヴァルハラの人々は、この樹を信仰している人たちだけが住んでいるんだ」


「でも、どうやって登るんですか? こんな高い樹に……」


「樹皮の皺が道になっているんだ。大きいだけあって、樹皮の厚みが2メートルもあってな。天然の階段がヴァルハラまで続いているってわけさ」


「すごいですね……そんな道が、あんな高いところへ続いているなんて」


 エルザは感嘆のため息を何度も吐きながら、何度も天上の樹を見上げていた。


「本来ならアラタカで少し休んでから、天上の樹を登るのだが……今回はそうも言っていられない。このまま樹皮の道を登ろうと思うが構わないか?」


「ええ、大丈夫です。セラス様こそ大丈夫ですか?」


 するとセラスは小さく頷いた。


「荷馬車で休ませてもらったから、随分と元気になったよ」


 セラスはエルザの目を見ながら微笑んだ。


 アラタカ村は、まだ日も上がらぬ暗いうちから大勢の人が動きだしていた。町を歩く人種も多種多様で、ここならどんな珍しい民族でも、誰も気にはとめないだろう。


 エルザはセラスの指示に従って、荷馬車を登山口へと進めていく。村を抜けて天上の樹に近付くと、突然建物も何もない広場が現れた。天上の樹の周囲五〇〇メートルほどは、建物もなにもないエリアである。


 木の上から枝や葉っぱ、時には虫なども落ちてくるらしく、下に建てた家の屋根を壊したり、住んでいる人が大怪我をすることがあったらしい。その結果、人が暮らす領域はだんだんと樹から遠ざかって、幹の周りを円で縁取るように空間が出来ていったそうである。


「さあ、着いたぞ」


 エルザはセラスの言う通りに馬車を木の脇に停めた。


「これが、樹皮の道ね……」


 エルザは珍しそうに足を踏み入れた。


「エルザ、余計なものはすべて置いていけ。出来るだけ空身で登るんだ」


 セラスはそう言いながら、軽鎧を脱いで、荷馬車の中へ放り込んでいった。


「エイミーはアラタカ村で待機していてくれ」


セラスがそう言うと、エイミーは不満そうな顔をした。


「私も一緒に行きますよ」


するとセラスは申し訳なさそうに微笑んだ。


「いや、君には万が一の備えをしておいて欲しいのだ。それに、この装備や馬車をこのままにしておくわけにはいかないだろう」


セラスはそういうと、コインが入った革袋をエイミーに握らせた。


「これで帰りの食料とか、必要なものなどを買っておいてほしいのだ。それにな」


セラスは声を潜めた。


「万一、我々に何かあった場合、君だけでも生き延びて真実を伝えてもらわなければならない」


するとエイミーは顔をあげてセラスをジッと見つめた。


「わかりましたよ。でも、出来る事なら戦闘などせずに帰ってきてください」


するとセラスはニコリと笑った。


「ああ、もちろんだとも。エイミーのおかげで傷も塞がったし……心配はいらんよ」


するとエイミーはニコリと笑った。


「セラス様は何時頃下りてこられますか?」


するとセラスは腕組みをして唸った。


「そうだなあ。往復で半日はかかるから、夕方頃になるだろうな」


セラスはキョロキョロと周囲を見回した。すると、降下場・馬車置き場という表記があった。


「あの馬車置き場へ預けておけばどうだ? そうすればお前も身軽に動けるだろう」


「ええ、そうさせて頂きます。でも、降下場ってなんですかね?」


「うーん、なんだろうなぁ。まさかこの高さから飛び降りてくるわけでもないだろうし……。まあ、私たちも降りてきたらそこへ向かうから、準備が出来たらそこで待っていてくれ」


セラスはそう言うと、最低限の荷物と剣だけを背中に背負って、樹皮の道へと立った。


「では行こうか、エルザ。昼すぎにはヴァルハラだ」


 それを聞いて、エルザはため息を吐いた。


「道理でアラタカからヴァルハラまで一日かかるとか言うわけだわ」


 エルザは肩をすくめながら苦笑した。


「エルザさん、気を付けて行ってきてください」


「ああ、エイミー、君もな。用心するんだぞ」


エルザはそう言うと、樹皮の道へ入っていった。


 樹皮の道は、意外と歩きやすかった。つづら折れのジグザグとした道がずっと上まで続いている。ただそれはメインルートであって、近道や緩い道、日当たりの良い道や日陰の道など、色々なルートがあるようだ。


 エルザはセラスの背中を見ながら登った。外から差し込む光が眩しく、ポカポカとエルザの身体を暖かくした。荒く息を吐きながら坂道を登っていると、頭の中に色々なことが浮かんでくる。


 ジェームズは、また襲ってくると言っていた。


 あの男と妖術使いとは、一体、どのような関係なのか。


 また、父が持っていたという、呪印とは何だったのか……。


 エルザはこのことをどう考えたらいいのかわからなかった。


 高度が上がってくると、大きな枝が現れだす。樹皮の道も、それに合わせて枝を避けるようにうねっていた。太陽の光も、枝や葉っぱで遮られ、木々の隙間を抜ける風が冷たく心地良かった。


 所々で、見たことのない妙な虫が現れた。エルザがそれにいちいち驚いていると、セラスは腹を抱えて笑っていた。


「盗賊も恐れぬお前が、そんな小さな虫一匹に驚くとはな」


「そりゃ驚きますよ、あんた変な虫を見たら」


エルザは肩をすくめた。するとセラスは立ち止まってエルザを見た。


「よし、ここいらで休憩することにしよう」


 セラスは木の幹に空いた黒い穴の前で立ち止まった。もう何時間も歩いているが、上を見上げても葉っぱしか見えない。


「セラス様ぁ、一体、今どのあたりまで登って来たんですか? 全然、終わりが見えないんですけど」


するとセラスはハハハと笑った。


「ここで九合目といったところかな。もうちょっとだ」


 エルザはそれを聞くと笑顔を見せた。


「もうちょっとで、ヴァルハラなのね……」


「そうだ、もうちょっとだな。今回で最後の休憩だ。ここを出たら、一気に上まで上がるぞ」


 セラスはそう言うと、穴の中へ入っていく。


「なんですか、この穴は」


「この樹に住む巨大な芋虫が開けた穴でな。みんなこの中で休憩するんだ」


「危なくないんですか?」


「ああ、おとなしい虫でな。ヴァルハラの人はこの虫を使役して、穴を掘ったりすることもあるんだ」


「そうなんですね」


 穴の中は意外と広くて、ずっと奥まで続いている。休憩所には虫らしきものは見当たらなかった。


 二人は壁を背中にして座り、足を伸ばした。


「ああ、疲れたな」


「全然、休む間もなかったですからね」


 ようやくここまで来たと、エルザは思った。


「セラス様……ひとつ報告があるのですが」


「ん? なんだ一体」


「実は三日月湖の吊り橋で、セラス様が連れ去られた後……落ちた吊り橋の向こうに、変な男が現れたのです。その男はお前たちの行先は把握している、また襲撃すると言っていました」


それを聞いたセラスは、かなり驚いた様子だった。


「……もっと早く言って欲しかったが……考えてみれば、私はお前に救出されてから、馬車で寝てばかりだったからな」


「報告が遅れてすみません」


 するとセラスは微笑みながら手を振った。


「この聖地・天上の樹での襲撃はないと思ってのんびりと歩いてきたが、これからはある程度、注意を払いつつ進まねばならんな」


「はい……今度は本物の暗殺者が襲ってくるかもしれませんから」

 

「結局、我々の行動は筒抜けだったのだな。情報がもれているとすれば、その出所は王宮に違いない。つまり、どこかの貴族が絡んでいるということだ」


 するとエルザは思い出したように言った。


「そういえば、その吊り橋の男……見た目は貴族のような装いでしたね」


「どんな外見だったのだ?」


「長身の痩せ型で、高そうな服を着ていました。妙にキザったらしい男なんです。……名前はジェームズと名乗っていました」


「ジェームズか……」


セラスはまた、小さく唸った。


「その男は……鼻の下に、こう、線で引いたような髭を生やしていないか?」


 エルザは目を見開いて思わず大声を出した。


「その男だっ!」


 エルザがガバッと前のめりで顔を近づけてきたので、セラスは軽くびっくりした。


「……どうしたのだ急に?」


「……いえ、話を遮ってすみません」


そう言って俯くエルザを、セラスは上目遣いでジッと見た。


「私は、その男を見ていないからなんとも言えないのだが……メラーズ家の執事にジェームズという男がいてな……妙に剣の腕が立つので噂になったことがあるんだ」


「メラーズ家……第三王女派の男爵家ですね」


 セラスは頷いた。


「実はなエルザ。そのジェームズは、第三王女派の工作員ではないかという疑いがあるのだ」


 エルザの眉間に皺が寄った。


「もしかして……そのジェームズが、エルランディ様暗殺にも関わっているのでしょうか?」


「確証はないが、そうだとすれば辻褄が合う。ウイリアムはな、メラーズ家の娘と交際しているらしいからな。ご令嬢に、出発前の挨拶でもしてきたかもしれん」


「そこで誰かに聞かれたらのかもししれませんね」


 エルザはセラスの顔を見た。


「それからもう一つ……。ジェームズの仲間に妖術使いがいるようです」


「何だって?!」


 今度セラスが前のめりで顔を近づけてきた。エルザは頷いた。


「名前はベルネージュ」


「べ、ベルネージュだって!」


 セラスは飛び上がって驚いていた。


「知っているのですか?」


「もちろんだ。ベルネージュはな、ヤタ一族という妖術師の里の、族長の娘だ」


「妖術師の里というと、やはり非道な行いをしていたのですか?」


「ヤタ一族はな、20年ほど前から人を殺して魔素を得る活動を行っていたようなんだが、10年前くらいから村を襲うなど目立って行動するようになってきてな。父が討伐に向かったのだ」


「あんな強力な妖術を使う者たちを相手によく戦えましたね」


「なかなか困難だったようでな、随分と犠牲が出たそうだ。何せ奴らは、魔素……つまり人の魂をエネルギーとしているわけだから、殺せば殺すほど強くなるのだ」


「それで、ヤタ一族は倒せたのですか?」


「騎士団の犠牲が多かったので、父は大規模に傭兵を雇い入れたのだが、その中にバルトという優秀な男がいてな……その男が族長を倒したのだという」


「バルトですって?」


「知っているのか?」


エルザはセラスの目をじっと見つめながら頷いた。


「バルトは私の父です」


するとセラスは目玉が零れ落ちそうになるくらい驚いていた。


「えっ! お前、あのバルトの娘だったのか!」


セラスは驚きのあまり、言葉を失っていた。


「それで、バルト殿は今どうされているのだ?」


エルザは少し俯いてしまった。


「実は8年前、私たちが住む村に盗賊が襲撃してきまして、両親とも殺されてしまいました」


「なんと、バルト殿はすでにお亡くなりになっていたのか……これはすまぬことを聞いてしまったな……許してくれ」


「いえ、大丈夫です」


それからセラスは、ヤタ一族との因縁から、ベルネージュ討伐までの話を一通り語って聞かせた。


「その時父上は、ベルネージュの黒焦げとなった死体を見たと言っていたが……それが本当にそうだったのかどうか、確証がない……今となっては怪しいものだ」


 するとセラスは立ち上がって、荷物へ手を伸ばした。


「そろそろ行こうか、エルザ……奴らの襲撃も気になるし」


 エルザも立ち上がって、荷物を背中へ背負った。


「お前が聞いた話がすべて本当かどうかはわからない。だがもし、ジェームズがメラーズ家の執事と同一人物であるならば……王女毒殺未遂事件の裏には、大きな陰謀が張り巡らされているのかもしれん」


 それを聞いたエルザは、ジッとセラスを見た。


「まさか、第三王女派が妖術使いを抱き込んで、王国へ牙を剥くというのですか?」


 セラスは首を振った。


「第三王女派だけでは王国に勝てない。ウインザー帝国が背後にいるのかもしれん」


 それを聞いたエルザは、拳を固く握りしめ、あの憎々しいあのジェームズの髭を思い浮かべた。


「エドガー様はこのことをご存知なのでしょうか」


「それはわからんが……私はどうも不安でならない。毒殺未遂事件自体が陽動の可能性があるとしたら…… 急いで王都へ戻らねばならん」


エルザとセラスは洞穴から出た。そしてまた、セラスの背中を見つめながら登りはじめる。するとエルザはまた、ジェームズのことを考えはじめた。


 もし、吊り橋で見たあの男と、メラーズ男爵家の執事が同一人物ならば……国を揺るがす大騒動になるだろう。


 しかも、その主要人物はエルザの仇であり、エルランディを毒殺しようとした黒幕なのかもしれないのだ。


 だが、エルザは確信していた。


 おそらく、メラーズ家の執事は仇のジェームズに違いない。


 そして、きっと、ベルネージュはメラーズ家にいる。





 メラーズ男爵家にある大浴場に一人……ほっそりとした女が湯に浸かっていた。


 浴場には大理石の床板が敷かれ、美しい彫刻が立ち並んでいる……まさに贅の限りを尽くした浴場だった。


 大浴場の大きな窓からは、明るい満月の光がふり注いでいて、床に美しい女の曲線を影として描いていた。そして湯船に浸かる女の白い生肌は、月明かりを浴びて真珠のように輝かいている。


「ベルネージュ様、本日もご機嫌麗しゅう……」


 ベルネージュが扉の方へ視線を向けると、鼻をフンと鳴らした。


「なんで、ノックもなしに入って来てるんや、ジェームズ」


 すると奥から、仕立ての良い服をに身を包んだ男が姿を現した。そして、ペンシル髭を生やした口をニヤリと曲げて挨拶をすると、コツコツと靴音を鳴らしながら、湯舟のそばに置いてあった白いテーブルへと向かった。


「そう怒りなさんな、男爵夫人ともあろう方が、みっともない」


 ジェームズはすると、テーブルに置かれた赤ワインのコルクを抜いて、二つのグラスに注いだ。


「それに、あなた様のような美しい女性を見れば、誰でも眩惑されて、ノックなど忘れてしまいますよ」


 ジェームスはパチリとウインクをすると、グラスを一つ、ベルネージュへと渡した。すると、彼女は眉を吊り上げて怒鳴った。


「じゃかましいわい。おいジェームズ。お前、何をしに帰ってきたんや。え? セラスはちゃんと殺したんやろうな」


 そう言って、ベルネージュは紫色の髪を軽くかきあげた。湯船から白く丸い胸が丸出しになったが、ベルネージュは全く気にしていない。


「実はそれだけは、こちらの思惑通りにいかなくてね……妨害させた盗賊たちは全滅。女騎士団長と女剣士の二人が生き残って、今ヴァルハラへと向かっている」


 それを聞いて、ベルネージュははぁ? という顔をした。


「回りくどい言い方してるんちゃうぞコラ。要は失敗しましたってことやろ? 最初からそう言えや、ボケ」


「いやいや、セラスはともかく……その護衛についている女剣士が手強いんだ。何せ、あのジョーの首を斬りつけて、戦闘不能にしたんだからな」


 するとベルネージュが不機嫌そうな顔で、ジェームズをジロリと睨みつけた。


「ほう、あの、黒い蝙蝠のジョーを倒したんか?……面白そうな女やないか。その娘、名前なんて言うんや」


「エルザだ」


 するとベルネージュは、手に持っていたワイングラスを、思いっきり壁めがけて投げつけた。グラスは壁に当たって砕け散り、白い壁を赤く濡らした。


「ちくしょう! 邪魔しやがって!」


「あーあー、せっかくグラスに注いだのに。 ほら、ワインでも飲んで、落ち着きたまえ」


 すると、ベルネージュはジェームズからワイングラスを乱暴に取り上げると、そのまま全部飲み干してしまった」


「何が落ち着けやねん。お前が言うなっちゅう話や」


「私だってこのまま逃がすつもりはない」


 するとベルネージュはチラリとジェームズを見て、そのまま湯船へザブンと身体を沈めた。


「こんなぬるい話ばっかり聞いとったら、湯冷めするわ。ええか、必ず殺すんやで! 居場所は解っとるんやろな!」


「ちゃんと足取りは掴んでいるとも」


 それを聞いて、ベルネージュは舌打ちした。


「それならまあええわ……どうせ、死んだのは盗賊やろ……つまりな、敵と社会悪が共倒れしたってことやん? 私たちにとったら痛くも痒くもない」


「君のいうとおりだ」


 ジェームズはもう一度、ワイングラスを取りにテーブルへ向かう。そして改めてベルネージュにワイングラスを渡すと、軽くグラスを合わせた。ベルネージュはワインをグイッと飲んで、鼻から息をはいた。


「ええ香りのワインや。美味いわコレ」


ベルネージュはグラスを高く掲げて、ガラス越しに月明かりを見た。


「色もええな……血の色や」


そして、ワインをグッと飲んだ。


「次は、ちゃんと仕留めるんやで」


「善処する」


 ジェームズもワイングラスを軽く揺すって香りを嗅ぐと、中身をグッと飲み込んだ。


「ところで、ベルネージュ様は、客をずっと立たせているつもりかね」


 するとベルネージュはチラリとジェームズを見てから、鼻で笑った。


「招かれざる客やから、立たせとんのや」


  するとジェームズは口髭を歪めながらニヤリと笑った。


「ほう! そんな客なら……」


 するとジェームズは、静かに剣を抜いた。


「殺してもいいのだな!」


 ジェームズはカーテンの膨らみへ剣を突き刺す。するとカーテンが血で真っ赤に染まって、ブルブルと揺れ始めた。


「覗きとは趣味が悪いじゃないか。そろそろ顔を見せたまえ」


「ぐあああ……」


 男はカーテンを掻きむしりながら、ビリビリビリッ! と破って倒れてきた。


 そしてカーテンの裏には、他にもフードを被った男が二人立っていた。二人は足元へ倒れた仲間を見て、顔面蒼白になっていた。


「ベルネージュ様は非常にお怒りだ。男爵夫人の肌を覗き見するなど図々しい……何か言い訳でもあるなら言ってみたまえ」


 二人の男が剣を抜くと、大浴場のあちこちから黒マント姿の男が姿を現した。ざっと、一〇人はいるだろう。その中のひときわ体格の良い男が前へ進み出て、大声で叫んだ。


「ベルネージュ! お前の悪事はすべて聞かせてもらった。このことはすべて、王へ報告させてもらうぞ! さあ、かかれ!」


「オウ!」


すると大勢の男たちが、剣を抜いてベルネージュの元へ走った。


「ベルネージュ様! 敵ですぞ!」


「フン、それがどないしたっちゅうねん!」


 ベルネージュは裸のまま立ち上がって、両腕を広げた。


「さあ、かかってこいや、さあ!」


 ベルネージュは髪の毛を一本抜き取ると、それはたちまち一本の剣へと様変わりした。


「どれ、久しぶりに大暴れしてみるかの」


 するとベルネージュは、腕を振るって男たちと斬り合いを始めたのである。


「ハハハ、どうした、骨のある奴はおらんのか!」


ベルネージュは髪を変化させた武器で反撃し、ものの数分で侵入者たちを突き殺してしまった。


大浴場は血の池となった。


 この闘いによって、ベルネージュの体には無数の傷がついていたが、それはみるみるうちに塞がり、元の美しさを取り戻した。それを見たベルネージュはニヤリと笑った。


「フフフ、これが私の絶対回復……私がいつまでも若くて美しいのは、この妖術のおかげや」


 ベルネージュは右手の前腕を頭上へ掲げた。そこには黒くて長い、ミミズのような模様をした入れ墨のようなものが刻まれている。


「この呪印がある限り、私は不死身や」


  ベルネージュは裸のまま湯舟から出て、テーブルのワイングラスを手に取った。


「まあ、この呪印をバルトから奪えたんも、あんたのおかげやけどな」


するとジェームズがワイングラスを掲げる。


「どういたしまして。それにしても鮮やかですな。こんなことなら、王女暗殺も、あなたがすれば良かったのに」


するとベルネージュは首を横に振った。


「準備が必要なんや。王宮では仕掛けが作れへん」


ベルネージュはワインを一気に飲み干した。


「私のやっとることは、世の中の道理を曲げてるわけやないから、仕掛けが必要なんや。物理法則に妖術、幻術を織り交ぜて、虚実入り混じった戦いをするわけやから」


ベルネージュはテーブルのワインボトルから、乱暴にグラスへ注ぎ入れた。


「あーあー、高いワインなのに乱暴な」


「アホ言え、空気含ませとるのや」


「随分個性的なエアレーションだが、まあいい、好きにしたまえ」


するとベルネージュはフフフと笑ってジェームズを見た。


「ウインザー帝国への工作はどうや」


「第一王子の協力を取り付けている。それを聞いた第三王女派の貴族どもは、こちら側につくと明言したよ」


「今度の戦いは、前みたいに私一人やない」


「そうだ。今度は総合的な力で、王国を打倒するんだ」


二人はそう言うとグラスを合わせてから、中身をグッと飲み干した。そして、新国家樹立という野望について語り合うのだった。



夜が更けて、メラーズ屋敷は静寂に包まれていた。


その屋敷の端から一人の男がソッと抜け出して行った。その男は袖口で涙を拭うと、メラーズ屋敷をギロリと睨んだ。


「覚えていろ、ベルネージュ! この事は全てエスタリオンの耳に入れるからな」


この男は、密偵の隊長がこっそりと逃した部下だったのである。


男は静かに夜の闇に溶け込んでいった。


その頃、陰謀の中心人物たちは、それぞれの思惑を胸にこの王国の未来を描いていた。


まさか、生き残りがいるなどとは、思ってもいなかったのだった。





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