夢より近く
夢には、様々な形がある。
かっこいい剣士になりたい。きれいなお嫁さんになりたい。そんな憧れめいた無邪気な子供の夢もあれば、他人を押しのけるような野望に近いものもある。しかし大半の大人が持っているのは目標であって、夢と言い張れるほどのものは持っていない、というのが実情かもしれない。
だから現実的な彼の返答も、特に驚きはしなかった。
「夢? 睡眠時の現象のことではないだろうね。特に持ち合わせていないな」
半ば予想していたので、わたしは卑近な質問に切り換える。
「なら、やりたいことは?」
「今やりたいことは知識を蓄えることだ。特に医学知識は、いざという時に役立つだろう」
医学書から顔を上げずに寄こされた返答は素っ気ない。
「そういう、備えあれば憂いなし、みたいなことではなくてだな……」
「まぁまぁ。そのくらいで勘弁してやってよ」
彼と同じ声がふと割り込んだ。
見れば、部屋の向こうから勝手に椅子を拝借して、彼の双子の片割れがこちらにやってくるところだった。
「こいつはそういうの苦手だからさ」
「苦手……?」
彼と苦手という言葉は、ひどく非現実的な組み合わせに思える。
「それらしい作り話でよければ披露するが」
「オレを騙せると思うならどうぞ。聞いてやるよ」
彼は少しの間沈黙した。彼にも相方を騙せる自信はなかったということだろうか。わたしを騙すのは簡単なことだろうけど。
ページのめくる音が響いた。彼は医学書に目を落としたままで、再び声を発した。
「リン」
彼はわたしではなく同じ顔の青年の名を呼び、平坦な口調で続ける。
「一人だったらどうなっていただろうかと、考えたことはあるか?」
それはわたしが持ち出した話題ではなく、内容も彼ら二人の話題だったので、わたしは黙って聞くしかなかった。
話題を振られたリンはと言えば、おどけたように肩をすくめる。
「寂しいこと言うなよ」
それはそうだ。彼らは始終行動を共にしているわけでも、必要以上に依存し合っているわけでもないと思うが、やはり二人でいる印象が強い。それは彼らが二人で生き抜いてきたことによる結束なのだろうし、絆と言っていいだろう。彼の質問はそれを否定するようにも聞こえてしまう。それはリンの言う通り、寂しいことだろう。
そう思ったわたしを置いてリンの言葉は続く。
「大体それどういうつもりで言ってんだよ。オレがいなかったらお前はやりたいことが明確になったかもって話? お前がいなかったらオレがもっといろんなこと出来たかもって話? どっちにしろ寂しい話だろ」
わたしはひそかに息を呑んだ。話題は変わったわけではなかったのだ。夢の話の続き。わたしは二人に対する理解がまだまだ足りない。
「一人で出来ただろうことは、二人でも出来ると思おうぜ?」
リンが彼の顔を覗き込むと、彼はついに医学書から顔を上げた。
「それは自明ではない。一人だから出来ることも、二人だから出来ないことも存在する」
「理屈はいいんだよ、理屈は。そう思っとけばそうなるさ」
リンの言葉には聞く者の心を明るくする響きがある。これも、彼らが二人でいたことによるバランスなのだろうか。彼の方は、ありうる障害を全て考慮に入れているような印象がある。楽観と悲観のバランス。
「リンはどうなんだ?」
わたしは思わず質問していた。
彼とはずいぶん性格が違うが、リンも楽観的ではあっても夢想家ではない。どんな夢を持っているのか気になった。
「オレ? んー、ないことはないけど、秘密」
自分の唇に人差し指を当てて、こちらにウインクしてみせる。
彼には決して似合わないだろう仕草がリンにはよく似合う。同じ顔のはずなのに、認識とは不思議なものだ。
それはともかく、わたしは反省した。夢には様々な形がある。堂々と宣言したい夢もあれば、ひっそりと隠しておきたいものもあるだろう。
「すまない。立ち入ったことを訊いた」
「あぁ、違う違う。内容自体は別に隠すようなもんじゃないんだけど」
リンはちらりと片割れの方を見た。また医学書に視線を戻した彼は、それでもこちらの会話を聞いているだろう。読むペースは速く、そろそろ一冊読み終わりそうだった。
「わざわざ口に出しちゃうとさ、オレの夢がオレたちの夢になっちゃうかもしれないだろ。そしたらどこかにあるかもしれないこいつの夢が隠れちゃうからさ」
わたしは絶句した。それは彼への愛情に満ちた、しかし寂しい言葉だった。
それはリンが先ほど否定した、二人でいると一人の独立した領分が潰されるということではないか?
「要らぬ心配だ」
わたしが言葉を返せない間に、彼の声が割り込んだ。
どうやら読み終わったようで、彼は医学書を閉じて立ち上がった。
「君は?」
投げかけられた声がわたしに向けられたものであることに気が付いたのは、彼が歩き出してからだった。本棚の空白に、彼の持っていた医学書が納まる。彼はさらに隣の戸棚を開け、何か取り出した。
「わたしか? わたしがやりたいことは……」
自ら尋ねた以上、自分も答えるのは当然だ。わたしの夢は隠すようなものでもない。父のような立派な領主になりたいという願いは、夢であり目標である。堂堂と口にしていいはずだ。
しかし立派な夢は、この場には大仰すぎてそぐわない気がした。夢はないと言い切った彼に、秘密だと答えたリンに、この夢を大上段に振りかざしてみせなくてもいいのではないか。
もっと些細なことがいい。
「そうだな、紅茶とクッキーが欲しい。そしてできればお前たちの話をもう少し聞きたいな」
軽く答えてみた。
尋ねた当の彼は、振り返って戸棚から取り出した物をこちらに見せた。
「これで十分かな?」
診療所の来客用茶葉とともに取り出された包みは、見たことのある包装だ。おそらく、角のパン屋のクッキー。
「これは、先生の?」
「いや、君が所望するだろうと思って買っておいた」
わたしが欲しがると思って? わたしが来る前に?
「魔法みたいだな」
「魔導も欲しいのか?」
以前、彼に幻を見せてもらったことがある。行ったことのない場所、見たことのない動物の子供。それは夢のように素敵だったけれど。
「いや、紅茶とクッキーがいい」
彼は知っているのだろうか。同じ茶葉を使っているはずなのに、助手が来てから診療所で出るお茶が美味しくなったと評判なことを。
彼は気づいているだろうか。クッキーそのものだけではなく、彼がわたしの好物を知っていて用意してくれることが、わたしを喜ばせることに。
旅人のような顔をしている彼らがこの島の現実に、そしてわたしの現実に食い込んでいることを知ってほしい。それが今のわたしの、ささやかな願いだ。
双子と彼女の物語 計家七海 @hakariya73
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。双子と彼女の物語の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます