15.ざまぁキャンセル後のブラックギルド

 アリシアが部屋を出た瞬間、応対係の男は全身から力が抜け、へなへなと床に崩れ落ちた。


「無事、売れましたね! よかったです!」


 空気も読まずに、クロダがひとり嬉しそうに言う。


(こ、コイツ、俺の気も知らないで……! とはいえ、目標は達成できてしまったから、怒りづらい……!)


 今回のアルセイン家令嬢の応対は、絶対に失敗できない任務だった。課長のバルドから、念を押されていた。


 だからこそ、なかなか首を縦に振らないアリシアに対して、内心では焦りに焦っていた。


 けれど――結局、最後にアリシアが購入したのは、超高級品であるワイルドタイガーのコート。これ一着で今回の売上目標がクリアできてしまうほどの代物だ。


 営業は成功。クロダのおかげ……なわけではまったくないが、もはや疲れ切っていて怒る気力もなかった。


(それに、クロダの引き抜きも防げたし……)


 誰も表立って口には出さないが、クロダがバルドのお気に入りであることは明らかだった。口では厳しくとも、態度の端々からクロダに対する高評価が滲み出ていた。


 接待が失敗し、クロダまで失うなんてことになっていれば……降格や減給は免れなかっただろう。そう考えると、すべてがうまくいった――と言えなくもない。


 何一つ計画通りには進まなかったが、嵐は去った。ホッと息を吐いたそのとき、ドタドタと足音が近づいてくる。


 勢いよく扉が開き、現れたのは課長のバルド。そして、その背後に隠れるようについてきたのはテッドだ。


「おうおう、俺のいない間に大活躍だったみたいじゃねぇか。おかげで、俺たちの準備がムダになったわ!」


 そうは言いつつも、バルドの表情はどこか満足げだった。


 本来、ワイルドタイガーのコートなどという、ただ高いだけの趣味の悪い代物が売れるはずがない。だからこそ、洋服は適当に一着でも買ってもらって、あとから“本命”――バルドたちが用意した宝石を売りつける予定だったのだ。


「予定は狂ったが、計画達成できて何よりだ。これでお偉方に良い報告ができらぁ。なあ、テッド?」


「は、はいぃぃぃ。そう思いますぅぅぅ!」


 バルドはバンバンとテッドの背中を何度も叩き、テッドは思わずよろめいた。その様子を気にも留めず、バルドは大声で笑いながら部屋を出ていった。


 なんとか体勢を立て直したテッドが、クロダのもとへ駆け寄る。


「クロダさん、さすがです! 今回も大成功ですね!」


「いやあ、全然、大したことはしてないよ」


(したよ! ヤベェことを、十分すぎるほどな!)


 男は心の中でだけ悪態をつき、力なく天井を見上げた。





 クロダは、アリシアが去った後の応接室で、ひとり静かに達成感を噛みしめていた。


(製品加工課に配属されてから、一番の大仕事。なんとか無事に乗り切れたみたいだ)


 本来、クロダの役割は裏方――商品の運搬係だけだった。途中で令嬢の前に呼び出されたのは完全な予定外だったが、結果的にはうまく収まった。


(それにしても、あの令嬢……ただ質問に答えただけで表情がコロコロ変わって、面白い人だったなぁ)


 応対係の苦労など知らず、クロダはのんきにアリシアとの対面を振り返っていた。


 アリシアの言葉の中で、不思議と胸に引っ掛かった言葉があった。


「仕事は効率的にするものよ。私は定期的にこの街に来ているのだから、周りに聞けば私の好みを知っている方が一人くらいはいるのではなくて?」


(効率的に、か……言われてみればそうだけど、何も考えずに言われたままに動く今の方が、絶対に楽だよなぁ)


 クロダの脳裏に、日本での新人時代の記憶がふとよみがえった。


 当時のクロダは右も左も分からない新人で、ただ先輩の後ろを追いかけるばかりだった。


 そんなある日、クロダは先輩から資料の作成を頼まれた。作業の途中で分からないことを聞きに行ったのだが、先輩たちは誰一人まともに取り合ってくれなかった。「今ちょっと忙しい」「自分で考えてやってよ」と、取りつく島もない。


 クロダは四苦八苦しながらも、なんとか独力で資料を完成させた。しかし、その内容を見た上司の評価は辛辣だった。


「どうして周りに聞かなかったの? どうして勝手に進めたの?」


(聞きに行ったよ……でも、誰も相手にしてくれなかったんじゃないか……)


 その後、長々と説教を受けたクロダは、こう思った。

 

(自分には、考えて動くのは向いてない。多少強引にでも指示を出してもらって、それに従っていたほうが、ずっと楽だ)


 それ以降、クロダは考えることをやめた。ただただ、言われたことをそのままやる。反論しない。余計な気遣いをしない。


 それなのに、上司や同僚は「素直なやつだ」と褒めてくれる。評価もついてくる。それで十分だった。


 それだけに、アリシアの言葉は不意にクロダの心に引っかかり、違和感として残り続けていた。


(まあでも、あんなこと言っておいて、アルセイン家の実態はブラックでした……なんて話、よくあるからなあ……)


 クロダは苦笑する。そして、今まで通りこの素晴らしい境遇に感謝して働き続けよう――そう、心に決めた。

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