「私」事

雨露利

私事

 朝起きたら「私」になっていた。


 眠たい目をこすり、カーテンを開ける。

 朝食を食べ、洗面所へと向かう。


 鏡に映る私は少しけだるそうな目でこちらを見返した。


 昨晩用意しておいた鞄を持ち、家を出る。


 朝の街は意外と一方通行でだれもが似た目的地へと歩いている。

 その流れの一部となって駅へと足を進めた。


「私」はなんだろう。


 社会的な肩書きが私をあらわすものか。

 では肩書きが外れたら私ではなくなるのか。


 資格が私をあらわすだろうか。

 では資格のある人はみな私になるのか。


 出身地や出身の学校はどうだろう。

 それも違う気がする。


 それらは私に付けられた情報にすぎないのではなかろうか。


 他者を起点に考えるのはどうだろう。

 A君の友達としての私。B先生の教え子としての私。

 A君に向ける私とB先生に向ける私は同一だろうか。


 いや違う。


 では、私とは、私を表す絶対的な物とはなんだろう。


 容姿はどうだろう。

 でも10歳の私と90歳の私では、きっと違うだろう。


 私という記憶はどうだろう。

 例えば、今持っている鞄の中身を私は知っている。

 でも昨晩の私は今朝の朝食を食べた私ではない。


 唐突に電車のクラクションが鳴り響き思考が放り投げられた。

 気が付けば駅まで来ていたらしい。


 改札を通り抜け、電車に乗り込む。


 私は「私」が分からないくせに、行先だけはあるようだ。









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「私」事 雨露利 @nosty_02

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