第6章:揺れる心(Cor Vacillans)

だが、そのやりとりを見つめていたもう一人の視線があった。


桐谷カホ。


先日の薬局襲撃事件を見て以来、彼女の頭からユイとタケルの関係が離れなかった。

自分でもなぜか分からないまま、気がつくと今日もリンク薬局の近くまで足が向いていた。


(……また来ちゃった……だめだよね、こんなの)


自分の行動を咎めるように心の中でつぶやきながらも、彼女の足は止まらなかった。


そして、ふと視界に映ったのは、薬局の出入口近くで談笑するユイとタケルの姿だった。


二人の間には、先日までとは明らかに異なる雰囲気があった。

それは、ただの指導薬剤師と実習生の間にあるような空気ではなかった。


──まるで、ずっと昔から同じ試練に立ち向かってきた戦友のような、深い信頼と共鳴がそこにはあった。


その瞬間、カホは悟った。


自分と彼らの間には、決して乗り越えられない壁が存在するということを。


(……やっぱり、そうなんだ)


ユイの記憶が戻ったとき、タケルはまるで“運命が巡ってきた”かのように彼女のそばに立っていた。


──これ以上、見ていられない。


カホは胸に何かが突き刺さるような感覚を覚え、反射的にその場から踵を返した。


足音を立てまいとするほどに、逆に急くような歩調になる。

そのまま、リンク薬局から見えない曲がり角まで走るようにして離れた。


(どうして、こんな気持ちになるの……)


心の奥に生まれた黒い感情を振り払うように、カホは早足で歩き去った。


(あの人さえいなければ、きっと私だって……)


一度は心の奥に封じた感情が、また静かに顔を出す。


その時、カホのポケットに入れていた小型端末がわずかに震えた。


《……あなたは、選ばれていないわけじゃない。別の役割があるだけ──》


どこからともなく聞こえた声。

それが現実のものか、幻覚なのか、彼女には判別できなかった。


ただ、その時確かにカホの中に、何かが入り込んでいた。


その日を境に、カホは夜ごと悪夢に囚われるようになった。


夢の中でタケルとユイは、漆黒の影に包まれた戦場で、名もなき恐怖と戦っていた。

どれだけ彼らが抗っても、最期には必ず同じ光景にたどり着く。


タケルがユイを庇い、命を落とす瞬間。


その場面で、カホは毎回、息を呑むようにして目を覚ました。

冷えた額には汗が滲み、頬には知らぬ間に流れた涙の痕が残っていた。


──どうしてタケルくんばかりが傷つくの?


心の奥で誰かに問いかけるように、カホはその問いに何度も向き合った。

だが答えは出ない。


夢は毎夜少しずつ形を変えながらも、必ずタケルの死で終わる。

そのたびに、カホの中で募る感情は、静かに、しかし確実に姿を変えていった。


最初は不安だった。

次に焦燥。

やがて、それは憎しみへと変わっていく。


(あの人がいる限り、タケルくんは救われない)


その結論が、まるで誰かに囁かれたように、カホの思考を侵していた。


「……あの人が全部悪い。あの人さえいなければ、タケルくんは……私が、タケルくんを守らないと」


そう呟いた自分の声に、彼女自身がわずかに震えた。

けれどもその言葉は、もう心の奥に深く根を下ろしてしまっていた。


そう呟くカホの部屋のデスクの上で、カホの小型携帯端末が笑うようにかすかに振動していた。


その微かな振動は、単なる通知ではなかった。 それは、あの時統制局から逃げ出したカルナの残滓──


リバースメモリを通じて彼女の心の隙間に侵入し、感情の深層に沈殿していた潜在的データが、ついにカホの意識に直接アクセスを始めた兆しだった。


囁きのような、データパターンのような、認識できない微細な信号が彼女の心に染み込んでいく。


それはあまりにも自然で、カホ自身がそれを“自分の思考”だと錯覚してしまうほどだった。


──すべては、カルナが仕組んだことだった。

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